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2011年8月5日金曜日

蓼科みずなら音楽祭、祝祭にわき立つステージと観客席

@@@@やまねこ通信121@@@@

「コバケンとその仲間たちオーケストラ」が昨日茅野市民館で開かれる。朝
9時半にやまねこは家を出て、せいたかさんとともに午前10時に市民館入
り。黒いTシャツがユニフォームのサポーター集団の一員になり、この日ば
かりは何でも任せての態勢で待機する。

茅野市のゴッドマザー、緑のショートヘア、地元側会長の原房子さんがスケ
ジュール再確認の打ち合わせ。いつもより緊張した表情。今日の彼女は茅
野市民館の司令塔である。

やまねこたちは分担をしこしここなす。二つのエントランスの看板立て、パ
ンフレットに資料を挟み込む作業、今日ではリアル性高い非常口点検のツ
アー。そうするうち、12時頃からお客様がロビーに現れる。

蓼科みずなら音楽祭は「知的障がいある方々とのバリアフリーをめざすコ
ンサート」である。健常者と障がいをもつ人々が仕切を設けずに、共に活
動することをノーマライゼーションと呼んでいる。この日は100人の障がい
ある皆さんとその付添者を招待している。招待客は別の列に並んでもらい
一般客よりも先に入場してもらう手はずである。

うれしそうに小躍りして集まった招待客。どの眼も、どの顔も、はじけるよう
に輝いいる。なかなかない機会なのだろうか。もっとこんな機会があった
らいいなあ。一緒にいると、胸が詰まり感動がこみ上げる。

旧知のきみこさんが障がいある女子の背中を押しながらやってきた。「私、
こういう仕事なの」とほほ笑みながらやまねこに話しかけてくれる。きみこさ
んは新しく出来た施設に経歴を見込まれて最近就職されたのだった。

地域の友人、何人にも出会う。予定以上に切符が売れたらしい。ステージ
を見渡せない二階席も完全に埋まっている。椅子を何脚か運び込んだり
してようやく立見を解消。興行収益をすべて寄付する音楽祭としてはうれ
しい悲鳴といったところだ。やまねこは二階席の最前列の階段の隅に腰を
下ろす。一番の特等席。満席でなかったらとても座れない場所だ。

演奏が始まる前にコバケンさんは東日本の大地震から何とかたちあがれ
るようにこの音楽祭を呼び掛けたことを挨拶。コバケンさんの語りの滑らか
さはディスクジョッキーでもきっと成功するだろうと思わせる。最初はアイー
ダの凱旋行進曲。ヤマハ製作のアイーダトランペットも参加。演奏者の紹
介がその都度語られる。

第二はチゴイネルワイゼン。塩崎明日香さんのバイオリン独奏。よくもこん
な音が出ると思わせる超絶的演奏。凄いなあ。すっかり塩崎さんのファン
になったやまねこは、パンフレットに折り込まれたチラシにある8月20日
下諏訪のやまびこホールでの室内楽を聴きに行けたらと思う。

3番目、北アイルランド民謡ダニーボーイ。戦場で死んだ息子を忍ぶ母の
終わることない悲しみの歌である。オ―ケストラで聴くのは初めてかもしれ
ない。

4番目、岩手県釜石高校音楽部の女声コーラスだった。東京の音楽会に
参加後、甲子園での全国高校野球大会の開会式で歌う日程に、茅野回り
の一日を組み込んだという。主催者側の熱意がこんな形で実ったことが観
客席に伝わった。コバケンさんは被災者の高校生を励ました。ふるさとを
失い、家族の全員を失ったメンバーもあるという女子高校生の澄みわたっ
た「ふるさと」の歌声によって、オーケストラ一同と観客の全員が励まされた
一幕だった。

5番目、ドボルザークの交響曲「新世界より」の最終楽章。打楽器の猛々し
い唸るような音が弦楽器のハーモニーとうまく溶け合った演奏だった。

6番目、コバケンこと小林研一郎作曲「パッサカリア」より「夏祭り」。2000
年に日蘭交流400年を記念してオランダ政府から委嘱して作曲された管
弦楽曲の一曲。日本の祭りの賑わいが太鼓や笛の響きによって表現され
る。初めて聞いた曲にしては親しみやすい作品。子ども時代に味わった祭
りのどきどきわくわく感が伝わった。もっと演奏される機会が多いと良いの
に。
ここに地元の玉川太鼓が加わった。力強い見事な演奏だった。演奏後、コ
バケンさんが丁寧に紹介、何回も拍手を求めた。
これで前半の終わり。

7番目は25分の休憩の後。モーツアルトのピアノ協奏曲23番第2楽章。
「悲しみをたたえた」静かなメロディーは、大震災の死者、被災者のための
鎮魂に向けられていた。独奏は久元祐子さん。岡谷カノラホール以来2度
目の演奏である。

8番目、シベリウスの交響詩「フィンランディア」。帝政ロシアの圧政下に置
かれたフィンランドの農民たちの独立運動とその勝利の音楽である。「圧
政と抵抗、首をはねられた歴史を想像しながら聞いてください」とのコバケ
ンさんの一言が、聴き手の想像力を大いにかきたてた。

9番目は歌劇「トウーランドット」より誰も寝てはならぬ。フィギュアスケート
荒川静香のイナバウワーがどうしても思いだされる名曲である。トランペッ
ト独奏者が途中で小さな息切れをしたミスがあった。このことを終了後、コ
バケンは隠さずに報告し、戒めながらもねぎらいの声を掛けた。

最後の10番目、チャイコフスキー作曲荘厳序曲「1812年」。
ナポレオンのロシア遠征を描いた歴史物の作品である。フランス国歌ラマ
ルセイエーズが迫って来るがやがて帝政ロシアの国歌に押し戻されてしま
う。最後にはロシアが大勝利を収める感動的な作品である。

どの曲でも終わっては演奏家を紹介し、個々のパートに拍手を促し、ステ
ージの上は、まるでお祭りのようであった。その躍動感が観客席に伝わら
ないはずがない。

「炎の指揮者コバケン」と呼ばれるのは、小林研一郎氏の祝祭的な特徴
を備えた人柄を反映しているのだろう。オーケストラばかりでなく大勢の人
々に躍動感を吹き込み祝祭の中に巻き込んでゆく。

かといって騒々しい人なのではない。高校生の挨拶にも背筋をただして静
かに傾聴する姿が印象的だった。謙虚さがわざとらしくなくその言動ににじ
み出ているのではないかとやまねこは受け止めた。

観客席総立ちのスタンディングオベイション。拍手が鳴りやまない。するう
ち、サポーターの職務を思いだして、階段を駆け降りた。

釜石高校の生徒たちが茅野を経て甲子園球場まで旅する旅費のカンパ箱
を持ってご協力呼びかけをするはずだったのだ。すでに別のメンバーがカ
ンパ箱のテーブルの前に立って呼び掛けている。どんどん、千円札が投じ
られる。箱は100円玉を予期したかのように入口が小さくて、札を受け入れ
るように開かれてはいない。時々上下左右に振っては、入口をすっきりさせ
る必要があるほどカンパが集まった。「さっきいれたけどもう一回」と言って、
千円札を数枚入れてくださった方もあった。

皆さんの「感動代」だったと思った。地震もおこらず、招待客にも支障なく、
皆さん満足そうにお帰りになった。
本当に良かったと、やまねこ心から思った。

サポーター仲間は、ロビー片付け、ホールの清掃、看板などの片付けの後、
バスで帰京するオーケストラメンバーをお送りして、7時半頃帰途についた。

次回はコンサート前後の人間模様、音楽祭の周辺のことなどをお伝えします。

うらおもて・やまねこでした。

2 件のコメント:

  1. コンバンワやまねこさん
    暑いですね~暑くて脳みそも腸も腐りそうです

    >>>黒いTシャツがユニフォームのサポーター集団の一員になり
    揃いの法被で会場整理ですか?楽しそうですね

    お疲れ様でした

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  2. うらおもて・やまねこ2011年8月7日 0:00

    やまんばさん。
    お暑うございます。
    脳味噌と腸が腐っ鱈、楽紙魚蛾名久那流輪寝。
    黒シャツ党いうのが、昔イタリアにあった夜寝。
    あれとおんなじ。
    個性を剥奪、類に還元。
    これはある意味楽長駄茶。

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