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2012年9月28日金曜日

演劇人・佐藤信のトークがスゴイよ!教育は「学校」だけでは不十分。子どもたちは「芝居」を見なくては!


@@@@やまねこ通信223@@@@

昨晩、茅野市民館で「ふたごの星」という芝居を見た。宮
澤賢治の原作に基づいた佐藤信の脚本・演出の芝居。1時
間の小品だった。同じ演目が、午前中、茅野市の小学4
生を観客に招待して上演されたという。

舞台の上にはガラス瓶が多数散らばり、星座の影絵がスク
リーンに映し出され、幻想的な雰囲気。ガラス瓶は星の役
割だった。

あらすじについては、茅野市民館HPを訪問してください。
http://www.chinoshiminkan.jp/ccc/2012/0926/index.htm

●「ふたごの星」の上演が終わってから、かつて黒テント
を率いた演出家・佐藤信氏が登壇した。トークの時間であ
る。このトークにやまねこはいたく感銘を受けた。
(佐藤信のwikipedia

●佐藤信は、杉並の小さな劇場(座・高円寺)で子どもた
ちが演じたり見たりする劇を上演している。この日は茅野
の小学校の子供たちと出会った。様々な質問が投げられた。
「星は本当にヒトデだったのですか?」これには参ったと
佐藤氏。

子どもは舞台で演じられる事柄を、本当のこととして受け
止める。2年生より小さな子どもたちは、手品を見ても驚か
ず、事実として受け止める。大きな子どもたちのような予
測をしないのである。

●佐藤信は、芝居は何の役に立つかを、語ってゆく。学校
で「盗みはいけない」と教えるだけでは、教育はまだ半分
でしかない。芝居を見て、盗みをしなくては生きられない
人々を見る必要がある。そのことで、それでも盗みをしな
いことがどんなことかを、はじめて知ることが出来る。

●佐藤信はさらに原発事故について語る。福島第一の原発
事故は、過酷事故であり、まだ進行中である。これからど
うなるかを知る人は誰もいない。この先は、誰にも分から
ない。

今、原発をもう止めたい、と思わない人はどこにもいない。
どの人も止めたいと思っている。けれど、「止める」と言
えない大人が大勢いる。「止める」と言えず、嘘をつく大
人が育ってしまった。

芝居は、「原発反対!」と叫ぶことではない。誰もが「止
めたい」と思いながら、どうして「止める」と言えないの
か。その逆の事しか言えないのか。本当のことを言えない
大人が育ってしまった。これから20年後の大人はそうでな
い大人になってほしい。

子どもたちに芝居を見せることは、これから20年先の世界
を担う大人を作ることである。子供たちが大人になって、
嘘をつかなくてすむ人間に育ってほしい。

●佐藤信の「芝居」とはどんなものかのトークを聞いて、
「文学」とは何かの問いに回答が与えられた。佐藤信
語る「芝居」の役割は、やまねこの考える「文学」の役割
を非常に分かりやすい言葉で語っていた。

それだけではなかった。佐藤信の語る「芝居」の役割を聞
いて、ちの男女共生ネットの勉強会が、「ああ、こういう
ことだったのか!」、とやまねこは気づいたことがある。

4月設立以来、2か月一度の勉強会を開き、丸岡秀子の著作、
それに女性史の本に親しみ、「歴史に学ぶ」を実践してい
ちの男女共生ネット。

●歴史に学ぶことにどんな意義があるのだろう?
「男女差別は間違いだ」「男女平等にすべきだ」という言
葉、「男女共同参画に向いましょう」との促しは、佐藤信
の語る「学校」の教育である。これだけでは、まだ半分で
しかない。

残り半分、「芝居」の引き受ける役割はいったい何か?そ
れこそ、「歴史に学ぶこと」ではないだろうか?

●「今回の範囲は、幕末・明治初期から明治期終わりにか
けた20世紀初頭の時代です。男女不平等の家制度は、明治
になっても変わらず、家制度を強化する民法が制定されま
した。義務教育が始まりましたが、女子で学校にゆく者は
少数でした。貧しさの中で身売りが親孝行とみなされてい
ました。富国強兵政策の中、日清日露戦争があり軍人が強
くなって戦争未亡人が生み出されました。こうした時代に、
新しい職業、学校、社会運動、新しい表現に向って歩みを
進める女たちが現れたのです。

このような歴史を学んだ時、初めて私たちは、これではい
けない、と気づくのです。男女平等の社会が必要であるこ
と、逆戻りは許されないことに気づくのです。歴史を学ぶ
ことで、これからの社会がどの方向に向かうべきなのかが
分かるのです。歴史はすでに起こった未来です」。

ちの男女共生ネット、第3回勉強会は、鹿野政直・堀場
清子著『祖母・母・娘の時代』(岩波ジュニア文庫1980年)
をテキストに選びました。今回読むのは、1章から18章、
全体の5分の1です。

以上の文は、やまねこが資料に掲載する予定の文章です。
日時:9月29日(土)午後1時開始
会場:茅野市家庭教育センター

●「もう、男女共同参画はいいんじゃないの?」との言葉
が、地域で聞かれることがあります。1999年男女共同参画
基本法が成立して以後、この12年で、この国の社会がどれ
ほど変わったというのでしょう?

歴史に学ぶことで得られるのは、社会のどのような変化に
も、それを進めた人々がいたことに気づくことです。歴史
は自然現象と違って、自然に「なる」ものではありません。
人々が周囲の非難を浴びながら、主体的に「する」ことに
よって変化が成し遂げられたのです。

●女たちは、不平等の現実に慣れっこになっています。不
平等の中に生きていると、それが当たり前になって、不合
理と思うこともなく、それ以外に世界があるとは思えず、
こから出られると思うこともありません。自尊感情はズ
タズタのままです。どのように消費生活を楽しんでいるよ
うに見えても、深いところで絶望している女たちの多い事。
この女たちは、「男女平等」の促しに背を向けてしまいが
です。

●一方、今日の学校教育現場の表層は男女平等です。上級
学校への進学も個々の実力の結果が示される場と見えます。
ところが、理系の進学を希望する女子に対して「隠れたカ
リキュラム」が作用し、「女子は理系に行っても就職で苦
労するよ」との指導がそれと気づかれずに行われているこ
とがいまだに少なくありません。メディアで代表される社
会全体が、むしろ、それを自明のこととし、再生産してい
ます。

●親たちの世代は、20年後に大人になる子どもたちに、
今と同じ、自分たちと同じ、女たちの、そうして男たちの
生き方を望んでいるのでしょうか?

歴史を学んで得られるのは、自分がどこに立って、何をし
ているかについての気づきです。こうなったら、この先、
どこに向うべきかの方向に眼が開かれるでしょう。歴史の
中に描かれた女たちが、あなたを励まし、背中を押しくれ
るでしょう。

●ちの男女共生ネットの頼もしい仲間の一人、さちほさん
は、10月13日(土)茅野市役所講堂で開かれる、茅野
市男女共同参画推進大会に、子どもたちが参加できるよう
にしたらどうだろうと提案しています。スゴイ考えですね。

「盗みをしない」「嘘をつかない」「差別をしない」。こ
うした根本的倫理の教育は、子どもたちに早いうちから与
えるのが最も効果的ではないか、とやまねこも最近とみに
思うようになりました。津波から避難して「自分の命を守
った子どもたち」の話を見ると尚更そう思います。

この先、ちの男女共生ネットは、子どもたちに向けた教育
を、演劇人・佐藤信に倣い、「学校」と「芝居」の両方で、
どうやったら展開できるでしょう。

ネットの頼もしい仲間たちとの夢の共有が、これから始ま
ります。


うらおもて・やまねこでした。


2012年9月26日水曜日

遺伝子組み換えを批判するバンダナ・シバさんの原発批判


@@@@やまねこ通信222@@@@

毎日新聞「ひと」欄に、バンダナ・シバ氏が登場している。
「女性の視点でインドで環境保護運動を続ける」バンダナ・シバ
さん(Vandana Shiva)との見出し。 

バンダナ・シバ氏は、目下、遺伝子組み換え作物を製造販売す
ることで巨大な利益をむさぼろうとする巨大資本、新自由主義
グローバリズムと真っ向から闘う、今日、最も重要な思
想家、活動家です。

(以下毎日新聞「ひと」引用)
「経済成長の一方で広がる貧富の格差や環境破壊−−。さまざま
な矛盾を抱えるインドで、貧しい人々や女性の視点に立って環境
保護を訴えてきた。20年以上の運動は多くの農民に影響を与え
た。

21歳の時、故郷近くの村で、女性が木に体を縛り付け命がけで
森林伐採を防ぐ「チプコ(抱きつく)運動」に出会った。「人間は地
域固有の作物に生かされていることを彼女たちに教わった」という。

カナダに渡り、哲学と物理学を学んだ。帰国後、女性たちに環境
保護運動への参加を呼びかけた。91年にはNGOを設立し、地
域固有の植物の種を保存する活動や、有機作物のフェアトレード
(公正な貿易)運動を展開した。

「種は命。企業や国の開発による単一品種栽培で、農家は多様
性と自由を失った」
村々を回り伝えた思想は、著作を通じ世界にも広がる。93年に「
もう一つのノーベル賞」と言われるライト・ライブリフッド賞を受賞した。

第23回福岡アジア文化賞の大賞に決まり、今月来日した。東京
電力福島第1原発事故について「原子力は近代化と同じで、一つ
の方向性、価値観を唯一無二のものとして押しつけてきた。それ
が破綻を見せた今、日本は岐路に立っている」と考えている。

13日に福岡市で行われた授賞式のスピーチで強調した。「豊かに
なる方法はさまざま。これからも世界に多様性と平和を広げていき
たい」。【関東晋慈】(以上引用)

以上、毎日新聞の紹介は、かなり柔らかい描き方であった。

●日本では、環境保護運動とフェミニズムは手を取り合うというより、
背中合わせの場合が多いとやまねこは受け止めている。バンダナ
・シバは「エコフェミニズム」という本をマリア・ミースと共に1993年に
出版した。エコロジーとフェミニズムの合体である。このことで、やま
ねこは、その名を記憶するようになったと思う。けれど、まとめて取
り組んだことはまだなかった。

バンダナ・シバは環境関連、フェミニズム関連のジャーナリズムに
登場することが多く、来日機会も、これまで幾度かあったと思う。

現在日本語の翻訳が2冊出ている。『緑の革命とその暴力』それに
『バイオパイラシー・グローバル化による生命と文化の略奪』である。

この機会に、ネット検索をしてみた。やまねこが紹介したかった内容
がズバリ書かれたネット記事「コジローのあれこれ風信帖」
見つかった。同記事のエッセンスを、次に引用します。

●「20099月13日、「緑の革命」を指導し、アジアの
数億人を飢餓から救ったとしてノーベル平和賞を受賞した
米国の農学者ノーマン・ボーローグ氏が、95歳で亡くな
った。

「緑の革命」とは、1950年から70年にかけ主として
アジアや中南米で展開された一連の農業技術開発を指す。
具体的には何よりもまず小麦や米など主要穀物での多収品
種の開発、次いでこの「奇跡の種子」の栽培に不可欠な化
学肥料や農薬の導入、さらには地上水ならびに地下水によ
る大規模灌漑、機械化等々だ。

これにより飢えに苦しんでいたインドやメキシコなど途上
国の穀物生産は飛躍的に増大。この革命をリードした功績
により、ボーローグ氏は「歴史上の誰よりも多く人命を救
った人物」としてノーベル平和賞を受賞するに至る。

だが、その晩年、「緑の革命」はこうした賞賛とは正反対
の厳しい批判を受けることになる。おそらく、最も全面的
で体系的な批判を展開しているのはインドの女性思想家バ
ンダナ・シバ氏だろう。氏の報告は著書『緑の革命とその
暴力』(日本経済評論社)で詳細に紹介されている。

「緑の革命」は「奇跡の種子」を売る種苗会社、農薬や化
学肥料を販売するメーカーや商社による農家農村の支配を
生み、生み出された余剰農産物は穀物メジャーや途上国側
買弁資本による農地の暴力的収奪を呼んで農家農村の農奴
化貧困化を招き、また農薬や化学肥料の投入は農地の生態
系を破壊し、灌漑は地下からの塩害を呼んで広大な耕地を
不毛の荒野に変え、かくして地域の伝統的で持続的な暮ら
し方や農村の自給力は根底から破壊されたというのだ。

ボーローグ氏は生前、「緑の革命」を居心地のよい書斎か
ら批判する西欧のインテリ環境活動家に対し、「彼らは空
腹の苦しみを味わったことがない」「もし彼らがたった1
ヵ月でも途上国の悲惨さの中で生活すれば(それは私が5
0年以上も行ってきたのだが)、彼らはトラクター、肥料
そして潅漑水路が必要だと叫ぶであろうし、故国の上流社
会のエリートがこれらを否定しようとしていることに激怒
するであろう」と述べて、激しくそれに反論した。

だが、インド人であるシバ氏による「緑の革命」の現場か
らの生々しくもつぶさなレポートは疑いなく真実だろう。
飢餓との闘争を戦ったつもりのボーローグ氏にしてみれば、
思いもよらない結果だったかもしれない。グローバリゼー
ションが世界を席巻するに及び飢餓人口は年々増え続けて
今や実に10億人を超え、毎日3万人の子どもたちが餓死
している。では「緑の革命」とはいったい何だったのか。

ボーローグ氏の不幸は、氏が貧困と飢餓に挑むためになし
た命がけの科学的業績を、金儲けの絶好の機会ととらえる
資本とグローバリズムの本性に、氏があまりに無邪気であ
ったことに起因するだろう。ちなみに氏のグループの研究
資金はロックフェラー財団から出ていた。研究の出資者に
その成果の配当を要求する権利は当然ある。

シバ氏はいま、新自由主義やグローバリズムとの戦いに全
力を挙げている。ことに食糧自給面でのグローバリズムと
の闘争でいま最も熱い焦点は、遺伝子組み換え作物の商業
栽培を許すかどうかだ。遺伝子組み換え作物の開発に従事
する科学者のなかには、真剣に将来の人口爆発や地球温暖
化に備えるために必要と信じている人もいることを知って
いる。だが、科学の蛸壺にこもって社会への視野を持つこ
とを怠れば、資本に都合よく利用されるだけに終わる恐れ
があることを、ボーローグ氏の嘆きは教えている。

資本の論理が貫徹するグローバリズムの世界において、無
知なる善意は何の解決にもなりはしない。不幸なことだが」。
http://plaza.rakuten.co.jp/ecopiecealpinism/diary/200909300000/

以上は、「コジローのあれこれ風信帖」というネットで見つ
かったブログ記事に、やまねこが手を加えたものです。

●やまねこは、毎日新聞記事の次の箇所にいたく心を打たれました。
「21歳の時、故郷近くの村で、女性が木に体を縛り付け命がけで森
林伐採を防ぐ「チプコ(抱きつく)運動」に出会った。「人間は地域固有
の作物に生かされていることを彼女たちに教わった」という。

とりわけ、やまねこの同世代の方々の中に、成田闘争を思い出す方
もあるのではないでしょうか。成田闘争でもやはり、木に身体をくくり
つけ、機動隊警官のごぼう抜きに対抗する農村女性の闘争が報道
されました。


新空港建設の際、建設省、運輸省側は、三里塚の開拓農民
たちに対し、説得の手間の必要を認めることなく、「国策」
の大義のもと、高圧的に用地収用に乗りだしました。
この時の国の対策の拙さ、愚かしさは、後に、政府の謝罪
につながりました。

ドイツは後年、新空港を造る際に、成田の失敗を徹底研究

し、空港用地となった地域の住民にたいする説得を何より
も最重要視し、十分な時間と手間を掛けたことが、伝えら
れています。

成田空港建設反対闘争は、ベトナム戦争と時代的に並行していまし
た。南ベトナムの沼に身を置く人びとが、「近代」兵器で身を守る
米軍に対抗してあらん限りの知恵と力で戦ったのでした。

この結果、ベトナムでは「近代」すなわち米軍が敗北したのです。ベ
トナム戦争で「近代」は終わったはずでした。ところが、その後も米国
は、アフガニスタン、イラクを相手に、大義なき「ベトナム戦争」を繰
り返しています。

この国で、原発が作られたのは、1970年代以後であり、成田闘争は
末期を迎えていました。

バンダナ・シバ氏の次の発言を最後に繰り返します。

東京電力福島第1原発事故について「原子力は近代化と同じで、一
つの方向性、価値観を唯一無二のものとして押しつけてきた。それが
破綻を見せた今、日本は岐路に立っている」。


うらおもて・やまねこでした。

2012年9月24日月曜日

眼の手術と「他人の顔」


@@@@やまねこ通信221@@@@

今朝の気温は17.5℃。秋を楽しむいとまもものかは、これから
寒さの国に向う。暑さ寒さも彼岸まで、と言われる通り、昨日は
暑さの国から「彼岸」へと渡った日だったのか、歴然と季節の階
段を降りた思いがした。

夜には、ユニクロのヒートテックロングの下着上下を着用した上、
セーターをかぶってようやく落ち着いた。暖房はまだ使わない。
主なる暖房は灯油を燃やす床暖房。床下の不凍液を循環させ
るための電源が必要である。今年は電源を必要としない石油ス
トーブを一個購入しようかと、ネット検索をしている。

ところで、やまねこは先週、右目を手術した。白内障の治療と同
時に強度の近視を改善することが目的であった。手術は正味15
分ほど。痛みはほとんどなかった。

手術後の検眼をすると、0.02だった右目の視力が、0.5に回
復していた。左目は元のまま0.07である。

手術後、これまで使っていた2種類のメガネが使えなくなり、車の
運転が出来ない交通弱者になった。18日の手術の日、翌日翌々
日の診察のため、車での送迎をせいたかさんにしてもらった。ち
づこさんにもお願いしていた。今日はようやく、臨時のメガネが出
来たので、明日からの運転が可能になった。ご心配くださったみ
なさん、有難うございました。

やまねこは20歳過ぎてから近視がひどくなりメガネを使うようにな
った。コンタクトレンズを試したこともあったけれど、眼の中に異物
を入れることに慣れることができず、放棄した。

近視はどんどん強くなり、50代後半から、二重焦点メガネを使うよ
うにした。遠距離を見るメガネでは手元を見ることが出来ぬ不便を
改善するはずであった。けれど、バイフォーカルは、階段を降りる時
が不便である。焦点がぶれるので、踏み外しそうになるのである。

近視が強いため、裸眼で物を見る時は、これまで5センチの距離
に対象物を近づける必要があった。鏡に自分の顔をうつすときは、
鏡から5センチに接近せねばならなかった。

5センチの距離では、顔の全容は見ることが出来ない。だからや
まねこは、自分の顔を裸眼でみることが、この数十年来なかった
のである。

手術の翌日、眼帯を外すと、0.5に回復した右目は、鏡に映った
顔を見た。いったい誰だろう?そこに見えたのは「他人の顔」に他
ならなかった。

安倍公房『他人の顔』は、工場の点検中、手違いから爆発事故に
遭い、大火傷を負って自分の顔を失った男の物語である。包帯で
頭と顔を包んだ男性は、顔を失うと同時に、会社の同僚や家族と
のかかわりも失われたと思う。やがて精神科医に相談し、仮面を
作ることにする。包帯の男と仮面の男の二重生活が始まり、「自
分は誰でもない純粋な他人だ」と、「自由」の錯覚を得
ストーリーである。勅使河原宏監督の映画にもなった。

やまねこは、数十年後に裸眼で出会った自分の顔という「他人の
顔」を、これから引き受けてゆくことになった。やまねこの場合、「他
人の顔」と思うのは自分だけであって、周囲の他者の眼には、いつ
も通りのやまねこの顔と見えているのである。

手術からこれで5日目。「他人の顔」もそろそろ見慣れ、違和感が
薄れて、「自分の顔」としての親しみが増した。『他人の顔』の主
公のような、「他人になる自由」は存在せず、むしろ、これまで見え
ないでいた「自分の顔」に直面し、それを引き受ける時間と過程を
必要としたということであるのかもしれない。

「他人になる自由」といえば、メガネこそはむしろ、仮面の役割を果
たしてくれていた。裸眼を、やまねこは回避して、仮面をつけること
で、「私からの逃走」を20歳のころに試みたのではなかっただろう
か?「私」からの「私の逃走」であり、「他者」からの「私の逃走」の
両方として。

「メガネを掛けた女」という「他人」になることで、「自分」という不確
かなものを他者の眼に晒す、自意識の恐怖、地獄から逃れたので
はなかっただろうか。

もしもそうであるなら、やまねこは自意識の地獄を今では乗り越え
たのだろうか?もしもそうであれば、いつ、どうやって?

一つの切っ掛けは、社会的役割を獲得すること、すなわち職業に
着くことであっただろう。このことで、少なくとも勤務中は、「実存の
自由」を失い、社会的役割に固定されるのだから。

「何ものでもない存在」の自由から、名刺に記入する役割を張り付
けられた社会的存在となった瞬間、おそらく「自意識の地獄」から
抜け出したのだ。

けれどそこから、社会的「自由時間」を獲得するための闘争が、皮
肉にも開始されるのである。

それにしても、人は誰しも、他人の顔は見えるけれど、自分の顔を
見るためには、鏡を介して見るしかない。人が「自分の顔」とみなす
鏡像は、反転した像である。だから写真に写った自分の姿には、違
和感がつきまとう。写真に写った姿は「別の自分」であるとやまねこ
は考える。

自分の姿を見る際に、反転した鏡像でしか見られないというアイロニ
カルな状況は、「神」のどのような試練なのか、それとも愛なのかと、
兼ねてから考えていた。

裸眼で自分の顔を数十年ぶりにを見たやまねこの今回の経験は、
眼を透明な媒介物として、外界、すなわち社会を眺める外向的フェー
ズから、「他人の顔」をした自分のこれまでの来歴に対して内向的な
関心を向けるフェーズへの変化と、どうも重なり合っているような気が
する。

この二つのあるいはもっと多数のフェーズに入ったり出たりして、やま
ねこはこれまでを生きてきたのであります。


うらおもて・やまねこでした。