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2013年11月8日金曜日

やまねこ通信283号: フクシマ原発大接近ツアーに同行

やまねこ通信283

フクシマ原発大接近ツアーに同行

青ざめて海辺にたたずむ福島第一原発から数キロの地点ま
で行ってきました。道路にゲートが組んであり、その先は
車が入れないようになった地点。

森の向こうに、鉄塔がかすんで見えました。その足元にま
ぎれもなく事故をおこしてメルトダウンした原子炉と建屋
が横たわっているはずの地点。

原発事故っていったい何だったのか?事故後3年近くたっ
た現地はどんな感じだろう?こんな気持ちを抱えてフクシ
マ原発大接近ツアーに同行しました。

脱原発すわ連絡会の主催。女性4人、男性8人の一行12
人。11月4日午前9時半、バスで茅野市を出発。第1日目
は折々の場所での線量を計測しながらの旅でした。

●線量計をそれぞれの参加者の関わりある機関から拝借。
全部で9個だったか。やまねこも大学所蔵のものを一個、
たかこさん通じて拝借。電話受話器の半分位のサイズの線
量計が、それぞれ50万、30万、10万円とのこと。

茅野市役所前では0.068ミリシーベルト。白樺湖、蓼科牧場、
横川SA、都賀西方あたりまで、あまり変化なし。ところが、
那須高原SA0.100、鏡石PAでは0.237、安達太良SA0.56
福島松川を過ぎ吾妻SAでは0.71と数値が高くなりました。
これは茅野市の10倍のセシウム数値です。

第1日は福島飯塚温泉の老舗旅館赤川屋に宿泊。
二日目は福島市内で被災者支援活動を続けている現地在住
N氏にガイドを務めていただきました。
福島市、川俣町、伊達市、飯舘村、浪江町、南相馬市請戸
までのツアーが出発。

仮設住宅が、並ぶ場所を通りかかります。

●福島市では水素爆発の頃、20.05ミリシーベルトにのぼっ
た。当時、これらの数値は発表されておらず、地震と津波
に見舞われた人々は、マスクもしないまま子ども連れで戸
外の飲み水の行列に並んでいた。バスの中でN氏が当時の事
情を語ってくれます。

福島市の市長選が告示間近。保守政党の現職が最有力との
こと。被災の人々がどうして「10基廃炉」の確約をしな
い候補を選ぼうとするだろう?
理解しがたいことが起こっている。

●車内で配布された書類を見ると、避難指示区域は三つに
分類されています。
最も厳しい地域:赤印:帰還困難区域
次に厳しい地域:黄色:居住制限区域
最後は緑色:避難指示解除準備区域

福島市、川俣町、伊達市は避難指示区域ではありませんが、
居住制限区域である飯舘村に入ると除染の工事車両、作業
員の他人影がありません。あたり一面、3年間放置された
農地が広がっています。線量1.70.7

人気ない村に、サルの群れが走り回っていました。餌は豊
富なのだろう。先の世代にどのような変化が起こるのだろ
う?

汚染物質仮置き場を設置する工事が幾つも進んでいます。
土地の表土を浅く掘り、ゴムシートあるいはビニールシー
トをそこに敷き詰めます。その上に、ビニールの大きなゴ
ミ袋に入れた汚染物質を積み上がる予定。ゴムシートに穴
が開けば雨水で汚染物質が地下に漏れ出すことが容易に予
測できます。

浪江町はほぼ全域が赤印:帰還困難区域。そこに高い鉄塔
が。一体これは何?
東北電力の気象観測用の施設とのこと。
何を隠そう、この場所は、東北電力浪江小高原発建設予定
地だった。けれど東電の事故以後、計画が白紙撤回された。

●面白い話を聞いた。
鉄塔付近の民家の屋根に白いシートで養生した跡が見える。
直後に立入り禁止区域に指定され現在は帰還困難区域の住宅。

いったい誰がどうやって何のために屋根の養生をしたのか?
 誰も入れなくなった時期、今後住む見込みのない住宅に!
これは謎ではないか!

答えは東京電力でした。東京電力の社員が治外法権的に立ち
入り禁止区域に入り、そこにある住宅の屋根に登って破損し
た箇所を修復、養生した!
住宅の持ち主に無断で!

何のため?事故の被害を小さくし補償金額を安く済ませんが
ためであった!

事故直後の大混乱の最中に、これほどにも手の込んだ作業を、
東電の現地担当者がしたことを聞いて、東電社員の「愛社精
神」に、空いた口がふさがらなかった。
これほどにも細かい配慮に満ちた東電社員。

情けないのは、そこに使われたエネルギーが、すべて東電を
守ることにばかりに向けられていることです。何であれ、東
電側の負担する補償額を小さく。反射的に身体が動いた東電
社員のみなさんのとった機敏な行動。
とっても規律ある企業だったんだわね。

汚染水漏れの報道を毎日聞かされます。このいい加減な企業
と同じとはとても思えません。

おそらく善意で真面目な社員のみなさん。その善意が自社の
利益にだけ向けられるとこの結果につながるのです。彼らが
善意であればあるだけ、解きほぐすことが難しい行動です。

●最後に回った南相馬市請戸漁港。向かう途上、津波の引い
たあとの内陸に、漁船が幾艘も残されていました。

海に近く福島第一原発が遠くに見える請戸(うけど)小学校
の廃墟。児童数90人。給食室の大きな釜、鍋が転倒して床
に散乱。3.11当日、卒業式のリハーサルが行われていた模様。

体育館の外壁の時計がさした時刻は3時38分。
津波がその時刻に到着したのでした。

●震災直後は臭気がひどかったことが伝えられる現地。今回
は、ガレキの多くは以前よりは片付けられた後とのこと。セ
シウムの線量を計測してきましたが、半減期に入ったものも
あったためか、請戸小のそばでも0.08の数値でした。

マスクが必要と聞いていましたが、住民のみなさんはホット
スポットにおいても、マスクを使わない日常とのこと。やま
ねこたちも、持参したマスクはほとんど使う機会がありませ
んでした。

帰還困難区域、居住制限区域の中の建築直後の家が幾つもい
くつも帰らぬ主を待っています。これから何十年?
家具店の中の倒れた棚は3.11当日の光景を保存しています。
そこでは時間が停止しています。

福島第一原発4号基ではようやく廃炉作業が開始されます。


うらおもて・やまねこでした。



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