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2016年6月30日木曜日

やまねこ通信353号:憲法もう古いから、そろそろ変えたらいい!?」、入場券なくても投票できますよ。

「憲法もう古いから、そろそろ変えたらいい!?」、入場券なくても投票できますよ。
@@@やまねこ通信353号@@@

4年前、東京のガン研有明病院で入院手術した。左足の骨
腫瘍。幸い良性だった。手術後のリハビリで若い男性スタ
ッフに助けられた。20代前半の理学療法士(本当は「身
体療法士」と呼ぶべきだが)。

彼らは目下修行中の身で、技術的にはいまいちだったが、
熱心さには誰にも負けないスタッフだった。その節は、あ
りがとうございました。

比較的のんびりしたリハビリ室だったから時に雑談に花を
咲かせた。
ある日、憲法の話題をやまねこは若者たちに投げかけた。

「憲法を改憲しようという政党があるけど、どう思う?」
3人の若者は、う~んと言葉を濁した。
いちばん誠実に見える若者が答えた。
「もう古いから、変えてもいいんじゃないですか!」

やまねこは、反射的に切り返した。
あれっ!あなたがそんなこと考えてるのお?!
それは悲しいのう!
ファッションみたいに古くなったら取り替えれば良いって
もんじゃないんだぞ、憲法は!あれっ、憲法の前文読んだ
ことないかな?」
3人の若者は、そろってうな垂れた。かすかに赤面してい
る。

「学校で習う機会がなかったんだね。それは学校が良くな
かった。でもこれから読んだらいい。戦争でたくさんの人
が死んだ。そのあとに、ようやく戦争放棄、基本的人権、
民主主義が得られたのよ。だから今みたいな暮しが・・・」。

若者のひとりが言った。
「憲法はどうやったら読めるんですか?」
そうか、そうか。
「小学館から以前出版されたよ。今だったら文庫に入って
るかもしれない」
「へえ、小学館から!!」

少年サンデー、ビッグコミック、若者カルチャーの殿堂小
学館。身近なところに憲法があるんだ。3人の目が輝いた。

これがリハビリ最後の日だった。
その後、再診で病院に行った時、車椅子を押している若者
を見かけた。すれ違うとき目があった。若者はなつかしそ
うに目を細めた。

憲法読んでくれたのだったらうれしいな。こんな思いがチ
ラとやまねこの意識をかすめた。

▲ところで、期日前投票に行こうと思ったが、入場券が見
当たらないぞ。あれっ!いつ配達されたかしら?受け取っ
てれば、カバンの同じ場所に収めるのに。旅行中に配達さ
れ、帰宅後に片付けるとき間違ってクズ箱に入れたかも。
再発行してもらわねば。そこで市役所の選管事務所に電話。

投票所で「誓約書」を書けば何もいらないんだって。身分
証明も不要。ホッ!

▲こんな投稿をFacebookにした。するとFB友達が反応を寄
せてくれる。
以下は、そのやり取り。

ひろみさん「身分証明書もいらないんですか?」

やまねこ「そうなの。手ぶらで行けばいいの。何時間も家
の中を探し回るのだったら、からだひとつで投票所に行け
ばいいんだ」。

ひろみさん「何回も期日前投票の立会いやってるのに、今
頃知ってお恥ずかしい(/ _ ; )

やまねこ「うっふふ。ここだけの話。でも知らなかったよ
ね。入場券なくしたら投票諦める人きっといると思うよ。
真面目な人に限って。選管は大々的に<入場券はなくても
いいですよ>と宣伝してもらうといいかも」。

やまねこ「入場券なくしたら、めんどい手続きして謝罪し
て、晒し者になって、カッコ悪いなあ。こんな悩み抱えて
る人きっといると思うよ」。

こんなことでございます。入場券なくても大丈夫だから
投票所に足を運びましょう。


うらおもて・やまねこでした。

2016年6月29日水曜日

やまねこ通信352号:杉尾ひでや候補と語った、「男らしさ」から男性を解放しよう、

杉尾ひでや候補と語った、「男らしさ」から男性を解放しよう、
@@@やまねこ通信352号@@@

信州市民連合の参議院選挙候補者杉尾ひでやさんの集会に
やまねこは何度か出ている。

杉尾ひでやさんは話しかけやすい。茅野でのある晩の集会
が始まる前、前回の諏訪の集会に参加して気づいたことを
伝えることにした。

「杉尾さん、女子会でのお話、面白く伺いました。男女共
同参画にするには、クオータ制が必要だとのお話は拍手で
迎えられましたね。最後に、女性と若者に期待していると
おっしゃいました。

ただ、それではまだ、半分でしかないと思うんです。
あとの半分、男性たちが手つかずのままですからね。
こうした集会を開いても、女性と、年金世代の男性、活動
する若者たちばかりが集まります。
勤労世代の男性がまったく参加しないんです。脱原発の集
会においても同じです。
どうしたらこの固い岩盤を崩すことができるでしょう」。

杉尾ひでやさんは、親しみあふれる表情ですぐに答えた。
「それはね。わたしはよく分かるんです。わたしだって同
じだったんですよ。会社人間だったんです。外に目が向く
ようになったのはずっと後になってでした」。

「佐高信が<社畜>という言葉を使いますね。会社の奴隷
以下。モノを考えることをしない勤労者を批判した言葉で
す。会社や役所で昼間働いて給料を得る。そこでの同調圧
力に身を任せるしかないのは理解できますとも。

だけど、頭の中に一点の自由の領域を持ってほしいなあ。
一点でいいから、自由を行使して、投票行動につなげて欲
しい。こんな呼びかけをしてもらえたらいいなあ、と思っ
てます」

「分かりました。その通りですね」
杉尾ひでやさんは、深くうなずいた。

理解がとても早くて気持ちの通じやすい人だと思った。

▲長野県区は定員一名である。
自民党の若林けんた候補は、自民党改憲草案の作成委員で
あり、靖国参拝議員連盟の一員である。
基本的人権、男女平等の日本国憲法をやめて、「個人より
国家が大事」という憲法に変えたいと考えている人物であ
る。

どうみても、「男らしさ」からの解放とは反対の方向を向
いている自民党改憲草案。これを作った責任者のひとりが
若林けんた候補です。

▲二度と戦争はイヤだ。これは敗戦の年に生まれたやまね
こが、言葉にする以前の信条である。
「自分らしい生き方」がしやす社会が欲しい。こう思って
やまねこはこの30年ばかり活動してきた。

特定秘密保護法、安保法制など、戦後を逆回転させる恐ろ
しい方向に向かう力を、何とかして食い止めなくてはなり
ません。

▲このように思っている矢先に、毎日新聞の水説というコ
ラムに本日、論説委員・中村秀明が寄稿。
題して「男がつらいよ」

だれもが幸せになる社会を作るため「男性学」の研究をし
ている若手の社会学者が定年退職者にインタビューをした
武蔵大学社会学部の田中俊之助教。

 「約40年、働いてきてどうでしたか?」
 男性は首をかしげながらつぶやいた。
 「それが何をしたのか、わからないんです」
 また、別の男性は同じ問いかけにしばらく沈黙し、絞り
出すように言った。
 「残念でした……」
 
だれもが生きやすい社会にするため、田中さんは「男性学」
の研究を続けている。最近、話題になる機会が増えたが、
学問としての歴史は20年程度の研究分野。

世の中に浸透した「男はこうであらねばならない」という
固定観念に「ちょっと待って」「本当にそうですか」と問
い直すものだと、田中さんは説明する。この春には「男が
働かない、いいじゃないか!」(講談社)を出した。

本の中では、たとえば「長時間労働」を取り上げ、「週4
0時間が最低限と考え、それを超えて働くのは当たり前と
いう発想はやめたらどうか」と訴えた。週40時間が当た
り前で、それ以上は普通ではない。だからこそ雇う側は「
罰則」として超過勤務手当を払うのである。
 読者からは「いままで疑問にも思わなかった」「考えも
しなかったことを教えられた」との反応が届いた。
 
 産業能率大学は毎年、新入社員に「目指す役職は?」と
尋ねている。最新の結果が今月発表になった。
 部長クラスが約21%で最も多く、社長は10%を切っ
た。社長が10%前後なのはここ数年の傾向だ。1990
年代はおおむね20%を超え、3分の1が「社長を目指す」
と答えた年もあった。
 彼らは今、中高年だ。「競争に負けるな」「大きな夢を
持て」と、こうであらねばならないを期待され、応じてき
た。「つらいよ」と言えず、下にもそれを許すことができ
ない人が多い。彼らは「なかなか引き返せない世代だろう」
と田中さんはみている。
 若い世代の意識は着実に変わりつつある。ただ、組織の
中で引き返せない世代に抑えつけられ、取り込まれて同じ
道を歩むことにならないかと心配だ。その危機感から近著
は書かれている。
 「もっと自分を大切にしてほしいのです」。田中さんの
単純で、それでいて難しい助言である。(論説委員)

▲「男性学」はこの20年だっただろうか。女性に課され
ている出産、子育て、介護、良妻賢母などを問い直した
「女性学」に刺激され生まれた分野である。

企業戦士、昇進、一家を養う、など、男たちが当然のよう
に背負わされている「責任」を軽くしてもいいんだ。逆に、
「女の仕事」と言われて来た、育児、家事を男がしてもい
いんだ。「誰もが生きやすい社会」を作ろうよ。このよう
な考えから北欧発信の「ワーク・ライフ・バランス」とい
う生き方、働き方の改革が生み出されている。

▲「『たそがれ清兵衛』を男性学で読む」という市民講座
をやまねこたちは開いた。山田洋次監督、藤沢周平原作の
名作こそ、男性学のモデルとしてふさわしかった。「北の
零年をジェンダーで読む」などの勉強会も。8年ほど前の
こと。


うらおもて・やまねこでした

2016年6月26日日曜日

やまねこ通信351号:ジェンダー差別は、気づかないですることが多い。悪気とは限らないから厄介なんだ!

ジェンダー差別は、気づいてないことが多い。
悪気とは限らないから厄介なんだ!

@@@やまねこ通信351号@@@

女たちが共同作業で常に同行していると、職場の人々や廊下
ですれ違う人々に「仲が良いですね」と言われることがある
と最近聞きました。

比較的年配の男性かと思うと、必ずしもそうではない。
この発言者は自分では「善意」で女たちにお愛想を言い、も
しかしたら賞賛しているつもりです。

けれど、男性が共同作業で常に一緒にいる時に、「仲がいい
ですね」などと言う者があるだろうか?

女たちに対しては言う。けれど男には言わない。この差のあ
る行動を「ジェンダー差別」と呼びます。
「ジェンダー差別」は、けっして悪い人々が、悪意を持って
するばかりではありません。

「男性社会」の中で生きている人々は、男性であれ、女性で
あれ、アタマの前頭葉にこんな考えが根強く刻み込まれてい
ます。でも自分では気づいてないのです。

 女は「感情の動物」だ。だから「好き嫌い」で相手を選ぶ。
 家庭であれ、職場であれ女たちの傾向は変わらない。
 一緒にいる女同士は、「仲がいい」のだ。
 それが「快適」であり「心地いいから」。
 結局、女はどこにいても、ネコみたいに「心地よさ」を選
 んで「遊んで」いる。
 どれくらい本気で仕事してるんだろうね?

そのとおり。
さきほど「仲がいいですね」と「賞賛」した男性は、子ども
を褒めると同じ、上から目線でお愛想を言ったのです。なぜ
なら、子どもではない成人が職場において「仲が良い」こと
は賞賛の対象ではないからです。

成人男性同士が職場で同伴している時、「仲が良い」などと
失礼なことを誰が言うでしょう。

 男性は、「責任感が強い」から「職務」を第一に考える。
 常々同行する相手は「業務上」の協力者である。
 男性が同行してると「仕事熱心」とみなされ、賞賛の対象
 である。
「仲が良い」なんて誰も言わない。子どもじゃあるまいし!
 だから男には安心して仕事を任すことができる。

「男は仕事、女は家庭」「女は子どもを産む機械」と発言す
ることだけがジェンダー差別ではありません。
仕事してる女たちに、「仲がいいですね」と「善意」めかし
た評価を投げかけること。
これも男性とは異なり、女性を子供扱いにした立派な「ジェ
ンダー差別」なのです。

▲「女は家事子育てに向いており、その仕事を好んでいる」。
このように「女は家庭」「男は仕事」「女は補助的」「男は
上司」と決め付ける思考の枠組みを、「ステレオタイプ」と
いいます。

自分の頭の中に「ステレオタイプ」が宿っていて、自分がそ
れに支配されているとことは、ほとんど誰も気づかないまま
です。

でも、このステレオタイプの思考によって、社会の政策が決
められ、誰も不思議に思わないことが多いのです。

保育士の給料は、同世代の別の職業と比べて、月額10万
円安いと言われています。
行政の人に尋ねると、計算の仕方が人口比だから市町村で違
うとか、とても理解できない難しい話が語られ、流布してい
ます。

けれど根底にひそんでいるのは、シンプルなジェンダー差別
のステレオタイプなんです。

「保育園は女が子どもたちと遊ぶ場所だ。女は子どもあやす
 のが好きだからね。結婚してりゃ給料はたいしていらんだ
 ろう。女が一家を養うわけじゃない」。

これが政策決定をしてきた「男性社会」のステレオタイプの
考えです。
ここでは、「女は子どもを生む」「育てることが好き」「結
婚している」「一家を養うことはない」。
このような事柄が、当たり前のように前提にされています。

これが「男性社会」の考えであり、そこに生きる男も女も、
頭を支配されているパターン化された考えです。

この考えで政策が決定された社会では、結婚しない女たち、
親を養う女たち、シングルマザーの女たち、稼ぎのない夫の
代わりに一家を担う女たち。この人々の暮らしが成り立たな
くなるのです。

現在、シングルマザーと高齢女性の貧困者が多いのは、こう
した政策の結果です。
女たちの人権が無視されている。何とかして変えなくてはな
りません。

▲「女は子供を産んでりゃいい」という言葉、女性を「母ち
ゃん」と決め付けること。それに職場や社会、地域で出会う
女性たちを「酒場のホステス」のようにあつかうこと。
これが一般的にみられる不愉快な、「ジェンダー差別」です。

でも、ジェンダー差別には様々なあわれがあります。これを
口にする男性、それに女性は、悪意で行っているとは限りま
せん。

だから、「反論」するときは、対応をしっかり組み立て、分
析してある程度、論理的展開をしないとならない。でないと、

「だから女は困るんだ。すぐに感情的に怒るから」

と再度のジェンダー差別を強化するだけに終わりかねません。

「女は子どもを産む機械だ」と発言した柳沢伯夫という政治
家は辞職しました。けれどその発言が悪いとは最後まで理解
できませんでした。だから「誤解を招く発言をした」として、
謝罪するのです。本人は、「女たちは子どもをたくさん生ん
でほしい」と言ったことがどうして悪いのかわかっていない
のです。

▲女性がどんな職業を選ぶか、結婚するかしないか、誰を結
婚相手に選ぶのか。子どもを生むか生まないか、いつ、どの
相手と何人生むか。
これはひとりひとりの女たちが選択することです。女たちは
自分で決定する権利をもっています。
国や社会から「ああしろ、こおしろ」と言われ、服従しなく
てはいけないことではありません。

女性の権利を侵害するような事柄を、公人である国会地方議
会議員などは、公の場所で発言してはならないのです。

戦前の明治憲法下では、女たちが家父長体制下、親たちの
命令に従うしかなく、泣く泣く服従していました。親の言い
つけ通りにしなかったら、職業のない時代の女たちは生きる
すべがなかったからです。

幸い、日本国憲法は、男女平等をとなえ、結婚は両性の合意
によってすることを定めました。

職場で、ご近所で、「何か変なこと言われたよ!」と思った
ら、ぜひやまねこに連絡してくださいね。

▲選択的夫婦別姓が立法化されることは、働く女たちの不便
や悩みを取り除いてくれる法律。ところが、これに反対する
女性閣僚が多いのです。自民党の男性議員も。どうして?・・・




うらおもて・やまねこでした。

やまねこ通信350号:昭和20年代の小学生、クラス担任の産休

@@@やまねこ通信350号@@@

 昭和20年代の小学生、クラス担任の産休

富山で4月と6月の2度滞在した。まずは4月23日から
5日間。小学校のクラス会だった。61歳の時、はじめて
声を掛けてもらった。今回は2度目である。

富山市立柳町小学校に1951年(昭和32年)入学した
1年3組の面々である。50人クラスで男子女子25人の
半々だった。平田先生4年間、村田先生2年間。20代だ
った二人の先生はどちらも産休を取った。

2年のとき、平田先生が産休。産休の先生が代理の担任と
してやってきただろうか?違うのだ。じゃあ、どうしたの?

学年は5クラスだった。学校側は、平田学級の50人の児童
を他の4クラスに分けて送り込んだ。50/4=12.5。
12人~13人ずつ、子どもたちは他のクラスにバラまか
れた。子どもたちのディアスポラである。

柳町小学校は昭和20年8月2日夜の富山大空襲で校舎が
消失し、2年後に9教室を新築して以後、年々増築していっ
た。(このことは、インターネットで柳町小学校の沿革を
調べて分かったことだ。ネットはまことに便利)。

やまねこの2年上の学年は、2部授業をしていた。上級生
午前中に授業したクラスを、午後から下級生が使ったの
だ。教室不足と教員不足の両方だったのだろう。給食はこ
の時期はまだなかったはず。

運命のお別れの日、子どもたちは自分の椅子と机を指示さ
れた別教室に運び込んだ。

50人教室はすでにぎっしりである。そこに、やまねこた
ち平田級の12人が一時的に難民児童として割り込んだの
だ。2列増やすスペースを確保するため、机と机の間の通
路が埋まってしまった。最後列は後ろの壁との間に隙間が
なくなった。休み時間に外に出るときは、机の上を渡るし
かないこともあった。

窮屈なのも困ったが、別のクラスの授業では、お客さん同
然で、肩身が狭かったことは忘れない。

▲5年のとき、村田先生が産休に入った。この時は教室を
移動することはなく、何人かの先生が交代で教えた。5年
になってクラス担任の指導の仕方に対して批判的な目で接
していたやまねこは、担任が産休に入って実はほっとして
いた。これで帰ってこなきゃいいのにと思っていたが、し
ばらくして彼女は復帰した。

2回も産休に出会うなんて運が悪いと、家では祖母がこぼし
ていたような気がする。

▲今回のクラス会には、女子6人男子6人の12人が参加
した。前回のクラス会を開いたとき、住所録を作成してく
れた名幹事がいた。中学の同窓会名簿で消息を調べ、でき
るだけ新しい住所を探し当てた功労者たち。

ひとりは山川禎一郎くん。富山では知らぬ人のいない山川
いもやの三代目店主。冬は焼き芋、夏は独特のカキ氷とア
イスクリームが名物で、昔から行列が絶えなかった。お客
も三代四代と続いている。
いたち川ほとりの泉町。今は4代目の息子さんに代替わり
したという。

もうひとりの功労者は名簿に書き込んで印刷した元中学教
師きよこさん。

会場は第一ホテル富山の地下1階割烹松川。
二次会はホテル内、三次会は富山市の歓楽街桜木町のなか
なか気持ちのいいお店だった。そこで12時過ぎまで別れ
がたい時間を過ごした。

1年から3年まで、クラスで緘黙児童だったやまねこ。小
学校のクラスメイトは鬼門だと思い近寄らなかったが、そ
れが実は思いがけぬ玉手箱であったことが判明。わかった
頃には、髪の毛が白くなっていたのだけれど。



うらおもて・やまねこでした。

2016年6月24日金曜日

やまねこ通信349号:『とと姉ちゃん』とのそっくり感、どうして伝えたらいいもん じゃろうのお~?

『とと姉ちゃん』とのそっくり感、どうして伝えたらいいもん
じゃろうのお~」

@@@やまねこ通信349号@@@

「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げ
ます。大本営陸海軍部、十二月八日午前六時発。
「帝国陸海軍は本八日未明、西太平洋においてアメリカ、
イギリス軍と戦闘状態に入れり。」

NHK朝ドラ『とと姉ちゃん』一家が朝ごはんの最中、ラジオ
がニュースを伝えた。

「戦争始めて、いつ終わるのかしら」と母・君子。
「こんなに物資がないのに戦争なんかできるのかい!」と
祖母・滝子。

舞台は目下、母君子の実家、東京深川で200年の老舗を
誇る材木商青柳商店。今日は、真珠湾攻撃の日だった。

戦争に人手と予算をもってゆかれ深川の材木商はジリ貧状
態、従業員を解雇していた。常子の祖母滝子の養子で現社
長の清は、商売の先行きに苦慮し、今では木材統制をする
組合に勤務している。お陰で工場の宿舎を建築する木材調
達の話が舞い込む。ところが予定された建築は4畳半に4
が暮らす部屋。祖母の滝子は大反対。
「そんな建物は人間の暮らす場所ではない!青柳の材木は
出せない!」
けれど養子の体面を重視し、滝子が承諾した後だった。

陸軍の言い分を聞いていれば商売だけは許される、と清は
思っていた。ところがその目論見が外れる。青柳商店は陸
軍の事務所に徴用されることが決まった。

一方商事会社のタイピストをクビになった常子は出版社に
再就職。雑誌『新世界』の編集部員である。統制が厳しく
なり政府に批判的な出版物は出せない。その中、面白い特
集をと考え、「ユーモア小説特集」を編集印刷完了し出荷
した直後のこと。社長が警察に呼び出された。発売禁止に
なるかもしれない。結果、特集部分をナイフで切り取る条
件で、販売が許可された。

『とと姉ちゃん』(月~土曜前8・00)の平均視聴率は
23・8%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)という。多
くの人々が先の戦争中の暮らしがどんなものだったか、ド
ラマを通じて見ているということだ。政府の言論統制、陸
軍による物資の統制がどんなものだったか、こんなに分か
りやすい教科書が籾井体制下のNHKで毎日堂々放送されて
いる。

▲昨晩、岡谷市で杉尾ひでや候補の立会演説会が行われた。
応援演説の団体、政党の方々の発言に、『とと姉ちゃん』
が何度か登場していた。戦争は私たちの暮らしを根っこか
ら壊してしまうとの語りだった。
このドラマを見て、「戦争はこわい」と思う人々が増える
といいのだが。

関東大震災後に制定された「治安維持法」は、『とと姉ち
ゃん』の時代、真珠湾攻撃の少し前に、「予防拘禁」を可
能にしていた。「予防拘禁」とは、政府の政策に敵対的と
警察が疑うだけで、逮捕拘禁することである。

▲2013年12月に成立した「特定秘密保護法」。この
法律は、「漏えいすると国の安全保障に著しい支障を与え
るとされる情報を<特定秘密>に指定し、それを取り扱う
人を調査・管理し、それを外部に知らせたり、外部から知
ろうとしたりする人などを処罰することによって、「特定
秘密」を守ろうとするもの」。

何が「特定秘密」であるかは秘密だから、自分が家族が友
人が、なぜ逮捕処罰されるのか、私たちは知るすべがない。

それだけでなく、北朝鮮の<ミサイル>、南シナ海の中国
の動向が、この国に対する大きな脅威であるかのように、
重大ニュースとして報道される日々。

もう、『とと姉ちゃん』の時代にそっくりである。
この「そっくり感」をどうにかして、人々に伝えなくては!
「どうしたら、いいもんじゃろうのお~!」

▲最後に、今日の午後は、英国のEU離脱でテレビは一色で
した。
これが参院選に、今後のこの国の政治に、どんな影響をも
たらすでしょう?



うらおもて・やまねこでした。


2016年6月23日木曜日

やまねこ通信348号:朝イチは、6.23沖縄・慰霊の日をしっかり伝えた

朝イチは、沖縄・慰霊の日をしっかり伝えた
@@@やまねこ通信348号@@@

朝イチを見た。アスパラには欝を改善する効果がある新し
い成分が発見されたという。紹介するのは眉が太い濃い顔
をしたコメディアン、ベジタブル芸人を自称する小島よし
お。次のコーナーではアッキーが登場。篠山紀信と沖縄出
身の南沙織の子ども。アッキーは沖縄ツアーの報告をした。

実は今日6月23日は、沖縄慰霊の日。沖縄県内の学校役所
はお休みである。慰霊の日とは何か?Wikiに尋ねてみよう。

194541日にアメリカ軍の沖縄本島上陸によって本格
 的に開始された沖縄戦は、第32軍司令官牛島満大将(当
 時は中将)をはじめとする司令部が自決した日をもって
 組織的戦闘が終結したとされている。(中略)現在は197
 4年に制定された「沖縄県慰霊の日を定める条例」により、
「我が県が、第二次世界大戦において多くの尊い生命、財
 産及び文化的遺産を失つた冷厳な歴史的事実にかんがみ、
 これを厳粛に受けとめ、戦争による惨禍が再び起こるこ
 とのないよう、人類普遍の願いである恒久の平和を希求
 するとともに戦没者の霊を慰めるため(条例第1条)」、
 623日を「慰霊の日」と定めている。毎年、この日には
 糸満市摩文仁の平和祈念公園で沖縄全戦没者追悼式が行
 なわれる」。「1962年から、この日には沖縄県が主催す
 る沖縄全戦没者慰霊祭が行なわれ、沖縄戦犠牲者の遺族
 やその子孫などが集まり、式典中の正午には黙祷が捧げ
 られる」(以上引用)

司令官自決後もそれを知らされなかった兵士たちが抵抗を続
け、戦闘が止まなかった。だから司令官自決の日を慰霊の日
と定めることには異論が出ているという。
県の休日なので国家公務員国立の施設は休日ではない。

朝イチは、慰霊の日に合わせた番組を組んだのだ。ベジタブ
ル芸人小島よしおは沖縄出身だった。祖母から戦争の話を聞い
たことを語った。
ゲストは戦争法強行採決を強く批判する作家の室井夕月、それ
に滿蒙開拓団の「残留孤児の父」山本慈昭を『望郷の鐘』で演
じて感動を呼んだ俳優内藤剛志という頼もしい二人。

8月15日の終戦記念日知らない日本人はいないよね。8月6
日広島原爆の日、9日長崎原爆の日も多くの人が知ってるよね。
太平洋戦争開戦の12月8日も。

けれど、沖縄・慰霊の日は、日本人のほとんどが知らないんだ。
これはおかしいよ!
このことを、「朝イチ」は伝えようとしていた。FAXで寄せ
られた沖縄戦争の苦難が今なお終わっていないことを伝える手
紙を、有働由美子はしっかり朗読した。


「みんなでガマっていう小さな穴に隠れてね、でも赤ちゃんは
泣くと、敵に見つかっちゃうから、お母さんが自分の手で赤ち
ゃんを殺さなきゃいけなかったんだよ。いっぱいいっぱい小さ
な子どもたちもおじいおばあも殺されたんだよ」。(追加:フェイ
スブックの友人Shihoさんの投稿から拝借しました。)

ヤナギーこと柳沢秀夫は、NHK記者として5年間の沖縄駐在経験
があった。

「沖縄に行く時、パスポートが必要だったこと今じゃ知らない
人多いよね。沖縄行は海外出張だったんだ」
慰霊の日がNHKで全国放送されるようになったのは、8年前との
こと。もっと早くから全国放送にと、努力している人々がいた。

沖縄に観光ツアーで行く人が多いだろう。
「でもその時、少しでいいから、自分の時間を作って歩いてくだ
さいね」アッキーは言う。

「少しでいいんだ!」イノッチが小さな声で付け加える。

正午のニュースで安倍首相が慰霊の式辞を読んでいる場面が放映
された。摩文仁の丘だったのだろうか。そこに向かうまでの間に、
多数の怒りの声が投げられたに違いない。

東京・吉祥寺駅前に6月20日安倍首相が登壇して演説したが、
怒りの「帰れコール」が鳴り止まなかったという。フェイスブッ
ク経由のニュース。

本日の朝イチは、ずっと沖縄の話題だった。ついに10時の最後
までやまえねこは見てしまった。

本日のオマケ:
吉祥寺の鳴り止まない「帰れコール」



うらおもて・やまねこでした。