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2013年4月21日日曜日

やまねこ通信266号 ボストンマラソン爆破事件の移民兄弟、英語教育「生活必需品」か「高級品」か?



@@@やまねこ通信266号@@@

ボストンマラソン爆破事件の移民兄弟、英語教育「生活
必需品」か「高級品」か?

●ボストンマラソンのゴール地点で起きた圧力鍋爆弾の
爆発テロ。命を失った方、負傷された方々は、本当にお
気の毒である。

(以下、朝日新聞ウェブからの抜粋)
ロシアからの移民兄弟が容疑者。ボストン・マラソンの
爆破テロ事件は、タメルラン・ツァルナエフ容疑者(2
6)が死亡、弟のジョハル・ツァルナエフ容疑者(19)
も警察に身柄を拘束され、捜査の区切りを迎えた。

兄弟はロシア南部チェチェン共和国周辺の出身とされる。
2002年に両親と渡米。米国に10年以上住むうちに、
次第にチェチェン人としての意識が強まった、との見方も。

ボクシング選手だった兄は「私は米国の友人が一人もい
ない。彼らを理解できない」と語ったと伝えている。同じ
記事で「米国の五輪代表に選ばれ、米国市民になりたい」
とも語っている。しかし、父親によると、兄は米国市民権
を得ることができなかった。

兄は昨年は半年にわたって米国を離れ、チェチェンも訪れ
ていた。帰国後の昨年8月に登録したとみられる「ユーチ
ューブ」のアカウントでは、ジハード(イスラム教の聖戦)
を呼びかけるビデオも紹介されている。

弟のジョハル容疑者は兄より米国になじんでいたとされ、
市民権も獲得していた。だが兄を慕い、影響も受けやすかっ
たという。

弟の高校の後輩アルブレクト・アモンさん(18)は朝日新
聞の取材に、3カ月ほど前、兄と会ったと明かした。
兄は米国のアフガニスタンやイラクへの軍事介入を批判し、
「米国は無実の人々を殺す植民地帝国だ」と怒りを見せたと
いう。
http://digital.asahi.com/articles/TKY201304200510.html?ref=comkiji_txt_end_s_kjid_TKY201304200510


●米国は、移民から成り立った社会である。移民した人々
は、現地の言葉である英語を一日も早く習得せねばならな
い。生計を立てるためには必須の道具であるから、米国に
おいて英語は「生活必需品」である。

サンフランシスコでタクシーに乗った。6年前だっただろ
うか。
ドライバーの男性はスペイン語アクセントの強い英語を話
した。
中米の出身だった。
米国に来て何年経つのかを聞いた。たしか3年前、一家で
米国に移民し、英語を身に付け、ドライバーの営業許可を
取得したとの話だった。

「英語学習は無料だったでしょう?」
「そうだよ」とドライバー氏。

そのとおり、米国では、移民の人々の「生活必需品」であ
る英語教育は、授業料がゼロである。英語を使うことは呼
吸をすると同様に、生活の中では当たり前のことである。

●一方、日本での英語教育は、明治期以来、旧制の中学高
校においては、教養の一つであり、少数のエリートのため
のものだった。

文法を学ぶことで思考力を身に付けることが期待された。
このような外国語学習の役割のモデルは、西欧社会におけ
るラテン語学習である。今日では、ラテン語は、実用性の
ない言語の典型となっている。

日本の英語学習は、ずっとラテン語の位置づけだった。
1945年の敗戦後、占領時代を経たあとも、もっぱら大
学入試用の科目として重要だった。

教員は、教育学部の英語教育科、あるいは文学部の英米文
学科出身者である。

ところが財界からの「実用英語」圧力が次第に強まった。
それを象徴するのが1975年の「平泉・渡部論争」であ
る。

企業の海外発展が進む中、英語が使える日本人の若者が必
要だ。ところが国内の英語教育は、「ラテン語教育」であ
る。

こんな批判を財界の代弁者、参議院議員平泉渉氏が主張。
早急の実用化を要請した。これに対抗して、上智大学教授
の渡部昇一氏は、「ラテン語教育」に意味があり、その教
育から得られる「教養」が重要だと反論した。

いまにして思えば、「教養教育」が大切だという主張を、
英語教育論争に乗せるところに無理があったとやまねこは
思う。
義務教育は、子どもたちが社会に出て必要とする教育を与
える場所でなければならず、高等、大学教育も、それを無
視するわけにいかないのは当然だ。

●結果、現在、文科省が、「英語教育は、英語で」と指導
要領を改めている。

「英語教育を、英語で」するためには、ネイティブスピー
カー同様の言語運用能力が必要である。

ところで、国内の大学を卒業した英語教員は、どこで、ネ
イティブスピーカー並の能力を身につけたらいいのだろう。
英語使用国での生活歴を得るための資金と年単位の時間が、
どこから与えられるのだろう。

文科省は平成14年、「『英語が使える日本人』の育成の
ための戦略構想の策定について」という指針を出した。そ
こには英語教員採用におけるTOEIC基準、語学研修者の数を
増大することなどが示されている。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/020/sesaku/020702.htm#plan

●「英語授業を英語で教える」ことが、教員たちの数ヶ月
の海外研修で実現したら、それは奇跡である。
外国語学習の実際をよほど知らない人々が文科省の指針を
定めているのだろう。

結果、今日、日本人が英語を話せないのは、公教育である
学校教育がわるいからであり、英語教員たちがわるいのだ、
とみなされている。

この公教育を痛烈に批判した「英会話上達」の教育産業の
宣伝が、街とメディアとインターネットに溢れている。
詐欺まがいの宣伝とともに、どれも、驚く程、高い授業料
を要求している。

「英語必需品」社会の無料教育とはコントラストの、高い
授業料。
そのとおり、この国で英語学習は「高級品」なのである。

誰もが英語を使える国にするには、授業料が無料か、そう
でなくても安くなくては。
公教育を管轄する文科省には、このような法外なビジネス
に対して責任はない
のだろうか?

いずれにしても詐欺まがいの高い授業料が放置され、次つ
ぎに湧き出してくる現実は、英語が「生活必需品」でなく
「高級品」であることを、何よりも雄弁に証明している、
とやまねこは考える


うらおもて・やまねこでした。

2013年4月19日金曜日

やまねこ通信265号 「失敗、思い違いから読むシェイクスピア!」


@@@やまねこ通信265号@@@

「失敗、思い違いから読むシェイクスピア!」

二階住人と「喧嘩」すると疲労する。
むしろ、人がどのように失敗するかをじっくり観察した
らどうだろう?「失敗」の責任を、誰がどうやって取る
だろう?

題して、「失敗、思い違いから読むシェイクスピア!」
最初の作品は、『ロミオとジュリエット』である。憎し
み合う二つの家の息子と娘が愛し合うようになり、つい
には悲劇的結末に・・・

この物語は広く知られている。『ロミオとジュリエット』
は芝居であり「絵空事」である。けれど、殺人の理由、切
掛がしっかり追及され、厳しい処罰が責任者に課されてい
る。

娯楽を見る観客のように、起こった出来事を「上」から目
線で「失敗」だったと裁くのではない。

授業ではむしろ、「失敗」の過程を水平の目線で綿密に観
察してゆく。どうしたらよかったかを、真剣に考える。「
失敗」の責任を誰が取るだろう。責任を取らない人物はい
ないだろうか?どうしてその人物は責任を取らないのだろ
う?取れないのだろう?このことを分析してゆく。

『ロミオとジュリエット』における「間違い」「失敗」:
二つの家の抗争、マーキューシオ殺し、ロミオのティボル
ト殺し、ロミオとジュリエットの秘密結婚、ロミオの流刑
地マンチュアからの脱出、パリス殺し、ロミオの毒薬飲み、
ジュリエット自死、事件の発覚と大公の結語。

授業では、これらの事件を丹念に追求してゆく。
『ロミオとジュリエット』の映画で、今日入手しやすいも
のが二つある。

●『ロミオとジュリエット』監督:フランコ・ゼッフェレ
ッリ、パラマウント映画、1968
 キャスト:ジュリエット:オリヴィア・ハッセイ、ロミオ
:レナード・ホワイティング

・フランコ・ゼッフェレッリ監督はオペラ演出家として有名。
イタリアの町でロケし、ルネッサン時代のヴェローナはこう
だったのではないかと思わせるような舞台背景、衣装を再現
している。また主人公ロミオ、ジュリエットが登場するとき、
それぞれのテーマ音楽を流すことでオペラ的効果を高めている。

●『ロミオとジュリエット』監督:バズ・ラーマン、20th
ォックス映画、1996
キャスト:ジュリエット:クレア・デーンズ、ロミオ:レオ
ナルド・デカプリオ

・現代の米国社会を背景においている。銃社会、車社会。警
察ヘリコプター。両家の抗争を裁く立場の大公は、黒人の警
察署長。マーキューシオは女装の黒人ダンサー。「街路」は
海水浴場の浜辺。ロレンスは、アメリカ先住民の風貌に近く、
文明社会以前の未開の魔術、薬物に詳しい。

バズ・ラーマン監督:1962年オーストラリア生まれ。オース
トラリア国立演劇学院で学ぶ。舞台演出家でもあり、オペラ
『ラ・ボエーム』を演出してトニー賞にノミネートされた。
『ロミオとジュリエット』で英国アカデミー賞受賞。

●4月8日(月)一回目の授業では、二つの映画を15分ず
つ試写した。どちらが、学生に受けるだろうか?
ロック・パンクのバズ・ラーマン版ではなく、思いがけずフ
ランコ・ゼッフェレッリ版を、85人中、65人の受講生が
選んだ。

歴史的背景、古典的で落ち着いたトーン、美しく甘い音楽の
ゼッフェレッリ版。

けれど、授業ではロック・パンクのバズ・ラーマン版を使用
することに。ゼッフェレッリ版が見たい者たちは、図書館や
TSUTAYAで借り出して、比較研究の材料にするといいだろう。

●こうして、4月15日(月)2回目の授業では、バズ・ラ
ーマン版で第2幕第2場まで進んだ。ジュリエットの家の仮
面舞踏会で出会った二人。互いに相手が敵方の家であること
を知る。

舞踏会の後、ロミオはジュリエットの家キャピュレット家の
屋敷に忍び込む。<バルコニーの場>である。

ジュリエット「おお、ロミオ、ロミオ、どうしてあなたはロ
ミオなの?お父様と縁を切り、ロミオという名をおすてにな
って。私の敵といっても、それはあなたのお名前だけ。モン
タギューの名をすてても、あなたはあなた。名前ってなに?
バラと呼んでる花を別の名前にしてみても美しい香りはその
まま。」

このようなセリフが交わされる映画を夢中で鑑賞する学生た
ち。短いリポートを書き終わって、100人ほどの頬を紅潮
させた彼ら彼女らが退席する。

「どお?面白かった?」

「うん!」

深くうなずく顔、顔、顔!

眼が輝いている。

これが、やまねこの幸福の瞬間である。



うらおもて・やまねこ


2013年4月17日水曜日

やまねこ通信264号 「正義」を語って疲労困憊の日々、こんな時はシェイクスピアに相談しよう!


@@@やまねこ通信264号@@@


「正義」を語って疲労する日々、こんな時はシェイクス
ピアに相談しよう!

一階にいる人と、二階にいる人が「喧嘩」すると、どち
らが勝つだろう?

こんなクイズを、小学生のやまねこたちに問いかける大
人がいた。

答えは、二階の人の勝ち。

なぜなら、下にいる者は、上を仰がねばならないから、
顎が上がって声が出しにくく、息が上がる。それだけで
負けなのだ。

この珍問と迷答を語ったのは、お寺の坊さんだった。
息が上がるさまを、落語よろしくぜいぜいと実演した。
下級生の特別授業。富山の昔話を聞いた折のことである。
昔話がどんなだったかは、ほとんど覚えていない。

●3.11大震災・東電福島原発事故後、経産省、東電、
旧保安院、原子力学者ら、「原発ムラ」の面々の発言を
聞いた。主体性のない無責任な虚偽の発言だった。

「ああ、これは第二の敗戦だ」
こう、やまねこは思った。

太平洋戦争下における軍部に指導された大本営発表にも
似て、見え見えの一時しのぎの発言が繰り返された。

「すぐには、影響はありません」「ほんんど心配はあり
ません」「健康には影響はありません」・・・

こうした「上」にいる支配体制の「嘘」の発表に対して、
「下」であるやまねこら一般市民は、どうやったら抗議
できるのだろう?

それから、テレビを朝から晩まで眺め、新聞2~3紙を
精密に読んでは、やまねこ通信で疑問反論を叫ぶ日々が
続いた。

ところが野田政権が財界と熱い抱擁をして以来、「終息
宣言」が出されたあたりから、視界が不良になった。

昨年末の衆院選自民党の勝利以後、原発事故などなかっ
たかのように、経済対策ばかりが前景に押し出されてい
る。バブルの80年代、「3丁目の夕日」の58年代の記
憶までもが、麻酔剤のように振りまかれる。

「アベノミクス」からク(苦)を引くと「アベノ・ミス」
となるなど、庶民の知恵はダジャレで繰り出される。

この背景に、増える一方の放射性汚染水を入れたタンク
群が並ぶ灰色の光景が広がり、汚染水プールのビニール
シートが破れて地下に浸透し、海に漏れ出すことも・・・

「正義」の発言は無力の極みに沈む。二階の権力者と「喧
嘩」する階下の一般市民たちは、顎が上がって、税税、な
らぬゼイゼイ吐息をつくしかない。

「正義」がこんなに無力な世の中を作ってきた大人の一人
として、何か道はないか考える。「脱原発」は当たり前の
ことだ。これを言い続けるしかない。けれど・・・

●こんな時は、シェイクスピア作品に相談するのがいい!

(以下は、「物語の力II」授業資料より)
「人は「失敗」をする生き物である。
「失敗」が起こったとき、誰が、どうやって責任を取るの
だろう?どのようにして「正しいこと」=「正義」が行わ
れるべきとの命令が下されるのだろう。どうやって「失敗」
が償われるのだろう?

どうやったら、ひとりひとりの私たちは、「正しいこと」=
「正義」を実行できるようになるのだろう。

「盗みをするな」「人を殺すな」と教えられたら、果たし
て私たちはしないだろうか?「思い違い」や「失敗」をし
たとき、どのように「失敗」を認めて、「正義」に向かう
新しい選択をしたらいいのだろう?どうやったら、その選
択をする個人が誕生するのだろう?

私たちは「間違い」「失敗」がなされている現場をじっ
くり見たほうがいいのではないだろうか?悲劇では、人の
行う「失敗」「思い違い」が、幾度も幾度も描かれる。ど
のようにして、「間違い」「失敗」が起こっているだろう?
その中で、どうやって、「間違い」「失敗」が償われてい
るかを観察して考えるといい。

物語の力I 2013年版では、このことを、シェイクスピアの
悲劇を通じて学ぶことにしよう」。


うらおもて・やまねこでした。






やまねこ通信263号 NHK朝いち「イクメン」への疑問と不満、「子育て、どうしたらいいの?」第6回勉強会



@@@やまねこ通信263号@@@


NHK朝いち「イクメン」への疑問と不満、「子育て、
どうしたらいいの?」ネット第6回勉強会

朝ごはん食べながら、テレビで「朝いち」を見る。「イ
クメン」の一日を紹介している。男性は、一日何時間、
「イクメン」するのだろう?

NHKのサイトを開いてみた:
「イクメン」という言葉が流行語に選ばれたのは201
0年のこと。それ以来、育児に参加する男性は年々増加
し、今では珍しくなくなりつつあります。イクメンは、
妻にとってはありがたい存在。

しかし、あさイチでアンケートを行ったところ、妻からは
「イクメンってどこまでしてくれること?」「気まぐれに
手伝われるとよけいに迷惑」など、イクメンに関する疑問
や不満がうずまいていることが分かりました。

そこで、専門家に尋ねたところ、妻側のニーズとかみ合わ
ない『イクメンもどき』や『やりすぎイクメン』といった
ケースが増えているとのこと。果たして『イクメンもどき』
とは、いかなるものなのか?そして、流行語から3年たった
今、あらためて「イクメン」とは何かを考えます。

●「イクメン」「カジメン」の名はメディアに頻出している。
ところがその割に、「実働時間」が少ない。

「夫婦と子どものいる所帯の平日の家事育児時間」
無業の妻     7時間48分   
有業の妻(共働き)4時間23分

妻が無業の夫   15分
妻が有業の夫   11分
(家事育児時間とは、家事、介護・看護、買物と育児の合計
時間)

ところがこの現状に対して妻が不満をもつだろうか?
「夫の家事分担は十分か」との質問に対し、
「充分・どちらかといえば充分」の回答を合わせると
42.5%
「不十分・どちらかといえば充分」の回答を合わせると32.
1%である。
残り22.7%は「どちらともいえない」の回答。
(1992年経済企画庁「国民生活選好度調査より作成され
た資料より)

これを見ると、日本社会では、妻が夫の協力を期待することを
諦めていることが分かる。

出典:大日向雅美著『子そだてに出会うとき』(NHKブックス、
1999年)

●この調査が古いのでは、と懸念する方には、最近の話をお
伝えしよう。

地域社会で聞こえてくる光景。
「息子が料理作ったりするのを見ると、イライラする。嫁に
やらせればいいのに!」
やまねこと同世代の女性の発言である。

一方、こんな話も。
「男性が残業するのは、5時に帰宅すると、子供の世話を押し
付けられるから。仕事してるフリして、子どもが寝付いた頃
に帰る。仕事と称して一杯飲むのもおんなじ」

男性だけが、「仕事でござ~い」、と家庭の義務を免除される。

妻がこの免除を認めなければいいのだが・・・
社会の中心的トレンドとの相関関係なんだろうね。

こうした話題が語られる行事のお知らせ!

第6回 ちの男女共生ネット勉強会

「子育ては、どうしたらいいの?」

不安の中のお母さん、子育てについて語りつくそう!

夫と話しますか?二人で育児してますか?保育園はどうですか
?送り迎えは誰が?相談相手いますか?「母性神話」「三歳児
神話」って何?職場は続いていますか?
シングルマザーの皆さん、参加してくださいね!

4月27日(土)午後1時~3時半
茅野市家庭教育センター
会費:300円
参考書は大日向雅美著『子そだてに出会うとき』NHKブックス、
1999年

今回は、保育士看護師の資格と経験をもち、2人の子育て経験
者、現在はお孫さんの世話を求められているネットの頼もしい
仲間、つねこさんに主力になってもらう予定。資料を作らねば。

無料託児受付中。20日締切。
ちの男女共生ネットのチラシを訪問してくださいね。


●7月20日(土)第7回勉強会の予告。

斎藤美奈子(文芸評論家)が茅野で講演!
7月20日(土)午後1時半~3時半、家庭教育センター
「日本の文化と男女のモンダイーー3.11後の視点から」

参加費:500円

『妊娠小説』『紅一点論』『モダンガール論』『それってどうなの主義』『名作
うしろ読み』
『文章読本さん江』で、第一回小林秀雄賞受賞の斎藤美奈子

一読三嘆、抱腹絶倒、真理を穿つ、美奈子節の炸裂!!
驚異の茅野講演会は、丸岡秀子が取り持つご縁!

どうぞお楽しみに!! 
今から日程を空けてくださいね。


うらおもて・やまねこでした。

やまねこ通信262号 「小学生の英検受験20万人突破…英語必修化で」、小学英語の授業はどうやったらいいのかしら?


@@@やまねこ通信262号@@@

「小学生の英検受験20万人突破…英語必修化で」

との読売新聞見出し。

(以下、読売ウェブ・引用)
英語能力を判定する実用英語技能検定(英検)を受験す
る小学生が増加し、2012年度の志願者数が初めて2
0万人を突破したことが、日本英語検定協会のまとめで
明らかになった。

10年で1・8倍に増え、特に低学年の伸び率が大きい。

高学年での英語必修化やグローバル化の影響で、親の熱
意が高まっているようだ。

今月設立50年を迎えた同協会によると、12年度の英

検志願者数は、全体で約231万9400人。1~5級
の内容は大人も子どもも同一で、小学生の志願者数は約
20万6800人。02年度より約9万人増えた。

今回初めて公表した年齢別志願者数は、

6歳が4200人で02年度の4・6倍。
7歳が7516人で同2・9倍。
就学前の5歳児は2410人で、7・7倍に増えた。

志願者に対する合格率は、中学1年程度とされる5級で、
小学生は8割を超え、全体の合格率を上回った。

大学生レベルの準1級合格者も12年度は300人を超
えた。(引用・以上)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130401-OYT1T00712.htm


●小学校で英語が必修になっている。現在は英語の担当
教員はいない。ALTが市内の幾つもの小学校を巡回して教
える市町村がある。

一方、日本人で英語が得意な市民に、一定の資格を発行し、
小学校に英語教員として派遣する制度が実施されていると
いう。資格の基準は、英検準1級あるいはTOEIC730点。


●様々な習熟度の子どもがいる中で、小学校の英語教育は
どうしたらいいのだろう?帰国児童、熱心な親の指導のも
と英語学校での授業を経験し、英検に合格した児童と、英
語学習歴ゼロ児童が同じクラスで授業を受けるのだろうか?

昨日、大学で、同僚のたかこさんと、この話題で盛り上が
った。この大学では、段階別調査を新入生に課して、3段階
のクラスに分けている。


小学英語が「楽しく英語に触れる」ことを目的にするのだ
ったら、今のままでいいかもしれない。


けれど、英語能力を伸ばすことが目的だったら、やはり段
階別クラスが必要であろう。このことに意見が一致した。

さらに言えば、学年での段階ではない。1年から6年までの
児童を、英語習熟度別のクラスに配置する必要があるかもし
れないね。

こんなところにまで話が発展した。


うらおもて・やまねこでした。


2013年4月15日月曜日

どうして日本人は英語が話せないのか?今春から「英語の授業は英語で」!!



@@@やまねこ通信261号@@@

諏訪地域にも桜が開いた。諏訪湖周囲を散策すると、つ
ぼみに7分咲き満開などさまざまな開き方の桜の木が入り
混じっている。「山わらう」季節である。

新学期が始まった。やまねこは、今年の前期、半年ぶり
に英語を一コマ担当する。一年生の必修科目である。
授業は、基礎文法の整理と訳読をする予定である。

●文科省の発行する新学習指導要領に「英語の授業は英
語で行うことを基本とする」という新ルールが盛り込ま
れた。今春から完全実施される予定である。

(以下、毎日新聞ウェブ版)
その結果、3月26日、検定結果が発表された教科書を
見ると、多くがスピーチやディベートなど「コミュニケ
ーション重視」を前面に出し、日本語の記述を減らして
いる。

文中の文法事項は、それらの合間に挟み込む形で付随的
に学ばせるものが多い。

これに対して、ある東京都立高の50代の女性教諭は「
文法が体系的に学べない。これでは生徒の頭の中に英語
の形が整理されない」と危惧する。読む・聞く・話す・
書くの4技能を総合的に学べるのが「コミュニケーショ
ン英語」の売りだが「すべてがグチャグチャに混ざって
中途半端になる」と生徒の混乱を予想する。

指導上の不安、疑問の声が聞かれる中、採択されたのは、
まるで文法のワークブックみたいな「文法重視」の従来
型教科書だったという。全体のシェアの42%を占める
という皮肉な結果が生まれた。

これに対して文科省は、「各校が最も適切な教科書を選
んでいるのだろう」と静観する構えという。

毎日新聞の全文は次のURLをクリックしてください。

●実際に英語を使えるようにするためには、中学文法に
習熟すれば良いと、やまねこは考えている。これは英検
3級の水準である。

けれど、これが身につくためには、体系的学習が必要で
ある。文科省のいう「文法事項は、合間に挟み込む形で
付随的に学ばせる」ようでは、とても身につかないだろう。

高校で勉強する文法の中には、大学入試の難問対応のも
のがあり、実際にはあまり使われない表現が、試験対策
として登場している。

●新指導要領の「会話中心」の方針にもかかわらず、英
文法中心型の教科書を選んだ先生方の考えをやまねこは
当然だと受け止める。

けれど、それが大学受験に有利だからとの理由だったら、
「使える英語」の道とは違った道であろう。

英語が大学入試科目であって、文法が「難しいもの」で
ある限り、「コミュニケーション中心」の英語学習には
繋がらない

基礎文法に習熟すれば、「読む・聞く・話す・書くの4技能」の
どれにも役立つはずである。ここを解きほぐすことが重要である。

●外国語を学習する際に、文法学習は無駄であるばかり
か、有害であると語る人々が少なくない。

文法を軽視していい時はどんな時だろう?

その外国語が使われている国や地域で暮らす時である。
ネイティヴスピーカーである周囲の人々の話を聞くこと
で、耳が慣れ、語彙が増え、やりとりする時には、相手
の語る表現を再利用し使い回すだけで、どんどん話せる
ようになる。日常的には、辞書も文法書も要らない。

●ところが日本のように、日本語という母語があり、日
本語の新聞雑誌のみで何ら不自由することのない文化、
「文学全集が出版されている少数の言語文化」(水村美
苗『日本語が亡びるとき』)、日本語社会が確固として
存在している国では、こうはゆかない。

英語は一般の日本人にとり、第二言語である。生活環境
で、実際に使うことのない外国語を習得するには、文法
は必要不可欠な支えである。

基礎文法が身についていれば、外国に行ってからの会話
の習得が容易になる。言語構造が身についているから
ある。

第二言語であっても、インド、フィリッピンなどの旧植
民地の国々では、国内の公用語が英語で、小学校に上が
ると授業は全て英語で行われる。(インドの公用語は独
立後ヒンドウー語と定められたが、英語中心が改まらな
い。)

このような国々での英語学習と、日本での英語学習を同
列に論じるわけにはいかない。

「英語の授業は英語で」との方針を出し、文法の配分
を小さくした文科省は、このことをどのように考えてい
るのだろう。

ましてや、ディベート、スピーチ、プレゼンテーション
など、日本語で日常的に行うことがない表現手段を、英
語で指導するためには、教員たちが訓練を受けねばなら
ない。

一方で、小学校での英語学習が義務化している。そこで
教える教員は、英語教員の資格が必要ではない。全国の
小学校でで指導する英語教員を用意することができなか
ったためであろう。
多くの場合、担当者は、ネイティブスピカーであるALT
若者たちである。

英語学習の目的が時代によって変化してきた。今日では
グローバル世界で活動するコミュニケーション能力が英
語学習の目的である。

教員たちに課されているのは、ネイティブスピーカーと
同様の言語能力である。
やまねこの同業者である友人、知人の英語の教員は、絶
えず英語の音声に触れ、新聞雑誌を読んで地道な努力を
怠らない方々が多い。

英語の文学を研究し楽しむために書物を読むのとは全然違うこう
した習慣。
やまねこにとり、この習慣は過去のものである。


うらおもて・やまねこでした。