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2011年9月29日木曜日

成瀬巳喜男演出『妻よ薔薇のやうに』、知のリフォーム、専門家と非専門家

@@@@やまねこ通信141@@@@

9月が慌ただしく立ち去ろうとしています。やまねこの住む地域では、
朝晩気温が4~5℃まで落ちて、炬燵にスイッチをいれました。皆
さまの地域ではいかがでしょうか。

昨日924日、成瀬巳喜男演出『妻よ薔薇のやうに』(昭和10年(19
35年))をテキストにセミナーを開いた。

制作年1935年、当時30歳の成瀬巳喜男はこの一年で5本の映画を作り、
初期の黄金時代を画している。1937年ニューヨークにおいて『Kimik
o』のタイトルで上映。米国一般上映された初の日本製トーキー映画。
「キネマ旬報」ベストテン第一位、現存プリント題は『二人妻 妻
よ薔薇のやうに』である。

924日(土)茅野市男女共同参画講座の資料に基づいて、簡単に紹
介しよう。

タイトル:
「結婚制度」には無理がある。その逸脱がドラマを生む!
悦子、君子、お雪、静江、俊作、堅一:
誰の主体にあなたは立てるだろう? 

●物語のあらすじ:
裕福な一族の母悦子は歌人で日々、歌作のインスピレーションを追
及している。家事は一切せず、歌を教えて所得を得ることも考えな
い。その一方、呉服屋が出入りしてたびたび着物を新調。長女君子
は帽子を斜めにかぶり胸を張ってビル街を闊歩する「モガ」モダン
ガールの典型。都心のオフィスで働いて高給を得ている。君子は婚
約者の精二に対して、お茶のサービスはせずセルフサービスを命じ
る。二人は対等に見えるカップルである。

一家の父俊作は、この10年、信州で金鉱探しをする傍ら、事実婚の
家族と共に住み、戸籍妻のもとに20円、30円の為替を送ってくるだ
けである。悦子の兄、君子の伯父夫妻は、どちらも道楽三昧の日々。
夫は義太夫、妻は麻雀で遊び歩く。

伯父は君子の結婚を前にして、俊作を信州から引き戻すことを君子
に促す。「金目当ての性悪女お雪」との呼び名が呼びかわされる東
京。

君子は、一家再建の期待を担って、信州に赴いた。ところがお雪は
「性悪女」とは正反対。むしろ髪結いと縫物で俊作の金鉱探しを支
えていたのだった。連れ子の長女静江、俊作との間の長男堅一との
肩を寄せ合った貧しい暮しを前に、君子は伯父の使い走りではなく、
自分の力で考えることを開始する。これまでのモガだった軽い君子
は人生の大事に初めて向き合い、思索し選択する主体に変貌する。

君子の結婚式のため一旦俊作は東京に赴くが、妻悦子とはことごと
くそりが合わない毎日だった。結局、俊作は信州に戻り、事実婚の
お雪一家を選ぶ結末で終わる。原作者中野實は新派の劇作家。清ら
かな信州の「貞節な妻」の涙の物語を選ぶか。それとも夫の世話を
しない悦子が夫を偲ぶ歌を作っていることを見て同情するか。最後
に涙を流す悦子を批評する男性は「君子の母悦子は救われない」と
語っている。あなたは誰に味方するだろうか?

この「講座」では、参加者の皆さんにテキストを見る際のポイント
を投げかける。一定の角度から見てもらうことでジェンダー意識の
目覚めにつながると、主催者のやまねこたちが考えているのである。

●ポイントは次のようである。
  1    戸籍上の妻悦子、長女君子、責任ある夫俊作、事実婚の妻お雪、そ   
  の連れ子静子、事実婚の長男堅一:それぞれ相反する立場に生き
  ています。この中の誰かの立場を選んで考えてみましょう。一人
  ではなく、複数でもかまいません。(結婚制度の矛盾が実感でき
  ます。)

2 次の議論は言い古されたステレオタイプの議論です。これだけ
  の結論は避けるようにしましょう。
・妻は夫に従い一心同体でなくては。教養が高く仕事に夢中、家事
 がおろそかの妻は夫に逃げられて当然。
・男は身勝手な生き物だ。二人目の妻など虫が良すぎる。

3 原作の中野實は新派劇の作者です。新派劇は、悲恋などの女た
 ちの不幸をドラマに仕立て、観衆の涙をしぼりとりました。けれ
 ど、成瀬巳喜男映画は、別の視角を与えてはいないでしょうか?

参加者の小リポートが提出され、コピーをして相互に共有した。そ
の後、今回の報告者やまねこが報告。

  報告
1 結婚制度の無理、結婚制度の桎梏は物語を豊富に生産する装置
ある。
結婚制度の無理ゆえに栄える隠花植物、「権利なき貞女の神話」を
新派劇作家中野實原作『二人妻』は美化し賞賛しているかもしれな
い。成瀬巳喜男脚本演出はこの神話・美学を転覆してはいないだろ
うか?

2 東京はカネが物を言う社会だった。信州それに対比し、金では
なく、「幸福」の場所であると同時に、男女不平等の場所である。
権利なき事実婚妻が髪結いと縫物で支える底辺のつましい暮し。

夫を引きとめるため、夫の「名誉、体面」を支え資金提供、贈与を
お雪はしてきた。俊作の金鉱探しの資金、東京への小為替送金、東
京の長女君子の学費、黒服、交通費(山内一豊の妻もどき)を負担
など。

その結果、お雪の連れ子娘静江は女学校進学を断念し、母と共に縫
物をして一家を支えている。一方長男堅一は、中学に進学させる予
定と見える。メガネを掛けた堅一は勉強熱心と見える。

吉田松陰の親孝行の物語を読む堅一の声が聞こえる囲炉裏端で、「
貞女」お雪は夫俊作に昼間の洋服から丹前に着替えさせ、肩を揉ん
であげる行為が同じ画面で並列されるところで、お雪の行為が、明
治以来戦前期までの道徳との並列であることを意図する成瀬巳喜男
脚本、演出と見ることはできないだろうか?

  結婚制度とその逸脱について考える。
・男性は結婚制度から逸脱することを社会的に容認されていた。男
の甲斐性、「妾」「二号」買春など。子どもが育つまでの4年間で
「愛」が終わるとの動物学を踏まえた知見も語られている。

・今日、「不倫」という名で、女たちの結婚制度からの逸脱がドラ
マで物語られることが多い。けれど結婚が経済的共同体であり、男
性が稼ぎ手である限り、結婚制度の単なる崩壊は女性にとって不利
に働く。

・男性が結婚制度を逸脱するところから家族という生命再生産共同
体に「婚外子」という存在が生みだされる。生まれた子どもは生命
の平等の原則で守られるべきなのに「婚外子」は社会的に排除され
ていた。

・このことを救済するため、生まれた子どもが経済的に家族に所属
するのではなく、国に直接所属し、扶養されるという制度が必要に
なってくる。(例:スウェーデン他)。

  スウェーデンの結婚制度、家族制度
スウェーデンの制度に言及したところで、やまねこに対して質問が
寄せられた。やまねこにとり、これは良いきっかけである。次回は
スウェーデンの結婚制度、家族制度について発表しよう。発表の必
要が生まれて初めてその問題に取り組むのが、非専門家としてのや
まねこの流儀である。
  
今年の12月にかけ、やまねこはスウェーデン、デンマークの家族
制度、社会制度について調べようと数冊の本を買い込んでいた。と
ころが大震災と原発事故以後、多くの時間をその情報収集に振り向
けていた。だから今回の質問は得難いタイミングとなった。どなた
か、スウェーデンの家族制度に関心ある方、共同でリサーチしませ
んか?

●やまねこは、非専門家として、家族、子ども、女たちの政策、男
女共同参画について、講演をしたり、セミナーでの問題提起をする
などの活動をしている。聴衆の皆さんは社会人の方々である。社会
人、市民を対象としたこれら学習会の目的は、いったい何だろうか。

やまねこは一人の市民として、インターネット、テレビ、新聞、書
物を通じてさまざまな事象を獲得し、日々人々と語り合い、これま
での様々な経験をもとに、今日のこの国の社会に起こっている現実
を把握しようとしている。とりわけ、家族、子ども、女たちに起こ
っている問題に対して関心が深い。

理解できない現実があることは不安である。何とかしてさまざまな
事象を理解可能の領域に送りこもうと思考することが、やまねこの
刻々の習性であり日々の習慣である。これは何も特別なことではな
く、多かれ少なかれ誰しも行っていることであろう。

やまねこはこうした習慣によって得られた自分の考えを知人、友人
に投げかけている。本ブログ「うらおもて・やまねこの棲家」が、
その場である。ブログ開始前は、個別の友人にメールを書いていた。
メールやブログ対してさまざまな考えが、メールで投げ返される。
現在このブログにやまねこが書いていることは投げ返された意見に
対する返事でもある。「うらおもて・やまねこの棲家」はそれゆえ
ダイアローグの場である。

講演や、セミナーでの問題提起は、ブログの延長である。やまねこ
はその都度、必要な知識をインターネットや書物を通じて、時間の
許す限り入手するように努め、様々な問題について、専門家の書い
た本を参考にしている。

やまねこは最初に、自分のことを非専門家と書いた。非専門家とし
てやまねこがリサーチする目的は、まとまった知識や情報を現在の
必要性に応じて裁ち直し、つまりは古着のリフォームのようにつぎ
はぎして、友人知人およびその延長にある社会の不特定多数の方々
に手渡し共有することである。リフォームされた知識は、アカデミ
ックな専門家がカバーする領域と領域の間に跨っていることが多い。

アカデミックな専門家の目的とするところは特定の学問領域内での、
自己の専門の拡大と深化であり、新調の洋服の仕立屋さんのように、
ーラードスーツを完成させることであろう。新調服のテラー。
これが専門家の仕事であり、その作品がコンクールで受賞すること
で価値が証明される世界である。といっても受賞とは喩えであって、
文科省の科研費などがこれにあたる。受賞基準が説明されないとこ
ろは、コンクールと違うかもしれない。
一方、やまねこは自己の非力も顧みず、特定の領域を設けることな
く、自分の知りたいことについて、様々な知の古着をつぎはぎして
はリフォームする。こうして興味のおもむくまま、古布再生さなが
らリサーチの手を広げることが、目下のやまねこの無上の喜びとす
所なのである。

うらおもて・やまねこでした。

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