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2011年9月22日木曜日

ブレークした「福島のお母さん」西片嘉奈子さん、子どもたちの命を守らないこの国

@@@@やまねこ通信140@@@@

台風15号は大きな被害をもたらしました。震災、原発事故
被災地にも容赦なく暴風雨をもたらしました。被害に遭わ
れた皆様にお見舞いを申し上げます。

●原発事故の被災地福島の人々は、どんな思いで暮してい
るのだろう。子どもたちは?親たちは?現地の事情を聞か
せてもらいたい。こんな気持ちが実り、脱原発諏訪連絡会
「福島のお母さんのお話を聞く会」が開かれた。会場下諏
訪総合文化センターには107人の聴衆が詰めかけた。

福島市から山形県米沢市に避難転居された西片嘉奈子さん
が登場。当日、山形新幹線米沢から大宮へ、新宿まで乗り
継ぎ特急あずさ号に。そうして下諏訪に到着したのだった。

西片嘉奈子さん(33歳)は小学5年長男と3年長女の2
児のママ。8年前に離婚したシングルマザー。7月始めに
福島市から山形県米沢市内に避難のため転居した。

西片さんは原発事故後の時間の経過を丹念に追って、精密
に語ってくれた。震災当日、停電、断水、テレビなしの中、
どんなことが起こっているのか分らぬまま、子どもたちは
外で遊んだ。

二日目の午後、自宅の電気がつきテレビを見た。原子炉の
爆発の映像を見たけれど、全然ピンとこなかった。
当時福島市は24マイクロシーベルト。X線を受けると6
00マイクロシーベルトだからさほど強い放射能とは思わ
なかった。

それ以後、マスク、帽子を身に着け、断水のため長蛇の列
となった給水所に並んだり、散歩したりした。テレビでは
チェルノブイリ経験ある山下長崎大教授が語っていた。
「安心です。安全です。100ミリシーベルトまで大丈夫
です」。この言葉に安心し、母親たちは子どもを外に出し
た。

やがて西片さんは今何が起こっているかに疑問がわいた。
やまほどの情報の中で、何が本当なのか調べようと、携帯
でグーグル検索を始めた。福島県の歴史、歴代の知事、そ
の政治的人脈。こうするうち、3月末頃には背後に政治の
力が働いていることに目覚めた。

3.11以前、西片さんは原発銀座の福島に住んでいても
原発にはほとんど関心がなかった。
ところが毎晩の情報検索をするうち、「勉強好きでもなく、
政治に関心もない、普通の母親」だった西片嘉奈子さんが、
どんどん疑問に突き当たり、さらに検索し本を読み、謎を
追及し続けた。

放射性物質の影響ある福島市に住んでいるのだから、この
先どうしたらいいのか知りたい。放射能汚染の現状を知る
につれ、避難するしかないと考える。ところがはっきりし
た指示が、県からも国からも出されないままである。

こうするうち西片さんは持ち前の観察力、記憶力、推理力、
さらに事実を組み立てる構想力をあらんかぎり発揮してブ
レークした。

こうして現在の西片嘉奈子が誕生した。原稿なしで80分。
西片嘉奈子はあふれる思いを隠すことなく膨大な情報を精
密に整理しながら理路整然と物語ったのである。やまねこ
たち聴衆は言葉で表わし難い感動を抑えることができなか
った。ものすごいパワーだった。

80分の講演全部をユーストリームで繰り返し聞くことが
できます。ぜひ全編をお聴き下さい。
http://www.ustream.tv/recorded/17371572

●西片嘉奈子さんは現在、友人知人に避難を呼び掛けてい
る。学校全体が集団で避難する「サテライト避難」を促し
ている。戦争中の集団疎開みたいなものである。子どもた
ちがばらばらになったら、新しい環境に順応するのが一苦
労である。西片さんの子どもたちも友人を失う悲しみを味
わった。大きくなればなるほどそうである。
どこかに余った校舎はないだろうか?子どもたちの入居で
いる寮はないだろうか。

●除染作業という無駄金、場当たり行政  
目下、除染作業の進行具合が時折報道されている。校庭の
土をブルドーザーで深さ5センチ分、削り取る。そうする
ことで子どもたちの使用可能にするという説明がなされて
いる。

けれど放射能汚染されているのは校庭だけではないだろう
。学校の校舎のすべてであり、家に帰る道がそうであり、
道端の家屋、商店、駐車場、耕作地、その向うの山々の全
部、つまり福島の全地域が3.11、二日後の爆発によっ
て汚染されたのだ。

除染というなら、このすべてを相手にしなくてはならない
ことは、少し考えれば誰でもわかる。ところが、福島では
放射線濃度の高い通学路を避けるようにと学校が指示を出
しているという。どう見てもおかしい。子どもたちの生命
を守る立場から見れば、何を考えているのかまったく理解
できない。

これが福島の県とこの国の現在の被災地対策なのである。
西片さんは言う。除染に膨大な予算を費やすなら、別地域
への避難に少しでも予算をさくべきだ。被災地で目先の雇
用を生み出すための場当たり行政で良しとするのでなかっ
たら、どの地域に避難が必要か、指示を出すべきである。

現在、県も国も、子どもたちの命を守ってくれない。一人
一人が独自の判断で、自主避難するしかない。費用は自分
持ちである。

西片さん自身のように、様々な意味で、強い力をもった個
人でなければ実行できない。西片さんの知人の中に、保証
金がもらえたら避難するなどの考えの人もいる。カネと子
どもの命が天秤にかけられている。

現在西片嘉奈子さんは「子どもたちを放射能から守る福島
ネットワーク」の世話人であり、「子どもの声 書籍化プ
ロジェクト」の代表である。

「ぼくは何歳まで生きられますか?」「ぼくは大人になれ
ますか?」「どうしてこんな原発を作ったのですか?」「
なぜもっと早く除染をしてくれなかったのですか?」

こうした子どもたちの声が寄せられている。この声を後世
に残すことが大人の役目と西片さんは考え、本にする構想
を持っている。まずは一年後、「フクシマ子どもたちの声」
を出版したいとの考えである。

●子どもたちの命も将来も守ってくれないこの国。西片さ
んの講演の前に、DVDが放映された。福島の子どもたち
が霞が関を訪問して訴えた時の状況が映し出されていた。

文科省など幾つかの省庁の男性官僚たちが、返事に詰まり
マイクをたらい回しにする場面を子どもたちは見守ってい
た。返事ができない若手の官僚たち。答られない若手官僚
も問題だが、答える立場にない者たちを前面に送りだした
責任者であるその上司たちは、カメラには晒されなかった
のである。

「第二の敗戦」後も、依然として同じ光景が続いている。
背広を着た男性支配者たちが、何も起こらなかったように、
どう予算を回し、どう自社のビジネスチャンスに振り向け
るかだけに腐心している。

敬老の日祝日の9.19下諏訪「福島のお母さんの話を聞く会」。
出席者は圧倒的に女性が多かった。子どもを託児サービス
に預けて参加したお母さんたち。活発な発言を寄せる女性
が多かった。

男性出席者は、年金受給世代が多かった。勤労世代、子育
て世代の男性は、数えるほどだった。けれど少数のこの男
性たちは、本当に素晴らしい方々だった。

男性たちはどうしたら、「会社人間」のブリキの制服を脱
ぐことができるだろう?どうしたら自分の自由時間に、
業とは別の原理でものを考えることができるようになる
だろう?

女たちの活躍の場の広がりと、社会の様々な場で活躍する
女たちの増大、一方で企業原理だけに縛られぬ柔らかい思
考をする男性の増大。この両方が共に伸びると良い。この
両者は、正比例しているのではないかと、やまねこは考え
ている。

うらおもて・やまねこでした。

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