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2012年6月17日日曜日

富山の魚、刺身の食べ放題が、何と言っても最高!



@@@@やまねこ通信202号@@@@

魚津の寿司屋の反響が、読者の皆さんから相次ぐ。やまね
こ通信で、このようなことは非常に珍しい。

横浜の男性からのコメント。
「魚津のお寿司屋さんの話しは本当にうらやましい限りで
す。私の実家も東京湾ですので魚介類や行きつけのお寿司
屋さんを思い出しうらやましい限りです」。

愛知出身の女性から。
「久~しぶりに明るく楽しい面白いブログ
やまねこ通信を拝読いたしました。
ふるさとの街で素敵な出会いがあったのですね。
本当に美味しそう!!良かったですね。羨ましい限りです。
私も海育ちですが、やはり海の幸は日本海ですね」。

やまねこ通信は、「明るい話題」からほど遠かったことを
あらためて知って深~く反省いたします。

つい最近、テレビの『世界ふしぎ発見』が富山湾の神秘に
ついて放送したことを今日、昼食を共にしたとよこさんに
きいた。偶然の一致に驚いた。

と思う間もなく、夕方4時ごろにちの市報を配布する仕事で
自宅付近を歩いていると、ご近所のよしこさんと久方ぶり
に出会った。

「元気にしてる?」

「ええなんとか、先週、富山に3泊くらいの旅行してきたの
よ」

「へえ、良いわね。
富山の海って立山の伏流水が海底に噴出して特別なんです
ってね。
また行ってみたいわあ。
糸魚川から行くと近いのよ。
あそこで食べた刺身が、これまででいちばんおいしかった
って、今でも主人がいうの。私たち、富山のファンなのよ」

こんなことをよしこさんは語った。

どうして?どうして?
突然のように、富山の魚が人々のあこがれの的になってい
るなんて!

魚津の寿司屋のブログにご返事くださったみなさん、それ
によしこさん、とよこさんら、富山の魚ファンクラブのみ
なさん、魚津の回転ずし「おすしやさん鮮魚亭」を借り切
って、みんなで行こうか!

思う存分、お寿司が食べられるよ。30人くらい座れるよ。

いっそのこと、魚津、富山、きときと寿司食べ歩きツアー
を企画したらどうかしら。

 ところで、寿司屋もいいけれど、実はやまねこ、刺身を思
う存分食べるのが、もっと素晴らしいと思っている。

何を隠そう、今年5月連休明けの第2週、富山の親族ときち
ゃんの家で、年一度の刺身食べ放題宴会をした。女ばかり
3人。

魚屋、あるいはスーパーの魚売り場で、手当たり次第に好
きな刺身をカゴに放り込む。
5月はバイ貝の刺身が格別、美味かった。直径4センチくら
いの巻貝をくるくる回して最後の肝まで出すのがコツ。

出てこなかったら包丁のみねでこつこつ叩いて、螺旋状の
肝の先端を意地でも取り出して口に放り込む。

しろえび、あまえび、ぼたんえび、あじ、かわはぎ、くろ
だい、たちうお、それに、それに・・・

焼き魚はニギスに尽きる。明日になったらまた違ったうま
みが出てくる稀有の魚。

真打はなんといってもげんげ汁。インターネット写真をご
ろうじろ。

げんげは、富山で見かけるときは13センチ程度の長さ、
からだ中
がゼラチン状のべろべろしたもので覆われている。

独特の風味を損なわないため、昆布だし醤油味の汁物にす
る。味噌は使わない。

べろべろのまま、頭から尻尾まで食べるのがコツ。

げんげは最近では「幻魚」と当て字で名づけられているけ
れど、海底付近に静かに潜むげんげは、かつては釣り上げて
もゴミとして捨てられていたという。

「下魚」(げぎょ)と呼んで軽蔑する向きもあり、富山の
育ちでも、食したことのない方々が多いので、やまねこは
何ともったいないこと、と思っている。

実はやまねこの暮らす諏訪地域に「角上」という新潟寺泊
経由の魚を売る店がある。そこでは時折、20センチを越え
るげんげを見かける。たしか「ぎょろぎょろ」という名が
ついていた。

やまねこのあこがれの暮しの一つを書いてみよう。
魚津の浜辺に近いところで、大きめの流しの台所がついた
家を借りる。毎日漁港で新しい魚を買ってきて、その日の
いちばん新鮮な魚を開いて刺身を作って夕食にする。

最近、魚料理をしたくて腕がうなるやまねこ。出刃包丁に
刺身包丁があればいいだろう。研ぎ石も必要だ。包丁を深
夜に研ぐのはやまねこの秘かな趣味。

5月10日、魚津市立大町小学校を最初に訪問した後、昼ご
ろに海辺の魚売り場に行った。獲れたての透き通った太め
のニギスが並んでいた。

あのニギスの背中の虹色の輝きが目に焼き付いて離れない。
その日の午後は富山市立図書館で調べ物をする予定だった。
だから生魚を持ち歩くわけにはいかないと思った。

そうそう、お店で薄塩をする手もあったのだ。後でそのこ
とを思って、富山へ向かう道を中途で引き返そうと思った
くらいだ。

もう一回、虹色の背中の透き通ったニギスを見かけたら、
今度こそ、何が何でも買ってこなくては。


ああ、魚津の朝採れの魚を、諏訪地域に直接販売する店が
現れないものだろうか!



うらおもて・やまねこでした。

魚津に行ったら魚を食べなくては、寿司屋で女同士の会話がはずんだ


@@@@やまねこ通信201号@@@@

魚津滞在中、連日寿司屋に通った。目当てがあったわけで
はない。誰に聞いても、何で探しても、魚津はどこの寿司
屋もうまくて、回転ずしも同じであることが評判である。

宿泊したビジネスホテルのフロントに訊いて、そこから徒
歩5分ほどの回転寿司に出かけた。「おすしやさん鮮魚亭」。
店名も、店の構えもぱっとしない。中に入ると家族連れが
何組か食事中である。

回転ずし屋だけれど、どのお客も自分の好みを板前さんに
注文している。やまねこもいつもこのように注文する。

若い板前さんが一人で包丁を握っている。店の壁のホワイ
トボードには、本日お勧めの品書きが載っている。

漁港の町なのだから、海で取れた小魚を食べたい。こうや
まねこは思っていた。

品書きを見ると、期待通りのネタが並んでいるではないか!
やまねこは心の中で「しめた!」と叫んだ。

いわし、あじ、しめさば、黒鯛、真鯛、赤貝、うに。これ
らは、東京でも信州でも食べられるネタである。鮮魚亭で
は、どれも新しくて美味しい上に安い。

ばい貝、白えび、ふくらぎ、めじな、かわはぎ、あおりい
か。これは富山でなくてはお目に掛かれないネタである。

地えび、とびうおは、富山でもなかなか口に入らない。と
りわけ、ほうぼうの寿司は今回初めて味わった。

板前さんの話では、まぐろ、かつおは、魚津では売れない
という。そうだろうなあ。こんなに新鮮な小魚が毎日豊富
に水揚げされるのに、冷凍車で高速道路を長距離走って運
搬された魚のすしを、誰が好き好んで食べるだろう?子ど
もが時折、注文するばかりという。

ランチタイムには、魚のアラの汁物が付いてくる。その日
は黒鯛のアラだった。白身魚だけれど濃厚な味。

この日は、隣で女性が一人、ビールを傾けていた。
ゆっくりくつろいだ表情である。
のぶこさん、と仮に呼ぶことにしよう。

のぶこさんは、やまねこに向って「奥さん」と呼びかけて
くる。
「奥さんじゃありませんよ」と返事する。
「だって、どう呼んだらいいのよ?」
「おかみさんとか後家さんとか、他にあるでしょう」
「だって40過ぎた女の人は、ここでは、みんな奥さんと呼
ぶよ」

のぶこさんは、執拗に主張する。
「ああそうなの。魚津ではそうなのか」
やまねこは地域基準に従うことにした。
板前さんが、女二人の漫才を聞いて笑っている。

「ゆうべ、ウニを頼んだら売り切れだったの。だから今日は
最初に注文しなくては。好きなものは最初に食べたらいい
のよ」
「面白いねえ」
「だって、次の瞬間に何が起こるか分からないから」
「嫌なこと言うね」

話を始めるとのぶこさんはやまねこより一歳年上であるこ
とが分かった。
魚津市立大町小学校に学んだ祖母のことを調べに信州から
やって来たことをやまねこが伝える。

「あら、私、大町小学校に通ったよ。お墓が前にあるでしょ」
のぶこさんが昔の学校風景を語ってくれる。城跡のお墓は
今でもあるようだ。
「西部中学校のところには、女学校があったんだよ。私の母
が通ったの」
のぶこさんは眼を細める。

「大町小から西部中に行って、それからYKKに働きにでた
の」
「まだ吉田チャックって言ってなかった?」
「工場で働いたんだよ。これくらいの長さの細長い機械にチ
ャックの材料を入れて熱くするんだ」
のぶこさんは、寿司屋のカウンターの奥を指さした。約2メー
トルの長さである。

「機械をいくつ受け持つの?」
「二つだよ」
温度が高すぎるとチャックの材料が融けてぐちゃぐちゃにな
って、臭いがするんだよ。だから熱すぎないようにスイッチ
を切らなくちゃならないんだ」

「ずっと同じ仕事だったの?」
「そうだよ。そのうち、嫌になって辞めたんだ。若い子たち
が入ってきてね。べちゃくちゃお喋りばかりしてるから温度
が上がって、材料が融けてしまうのに平気なんだよ」
「のぶこさん、教えてあげたの?」
「言ったって聞かないんだよ」
「そうなのか。逆に嫌われるかもしれないね」
「そうだよ」

「のぶこさんみたいに、しっかり働く女たちを、主任にした
らよかったのよ。そうしたら、若い子たちも主任の指示には
従わなくてはいけないでしょ。
同じ資格の先輩だったら、無視しても良いからね。
今は知らないけど、その当時のYKKは女子従業員の使い道
を誤ったんだね。能力ある方が辞めてゆくようではね」

女性週刊誌で語られる「お局さん」問題は、男性と違って女
性が企業で昇格しないことが根底にあるとやまねこは常々考
えている。熟練労働者と未熟練が同じ立場だったら、「お局
さん」と祭り上げて陰で嗤っていればよいのだから。

板前さんが笑って聞いている。
「でも、仕事できない子たちは別の部門に移されたよ。毎日
バスで通ったんだ」
「何交代だった?」
「早番は5時から午後1時まで。遅番は1時から夜10時まで。
深夜は機械が止まるんだ」
「それだったらバス送迎は有難いよね。安全だし。その当時
バスの送迎は珍しかったでしょ」
「そうだよ」

のぶこさんは、ゆっくりビールを傾ける。
「また、ここで会いましょうね」
やまねこは程よい加減のお昼を終えて立ち上がり、勘定を支
払った。1400円だった。前日、前々日の晩に支払った勘定の
半額ほどである。この位にしておけばよかったと窮屈になっ
たウェストを触りながら反省した。

魚津に行ったらユニクロ付近の「おすしやさん鮮魚亭」がお
勧めですよ。でも、食べ過ぎないようにね。


うらおもて・やまねこでした。


追伸:
富山出身のかずこさんが、回転ずしについて、即座にメール
を送ってくれました。

魚津は行ってませんが、富山の回転寿司は本当に安くて、新
鮮で、おいしくて、わざわざ高い寿司屋へ行かなくても大満
足。エビの鬼がらのみそ汁などはおかわり自由。
なんと素晴らしいことでしょう。
ついでに、生地の道の駅のお魚は本当に新鮮で、もう感激、
でした。 また食べにいきたーい。  おやすみなさい。

2012年6月16日土曜日

富山県魚津市明治30年代の女性教員、魚津市立大町小学校滞在記


@@@@やまねこ通信200号@@@@
  
魚津市に4日滞在した。6月12日-15日。魚津市立大町小
学校を訪問し、保存されている明治期の文書を閲覧させ
ていただいた。

魚津城跡に建てられた校舎には、海からの風がほどよく
流れ込む。海岸から徒歩6分ほどの距離、海抜4メートル
の地である。

毎日の授業のチャイムが鳴る。音楽授業の響きが遠くか
ら伝わる。休み時間にはロック風のBGM、別の日には
モーツアルトのトルコ行進曲。どことなく、のびのびし
た校風が伝わってくる。4月に赴任された女性校長、4月
に昇格された男性教頭が先頭に立って駆け回っておられ
る広々した校舎。

全国の旧市街の例にもれず、中心部に位置する大町小学
校も現在各学年とも1クラスである。新しく住宅が建設
される市の周辺部で子供の数の多い地域には、1学年3
~4クラスの学校もある。

大町小学校は魚津の中心地に明治6年に建てられた魚津町
第一番小学校に歴史をさかのぼる。一番小学校はまもな
く明理(めいり)小学校に。明治初期のめまぐるしい教
育制度改革にともなってやがて魚津町立明理尋常高等小
学校と名を改めた。

明治28年6月魚津尋常高等小学校となってからは、昭和16
年4月まで続いた。同年、大町国民学校と改名され、敗戦
後、大町小学校となり、今に続いている。

魚津市は幾度も大火に見舞われた。魚津尋常高等小学校
も火災に遭っている。大町小の前身魚津尋常高等小学校
から枝分かれした村木小学校は1956年(昭和31年)、大
火によって校舎が全焼した。だから魚津市内では旧い文
書の発見は望み薄と伝えられている。

やまねこがなぜ、魚津市の小学校の歴史に関心を抱くの
だろう?
やまねこの祖母、明治20年生まれの旧姓奥田アヤは、子
ども時代魚津に住み、やがて小学校の訓導(教員)にな
った。やまねこは子ども時代、魚津の話を祖母からいく
どとなく聞いていた。

祖母の父親が旧制第三中学校(現在の県立魚津高校の前
身)の開設時に教員として富山から赴任したのに伴って、
一家が転居した模様。祖母の父親奥田弥之助は漢文と倫
理を教えていた。

一家がどのあたりに住んでいたのだろう。どの学校に通
ったのだろう。町並みはどんなだっただろう。どうやっ
て教員になったのだろう。こんなことをやまねこは漠然
と考えていた。

まだ形が分からないけれど、やまねこは「自分」の重要
な一部である、祖母の「魚津物語」を、何らかの形で表
現しようと以前から考えていた。

今年5月中旬に魚津市に旅行し、最も旧い大町小を訪問し
た。目算があったわけではない。ところが、校長先生に
ありのままを相談したところ、明治期の卒業名簿、旧職
員についての文書が保管されていることが分かった。

やがて、高等小学校卒業生名簿に奥田アヤの名が記載さ
れ、旧職員履歴書に名前が見つかることが、調べていた
だいた結果、判明した。


やまねこの祖母、旧姓奥田アヤは、現在の大町小学校の
前身、魚津尋常高等小学校の高等科を3月に卒業して、
10月から准教員となり、幾度もの講習を受けて、正式の
教員である訓導(くんどう)に昇格したことを示す記録
が残されていた。明治35年から41年の間。アヤが15歳か
ら20歳までの時期であった。


今回の訪問は、いくたびもの火災にもかかわらず、その
時々の教職員の方々の配慮のお蔭で、大切に保管されて
きた文書を自分の眼で確かめ閲覧することが目的だった。

「卒業生名簿・尋常科明治41年~昭和29年」、「高等科
卒業生名簿 明治15年~昭和22年」、それに厚さ7㎝和
紙を綴り合わせた「魚津尋常高等小学校旧職員履歴書綴
(明治20年頃より大正12年頃迄)」の3点。それに90年誌、
100年誌120年誌に記された、大町小旧教員広田寿三郎氏
の論文などが閲覧できた。 
       
はじめのうち、1978年(昭和53年)91歳で他界した祖母
アヤが魚津尋常高等小学校に在籍したことを記す文書が
存在することに感動するばかりだった。

けれど卒業生名簿を眺めるうち、同時代の高等小学校の
出席状況、卒業状況の男女別、卒業生の進路に関心が高
まった。

さらに、教員養成の制度、師範学校の制度が確立してい
なかった時代、当時の小学校教員たちがどんな経歴で教
職に就いたのか、特に女子教員たちがどのように就職し
たかを、奥田アヤと同時期に教員を務めた同僚たちの経
歴を読み込んで調べようと考えるようになった。

魚津市立大町小学校保管文書は、かけがえない一次資料
として、魚津市における明治期の教育の歴史、女子教育
史、教員養成史に、やがて然るべき位置を占めるように
なるであろう。

大町小学校では、毎日の授業に並行して、保護者の授業
参観、地域懇談会、個人面談などの校内の大きな行事が
行われている。その重要さにおいて、年一二をあらそう
行事であろう。

そのざわめきを遠くに聞きながら、やまねこは海風の流
れる一階の静かな小会議室で、思うままに文書に読みふ
ける至福の時間を過ごし、コピーを1500枚ばかり取らせ
ていただいた。

昼食時には、職員室で、教職員のみなさんと、欠席者の
給食をご馳走になる。料理2、3種にパンあるいはご飯、
牛乳パックにデザートがついた立派なランチ。学食だっ
たら500円では済まないだろう。滞在したビジネスホテ
ルの朝食よりも美味しかった。

朝の7時半には出勤し、一日の仕事を開始する日課の先生
方、校長先生、教頭先生。教職員のみなさんが子供たち
に向って開かれた姿勢を常に保っておられるところに感
銘を受けて帰ってきた。

資料を得るに当たってお世話下さったみなさま、本当に
有難うございました。

魚津の浜で獲れた大漁である資料。そこからなにを見つ
けどのように料理するかは、ひとえに今後のやまねこの
仕事に掛かっている。


頭の中は、まだ海でも陸でもなく形の無い「やみわだ」
である。一般的歴史に還元されない不透明な何らかの物
語を、そこから見つけ出すことができるだろうか。


これからが闇と光を分ける仕事の始まりだ。


うらおもて・やまねこでした。

2012年6月11日月曜日

「保育ママ」現状と課題、大好評!ちの男女共生ネット無料託児サービス


@@@@やまねこ通信199号@@@@

ちの男女共生ネット第1回勉強会、映画『丸岡秀子ひとす
じの道』が終わって、さまざまな感想が寄せられた。

運営委員からは次の声が寄せられた。

「昨日の上映会は盛会でした。ワークショップでは皆さん
のすばらしい考えに感銘をうけました。
皆さまお疲れ様でした」。
            
「知らない人同士の話し合いで、あれだけ意見が出、時間
が足りないという感じだったというのは、一回目にして成
功という事だと思います。
細かい打ち合わせが無くてもそれぞれの方が機転を利かせ
て運営されていて素晴らしかったと思います」。

「後味としては、<小さな失敗・思ったよりずっと大きな
成功>です。皆様、お疲れ様でした」。


●勉強会の折に、無料託児を開いた。これがお陰さまで評判に
なった。

「託児があるのが素晴らしかった。とっても良かったね」。

次回も託児があるのだったら、参加したいとのお母さんの声も聞かれ
ている。
託児があればお母さんはその時間、子どもから解放される。非常に
分かりやすい話である。若いお母さんたちに参加してもらいたかった
ら、無料託児所を開けばいいのである。

ところで、育児とは、果たして、母親だけが引き受ける仕事であり責
任だろうか?

託児をほめてくださるのは、例外なく女性ばかりである。
話は変わるが、脱原発諏訪連絡会では、昨年9月の集会で初
めて託児をした。託児サービスのお蔭で、子どもを連れて被
災地から避難してこられた方々が参加できるようになった。
ここから始まった交流が次の集会を生み出している。

今年3月の集会、3.10「明日が消えた」を上映する会でも無
料託児をした。その折にも、託児がよかったと女性参加者た
ちが問わず語りに語っていた。

これらの行事で託児を担当して以来、子育て政策に対して、
やまねこは興味をいだくようになった。

●幼稚園と保育所を一体化させた政府の子育て新施策「総合
こども園」が創設されようとしている。

もう一つのポイントは、「地域型保育」である。地域の実情
に合わせて小規模保育などさまざまな保育のかたちを柔軟に
展開する仕組みという。

核となるのが「家庭的保育」(保育ママ)である。6月5日(火)
毎日新聞が伝えている。保育園に入れなかった待機児童を受け
容れる施設である。3歳の子どもを「保育ママ」に預けたパー
ト女性(33歳)は、語っている。

「知らなかったから、最初は不安だったけど、こじんまりし
た中で預けられて良かった」。
お蔭でパートの仕事時間を少しずつ長くして「家計も助かっ
た」という。

●「保育ママ」とは、主に3歳未満の乳幼児を自宅などで預か
る制度。以前から自治体がしていた仕事だが、10年度からは国
の制度として法的に位置づけられた。

預かる人は、保育士の資格がある人、研修を受けた人である。
形態はさまざまで、保育ママ一人なら、乳児3人、補助者を加
え2人以上なら5人まで預かりが可能。

全国の利用者数は、09年度は約2600人だったが、11年度は5700
人と2倍以上に急増。国は14年度までに1万900人の目標を掲げて
いる。昨年の3.3倍である。けれど認知度がまだ低く、伸び悩み
という。

大阪市橋下市長が「保育ママバンク」を開設し、保育ママと補
助者をマッチングさせようと試みている。市が募集したところ、
定員の2倍近い235名の応募者が集合。「雇用拡大」に繋がると
して、大阪市は全員を受け容れる方向である。

「子ども子育て新システム」に盛り込まれた地域型保育では、
定員が20人以上になると「総合こども園」の指定を受けるとい
う。これはすごいことだ!

都会では待機児童が多いので乳幼児向けの家庭的保育を活用す
る一方で、地方都市では保育所の定員割れが目立つ。この場合
は、対象を小学生にも広げ、学童保育、地域子育て支援の拠点
などに展開するという。

ただ、良い事ばかりではない。市から補助が出ても「定員いっ
ぱいにならなければ採算割れ不安」との声もある。

さらに、これまでの認可外保育とどう違うのかも明確ではない。
新制度の「保育ママ」には公的補助が与えられるが、認可外保
育はそれがない。だから「民業圧迫」と訴える声があがってい
る。今後、注目が必要である。

●この記事に、少しも書かれていないけれど、これこそ社会の
男女共同参画を進める柱となる政策なのである。

「子育て」とりわけ、3歳未満の子どもを、誰が、どの予算で
育てるかによって、人々の暮らし方ががらりと変る。社会が負
担するのか、家族だけで負担することで、結局女の育児家事負
担を永久化するのか?


果たして、育児とは、母だけが引き受ける仕事であり責任だろうか?

「保育ママ」は差し当たり、待機児童を減らし、子どもを預け
る母親と預かるママの両方の「雇用促進」につながるウィンウ
ィンのアイディアに見える。けれど、さらに根本的な制度が立
ちあげられないものだろうか。

このあたりの対策で満足しているようでは、この国が「少子化」
問題に本気で取り組んでいるとはとても思われまい。

もっとも、この国が「子どもたち」を大切にしているかどうか
は、東電福島原発事故の被災地の人々、そこから避難した人々
の話を聞けばすくぐに分かることであるが・・・


うらおもて・やまねこでした。