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2015年2月28日土曜日

やまねこ通信310号:原発汚染水が流れ込む海、怒りを通り越して悲しみに沈む

@@@やまねこ通信310号@@@

原発汚染水が流れ込む海、怒りを通り越して悲しみに沈む

いわき市の漁業従事者が怒りを通り越して悲しみに沈んでいた。
NHKニュース深読み。

事故から4年目の現在。原発事故以後休止を余儀なくされていた操
業が2年前にいわき漁港で再開した。ようやく生業を再開した漁民
たち。

外海に汚染水は出さないとの東電の発表を信じるわけにいかないと、
反対する人々も多かった。けれど漁業を次の世代に繋ぎたい。この
思いで組合の委員長を引き受けてきた男性。測定を続け、ようやく
市場の信頼が得られ軌道に乗った時期だった。

東電は堤防の中に汚染水が封じ込められていると「保証」してきた。
それを「信頼」してこの2年漁業再開した漁民たち。ところが昨年
はじめから、汚染水が建屋付近から流れだし堤防の外の海の汚染濃
度が高まったことを東電は把握していた。けれど公表しなかった。

生業の足元がグラッと傾いた漁民たち。
漁民たちの仕事の現場を汚染する「加害」企業東電。この加害者が
外海には汚染水を排出しないことを「保証」してくれることを信じ
るしかない漁民たち。

「東電なんか信じるな」と語りたい。部外者のやまねこはそう思う。
けれど、暮らしが成り立たない。将来に漁業を引き継げない。

だから信頼の細い糸を握りしめて漁民たちは次の一歩を踏み出した。
ところがこのか細い糸を、一年前から東電が断ち切っていた。

海に汚染水が流入することで、「困る人がいるとの想像力が及ば
なかった」と東電・広瀬社長。

「想像力の不足」は加害であり罪ではないのだろうか。
相手に害を与えること「加害」とは、刃物を相手の首に打ち下ろ
して血を流すことばかりだろうか?

刃物を振り回すひとりの加害者が及びもつかぬ放射性物質の放出
で数え切れぬ人々のいのちを奪い何世代にもわたって危機にさらし、
この4年間、多数の人々の暮らしも職業もゼロに帰した「加害者」
こそ東電ではないのか?

この巨大な「加害」をした東電が、「困る人がいるとの想像がばな
かった」だけで済まされるのだろうか?

「今後反省してもらいたい」と原子力規制委員会・田中委員長。
原子力規制委員会は東電の誤りを監視する機関のはずではないのか。

「加害者」を監視する機関が機能しないのはなぜだろう?

「加害者」が発表義務を怠り、漁業者の何年もの努力をゼロにして
も、「反省」すればそれで済むのだろうか?
どうやったら、「反省」したことになるのだろう?

メディア取材陣の前で、お辞儀し10秒頭を下げる。
これで「反省」のみそぎは終わり。こうした倫理・道徳教育の実例
がこの国の社会で日々繰り返されている。

恐ろしい無法国家への道にアクセルをグイと踏み込んでいる日本!
無法者が支配することで社会のすみずみにまで退廃が忍び込んでゆく
この国。

これを眺めて若い世代は育つ。

怒りを通り越して悲しいばかりの光景がいたるところに広がる。



うらおもて・やまねこでした。