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2013年5月20日月曜日

やまねこ通信273号 福島原発告訴団団長、武藤類子さん講演会


@@@やまねこ通信273号@@@

福島原発告訴団団長、武藤類子さん講演会

武藤類子さんの講演会が今日、諏訪文化センターで開か
れた。
http://ameblo.jp/gender-equality-chino/entry-11532745471.html

武藤さんは、東日本大震災、東電福島第一原発事故のず
っと前、チェルノブイリ原発事故の後から、脱原発活動
を開始した。大月書店から著書が出ている。
http://www.fukushima-net.com/sites/content/193

諏訪駅前ニットのお店、「アンの家」中川厚子さんの主
催。会場には70名弱の人々が詰めかけ、スライドを見
ながら熱心に耳を傾けた。

武藤さんの長い活動歴を裏付ける静かな語りに説得力が
あった。どの話も被害を受けた人々が差別されてゆく悲
しい話ばかりである。情けない国、県、東電の姿が明ら
かになってゆく。

会場でやまねこがメモした話題のうち、ほんの一部を次
にお伝えしよう。

●「除染」がどのように行われているだろう?先日、NHK
のニュースで、除染の無効が報道された。計画区域の9%
のみ完了している。けれどその77%の地域で、放射性濃
度の数値が除染前とほとんど変わっていないという。

除染で取り除かれた土などは青や黒のフレコンバッグに詰
め、土地所有者の敷地内に置かれる。自分の家には近づけ
たくないものだ。すると隣家に近くに置くことに。

●除染作業員の服装は、薄いマスクに薄い手袋だけである。
「あまりに大仰な装備でのぞむと、福島県の人を傷つける
から」と県が興味深い説明をしている。

●学校では「もう、大丈夫!」との「安全キャンペーン」
が子どもたちに与えられている。学校の副読本には放射能
の有効活用の話ばかりという。

●比較的放射性濃度の低い土地が、汚染物質焼却施設の敷
地に選ばれた。ここで樹木などを償却し体積を小さくする
ことが目的。地権者(30人)だけに秘密の相談があり、
工事が開始され、基礎ができたところで人々の知るところ
となった。

その土地は隣のいわき市の水源地。黙ってはいられない。
環境省にも反対を申し入れる。すると地権者の2/3が賛成
を翻した。ところが村長が切り崩しにかかった。

工事は再開された。環境影響調査はしないままである。な
ぜなら、1時間200kg以上の焼却場にはそれが必要だ
が、問題の所では、1時間199kgに抑えたためである。

数字の辻褄合わせのトリックを、環境省が指示していると
いう。

●広島の原爆被害者は、2.5km以内、1ミリシーベル
ト被爆の可能性ある人々と制限が課された。けれど、福島
では、被曝の数値ではなく、行政区分で基準が課されてい
る。被災者は分断され、仲間を失って孤立してゆく。それ
を見計らって行政がアプローチする。

●IAEAの閣僚会議が先ごろ福島で開かれた。IAEAは、原発
を世界で推進するための国際組織である。チェルノブイリ
事故の後、世界保健機構WHOとIAEAは協定を結んだ。

健康被害が現れても、双方(WHOとIAEA)の合意がないかぎ
り発表しないというものだった。だからチェルノブイリ事
故以後に発生した子どもや動物の被害は、発表されなかった。

●武藤類子さんらは、福島原発告訴団を結成した。刑事告訴
なのに、加害者である東電は強制捜査も受けていない。勝俣
会長、清水社長らは任意聴取である。

被害を受けた人々が自分で申し立てしているのに、検察は加
害者の証拠隠滅を放置黙認している。


こんなことが許されていいのだろうか?

この先を、ひとりでも多くの人が見守らねば。

武藤さんの静かな語りが諏訪地域の市民の心を打ちました。
新鮮な野菜が福島の人々にとって、いちばん有難いとのこと。

信州の野菜が送れるといい。

そうして、参院選の一票を大切にしなくては!


うらおもて・やまねこでした

2013年5月11日土曜日

やまねこ通信272号 参院選対策「女性手帳」の導入検討!?何か変じゃない?


@@@やまねこ通信272号@@@

「女性手帳」の導入検討!?何か変じゃない?

●自民党政権が「女性手帳」の導入を検討してい
るという。妊娠・出産に関する知識を深めるため
という。何かおかしくない?おかしいよ!

●まずは時事配信、長野日報の小さな記事を:
政府は10日、妊娠・出産に関する知識を深めても
らうため「生命と女性の手帳」(仮称)を導入す
る検討に入った。少子化の要因として晩産化が指
摘されていることを受け、30歳代後半になると
リスクが高まることなどについて、地方自治体を
通じて手帳を配布して啓発を図る方針だ。これに
関し、森雅子少子化担当相は10日午前の記者会見
で「妊娠や出産という人生の選択を国が押し付け
ることでは全くない」と述べ、あくまで学術的地
検の普及が目的であることを強調した。
(以上、引用)

●何が、おかしいのか?

高齢出産のリスクが、確かに近年の医学的知識と
して警告されている。これは重要な知識であり、
女性のライフサイクルに一定の影響を与えるだろ
う。

●けれど、生命の再生産の全体から見るなら、ど
れほど重要でも、このことは問題全体の一部でし
かない。

生命の再生産は、果たして、女性だけが行うもの
だろうか?

小学生も知っている生殖の原理。
生命の教育の第一歩は「男性の精子と女性の卵子
の結合によって受胎する」ということ。

この、生命誕生における、男性の役割が「女性と
生命の手帳」には、抜け落ちているのである。

女性の身体に起こる妊娠・出産に、男性の関わり
と責任を問わないままでは、むしろ手帳の配布に
よって、生命の誕生への誤った理解を強化するだ
ろう。

●むしろ必要なのは、「男性と女性のための生命
の手帳」である。配布すべき対象は、女性もさる
ことながら、むしろ男性である。
そこには何が書かれるべきか?

第一に、性的関係における、相互の人格尊重であ
る。DV,セクシャルハラスメント、レイプを見逃さぬ
ための、社会的約束の強調はどれほどしてもしす
ぎることはない。

第二に性行為に関わる病気感染と妊娠の知識、正
しい避妊の知識である。望まぬ妊娠の後に中絶を
して、その後、不妊症になるケースが多いと聞く。

女性の高年出産よりも、中絶後の不妊リスクを、
しっかり警告してもらいたいものだ。

薬店の店先で日光を浴びて販売されている安売り
のコンドームは、ピンホールが多くて避妊効果が
低下していることも聞く。

問題は、多数の若い世代が、病気と望まぬ妊娠、
中絶の中に放置され、それが不妊症にもつながっ
ていることだ。

「若い世代」が何歳なのか?その低年齢化を親た
ちの世代は常に遅れて理解する。

厚生労働省、文科省は性的経験の低年齢化、それ
に中絶とその後の不妊化の実態をどれほど把握し
ているのだろうか?

●「少子化」の不安に怯えて、女性の妊娠最適時
期を女性に広報する。一見、気の利いた対策と見
えるかもしれない。

けれど、すでに述べたように、「女性手帳」は、
むしろ生命再生産における男性の役割を見えなく
し、その責任をあいまいにすることに力を貸すだ
ろう。


家父長体制下では、子どもは「家の財産」であ
り、個人につくるつくらない、いつつくるなど
の自由は与えられなかった。

今日では、こどもは個人の自発で作る作らない
を決定し、カップルが協力して育て、社会全体
が支援すべきものである。

自民党の次世代政策には、このことが抜け落ち
ている。男女共同参画基本法の理念に逆行して、
安倍政権の「女性の活躍」演説では、「三歳ま
でお母さんがしっかり育てる」ことが盛り込ま
れ、女性の「3年間育休」が提言されている。

その通り、安倍政権は、いまだに、子どもは「
女の問題」と考えている。

自民党長期政権下では、「女が子どもを産みた
がらないから困ったもんだ」と片付けられ、「
少子化」問題を先送りにしてきた。

先進諸国はどこでも、子育てのための、保育園
の充実など、社会のインフラを充実させ、カッ
プルがともに育児をすることで、この30年間、
子どもの数をすこしずつ増やしてきた。

安倍政権は、この先例をどう見てるのだろう。
このままでは、さらに対策が遅れる。

現政権の、子育て政策の体質が古いことを「女
性手帳」がまたしても明るみに出す。

このことに気づかなかったのか?
それとも、党内で批判できないのか?
経歴の立派な森雅子少子化担当大臣!
目を覚ましてくださいね!


うらおもて・やまねこでした。


追記:産経新聞ウェブより:


女性の妊娠・出産には適齢期があることなど

を国民に広く啓発するため、内閣府の「少子

化危機突破タスクフォース」が導入を検討し

ている「女性手帳」(仮称)をめぐり9日の
参院内閣委員会で新旧の少子化担当相が火花
を散らした。

 質問に立った民主党の蓮舫元少子化担当相
は「全女性が対象ならば非常に危険だ。例え
ば同性愛者は手帳をどう受け止めるのか。結
婚や出産をいつするのか、しないのかは個人
が決めることだ」と批判した。

2013年5月5日日曜日

やまねこ通信271号 伊那谷の奥、気流の通う里、大鹿村を網野史観から読む


@@@やまねこ通信271号@@@

憲法記念日に、長野県下伊那郡大鹿村に地元の歌舞伎を
見に行った。国道とはいえ、途中からセンターラインの
ない一車線の道。ところどころ路肩が崩れかけ、赤いパ
イロンが立ててある。対向車に配慮しながらの、ヒヤリ、
ユルユルドライブの連続。

出発する前にエピソードがある。
通信でお伝えしているようにやまねこは腱鞘炎で右肘の
痛みをかこっていた。やがて膝の痛みも。するうち、友
人のたけさんから連絡。

「ヘトヘトになった時に行くと、なかなか良いのよ。や
まねこさんも気が向いたら行ってみない?」

たけさんのお勧めで、これまで良くないものはなかった。
早速電話予約を取って駆けつける。里山の中の住宅地。
「健康教室」の看板。

師匠は女性、気功の先生だった。週1度、2、3回通う
うち、腱鞘炎の痛みが消えた。今は膝の痛みを診てもら
っている。

大鹿村に向かう当日、授業を終えての午後、健康教室に
赴き、気を送っていただく。するうち玄関に声が。聞き
覚えある声が隣の施療台に横たわる。たけさんだった。

大鹿村に向かうことを話すと、問わずがたりに気功の師
匠が高遠の向こうの長谷村のことをお話になる。いたく
詳しい。そのあたりのご出身なのだった。

気功の療法のお陰で、少し気が通うようになったやまね
こは、伊那谷の奥、気流の流れる里に向けて出発したの
だった。

大鹿村の入り口分杭峠には、磁気ゼロ地点という場所が
ある。何らかの鉱物が強力な地場を形成しているらしい。
膝の痛みが軽減した折に、時間を作って是非とも訪れな
くては。

その晩は山塩館に宿泊。控えめで簡素な造りの中に、食
器やテーブル、額や置物のひとつひとつが吟味され、豊
かさと歴史の奥行を感じさせる旅館だった。

大鹿村を走る国道152号線は、中央構造線に沿って走って
いる。このことから分かるように、大鹿村は地理的にいた
く興味深い土地。異なった地質が合体した箇所が露出し、
博物館もある。

海から遠い土地なのに、鹿塩(かしお)という土地に塩
水が湧出している。この塩泉の存在が、大鹿村の歴史を
形作ることになった。

最も古い伝承は、諏訪大社の祭神、出雲の大国主命の子、
建御名方神(たけみなかたのかみ)が建御雷神との力く
らべに負けて出雲から洲羽(諏訪)に逃げる際に一時的
に滞在していたとの物語。

鹿塩の塩泉は建御名方神が鹿狩りをしているときに、鹿
が飲む塩の泉を発見したとの伝承がある。ここから見る
と、広い意味で諏訪大社文化圏なのだ。

南北朝時代に南朝方の宗良親王(後醍醐天皇の皇子)が
この地の豪族香坂高宗に庇護され、以後30余年に渡って
信濃宮方(南朝)の本拠地となったとのこと。

するなら、春の歌舞伎の演物『奥州安達原二段目宗任の
段』は、地元物なのだな。

江戸期には、大河原村・鹿塩村の2か村は、徳川幕府の直
轄領(天領)で、美濃国久々里の千村平右衛門預かり地
として幕末まで続いた。山塩という貴重な産物のゆえだ
っただろう。

最後に、直近の面白い話。隣接する松川町との合併案が
登場。けれど住民投票の結果、合併反対が多数をしめた。
だから今も大鹿村である。

人口は1970年、3030人、
1980年、2322人、
1990年、1802人、
2000年、1522人、
2010年、1160人、

大鹿村の人口は、30年で半減、40年で6割減である。
けれど一昨日の話では、外から若い世代が流入し定住する
傾向が目立つという。年二度の村歌舞伎がはずみとなった
のだろうか。うまくゆくといいねえ!

●塩水の泉があって、免許制度を生み出した明治期以後、
温泉が開かれたと語られている。けれどそれ以前から、こ
の塩泉が大鹿村のあらゆる富の淵源をなしてきたことは、
疑う余地がない。

地質の異なる小渋川の両岸。狭い平野だから水田が少
ない。米作中心の旧来の歴史で眺めるなら、石高低い
寒村である。

けれど歴史家網野善彦氏の「網野史観」で見るなら、近世
のこの国の富は、米の収穫だけではとても量りきれない。

むしろ百姓とは、百のナリワイのこと。日本海側の廻船問
屋の北海道と京都をつなぐ北前船の生み出した量り知れぬ
富。それが能登半島の突端という辺境の地に、豊かな輪島
塗の工芸を育てた。能登半島、時国家の調査こそ、網野史
観の出発であった。

鍛冶屋、木地師、旅籠屋、商人などのあらゆる生業が、富
を生み出しながら、石高には記録されなかった。この隠れ
た富が、近世の社会を動かしていたのだ。

やまねこはこの網野史観から眺めて、大鹿村の豊かさを感
じた。さらに中央構造線を伝う細い道路とはいえ、諏訪、
高遠につながり、松川を通って飯田、豊橋と太平洋側に抜
ける文化の十字路であるのだ。

天竜川上流の小渋川流域。大鹿村は小渋川と青木川の合流
地点である。小渋川の河川敷に、歌舞伎の観衆の駐車場が
あった。芝にも似た緑草が刈り揃えられ、きれいに掃き清
められた広々した駐車場。

ふと川の上流を眺める。両岸に里山が幾つも重なる向こう
に、雪を頂いた峯が真っ白に輝いている。

ああ、あれが赤石岳だったのか。小渋川は赤石岳の雪解け
水を集め、青木川とここで合流し、天竜川に流れ込んでゆく
のだ。

ウィキペディアで手っ取り早く大鹿村についてのおさらい

小渋川流域から白雪を冠した赤石岳を望む(ウィキペディア)



うらおもて・やまねこでした



2013年5月4日土曜日

やまねこ通信270号 春の大鹿歌舞伎、DVありイクメンあり、飛び交う掛け声に乱舞するおひねり


@@@やまねこ通信270号@@@
  
伊那谷の奥の奥、大鹿村に行ってきた。
約三百年前から伝承される「大鹿歌舞伎」(国選択無形
民俗文化財)の春季定期公演が3日に行われた。会場は
大河原の大磧(たいせき)神社舞台。

●やまねこたちは、席を予約し、舞台から8列目の席に陣
取った。前夜は、山塩館に宿泊し、美味佳肴に舌づつみ
を打った。塩味するお湯の温泉にも漬かった。

富士見在住の友人が同乗して、茅野から杖突峠に登り、
高遠に入り、長谷村へ。そこから一車線しかない崖っぷち
のくねくねした国道を40分。山の奥のまた奥に入ったと
ころが大鹿村。このドライブが大いに報われた二日でした。

●中日新聞のウェブ版を見ると、県内外から千五百人のフ
ァンが集まったという。

村民が役者や義太夫を演じ、観客は弁当を食べながら声援
を送り、和気あいあいと見るのが特色。演目は「奥州安達
原 宗任物語の段」「神霊矢口渡 八郎物語の段」で、役
者が見えを切るたびにおひねりが飛び交い、観客も一緒に
舞台を盛り上げた。(以上引用)

●二つの演目がなかなか面白かった。「イクメン」あり、
夫の妻に対するDVあり・・・

「奥州安達原 宗任物語の段」では、善知鳥文治安方(う
とうぶんじやすかた)が、主君安倍貞任の子千代童を奥州
外が浜で妻お谷とともに育てている。

ところが生活苦のため金貸し南兵衛から借金し、あまつさ
え禁制の鶴を殺して金札を盗む。鶴殺しの犯人探しに報奨
金が与えられることを知った文治安方は、下手人を奉行所
に届けて報奨金を手にしようとの目論見。

その際、自ら自首の手紙をしたため、<無筆>の妻に奉行
所へ届けさせる。

文字が読めない妻が、良かれと思って、夫の手紙を届けた
ところ、結果、代官が夫を捕えにやってくる。このことが
劇的アイロニー。結果、主君の大切な忘れ形見千代堂は、
ショックで死んでしまう。

ところがドラマはそこから展開。そこに現れた金貸し南兵
衛が、実は自分は宗任であると打ち明ける。南兵衛は鶴殺
しの真犯人は自分だと名乗りを上げ、お縄を受ける。彼は
文治の代わりに都へ引かれてゆき、兄を殺した憎っき八幡
太郎義家と対決する計画であった。

●主君の遺児の子育てをして、一家再興を目論む忠義物。
文字が読めない妻が脇役を務めるところが見せ場の悲しい
物語。最後には、再興の願いが弟宗任に託される。

●「神霊矢口渡 八郎物語の段」。時は南北朝、南朝側の
大将新田義興の城。義興の軍勢が幸先良いスタートを切っ
たため、城内はお祝いムード。
義興の妻御台、若君徳寿丸、由良兵庫助の妻湊、家老六郎
が祝祭の最中。

そこに兵庫が暗い顔で戻る。義興の無謀をいさめて勘当の
憂き目に会った。やがて義興は負け戦の中で戦死。この知
らせを持ってきた戦士八郎も息絶える。

主を失ったこの館に敵の軍勢が押し寄せるとの知らせ。兵
庫は降参の覚悟。しかし妻の湊は御台を守ろうとする。
怒った兵庫は妻を殴り紐で縛り付ける。妻は摩擦熱で縄を
断ち切る。ここのところで、エレキテルの科学者・平賀源
内原作の面目躍如!

敵の大将竹澤監物が軍勢とともに乗り込む。兵庫は降参、
しかし妻の湊は薙刀で応戦し御台とともに落ちのびる。六
郎は若君徳壽丸を抱いて敵を倒して進んで行った。

●面白いことに、主君の妻であり母である御台と湊では
なく、六郎がイクメン(イケメンではない。「イクメ
ン」は育児する男性のこと)よろしく、子連れ狼、赤
城の子守唄の先駆として、主君の子供を抱えて落ち延
びたのだ。

子「宝」を守る「家」中心の男性たちの忠義物語。この中
で、母ならぬ家臣の男性が子どもを預かる物語であった。

さらに面白いのは、早々に降参した臆病者の兵庫は、妻に
ばかりは強気に出て、弱気を戒める妻湊を殴る蹴る、挙句
には縄で柱に縛り付ける乱暴狼藉のDV現行犯!

●「DVやめろ!」「湊がんばれ~」「ゆみちゃ~頑張れ~」
観客席から、夫をたしなめ非難する湊、その役者のゆみち
ゃを応援する歓声が鳴り止まなかった。


追記:同行者富士見町在住の友人が追記を所望:
「湊役のゆみちゃんは、映画「大鹿村騒動記」の舞台、
「ディア・イーター」店の“おかみ”」ゆうこと付記せよ
との思し召し!
次回はぜひとも訪問せねば。

古い歌舞伎の台本を、今日の観客がどのように受け止める
か!このことが、観客の掛け声に示されるのだ。舞台と観
客席の両方の掛け合い、キャッチボールで、芝居が成り立
つのである。
 
大鹿歌舞伎では、掛け声が楽しかった。誰が掛けてもいい。
歌舞伎座では、権威のかおりが立ち込めるから、なかなか
こうは行かない。大鹿歌舞伎では、村芝居の面白さがあり
ったけ楽しめた。

お金を包んだおひねりが、あられのように乱れ飛んだ。
五つも六つも一人で投げる人あり、役者の頭に当たったり。

寄付金の受け入れは、紙に毛筆で書いて張り出されている。
金壱千圓から壱萬圓まで、多数の貼り紙が風になびいて活
況を呈していました。

伊那谷の奥の素晴らしい文化伝承の地、大鹿村を初めて訪
問。塩水の湧き出す土地、大鹿村の歴史が知りたくなりました。

大鹿歌舞伎保存会の皆様、大鹿村の皆様本当にお疲れ様で
した。


うらおもて・やまねこでした。