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2015年3月13日金曜日

やまねこ通信313号:「自分の物語」を人はどうやって立ち上げるのか?読書会ではどんなことが起こるのか?

 @@@やまねこ通信313号@@@

『ピケティ入門』の読書会をしていることを前回の通信で
お伝えしました。

「一段落読み終えると、つぶやき、ひとりごとが口をつい
て出る。普段、自分の中に宿っているとは思わなかった言
葉が、表に溢れ出す」

いったいどうしてこのようなことが起こるのだろう?今
回は、このことについて考えてみることにします。

▲読書会をすることで得られるのは、本に書いてある内容、
「知識」の獲得ばかりだろうか?一人では中途で挫折しそ
うな本を共同で読むことで最後まで読み終える。この意味
合いは確かに大きいだろう。ところが、そればかりではど
うも、なさそうである。

やまねこは自分の内面に起きていることを分析してみるこ
とにした。

1 共同のテキストを読み進めることで、参加者の議論の
土台が定まる。そのため話題の交換がしやすい。他のメン
バーの発言も理解しやすくなる。それは丁度、大地におい
た重い石に糸を結わえ、凧を空に飛ばす時に似ている。

重い石は共同のテキストである。参加者の話題はどんどん
高く昇ってゆく凧である。凧は昇っては方向を変え、傾い
てはまた上昇して位置を定め難い。けれど糸をたどってゆ
けば、大地に座った石、すなわち共通のテキストにゆき着
く。共通のテキストという重石の「制限」が、逆説的に発
言の「自由」を保証する。

2 共通のテキストは重石であるばかりではない。自分の
「思い」に言葉を与える時に役立つものでもある。自分の
内面を探してもなかなか見つからない言葉。その時、共通
のテキストの中の言葉や表現に自分の「思い」をのせてみ
よう。

テキストは言葉や表現の貯蔵庫である。綿菓子みたいに触
ったとたん消えてしまう「思い」、うどん粉をこねるよう
に形が定まらなかった「思い」。それらの「思い」を言葉
にのせてみる。言葉にすれば他者に示すことができる。参
加者の言葉を借用してもいい。相手の言葉が自分の言葉に
なってゆく。目の前に行き交う言葉をどしどし借りて使う
といい。言葉は誰かの所有物というより、人から人へ行き
交うもの、貨幣のように流通するものなのだ。

3 共通のテキストは言葉や表現の貯蔵庫であるばかりで
はない。テキストは時に参加する人々の頭の中に、言葉を
並べる舞台ともなってくれる。舞台は時と場所を表わす装
置である。棚が何段にも並ぶ本棚にも似た形の舞台。縦に
伸びる柱は時や時代、横に広がる板は場所や社会。

人は、棚の上に自分の体験をのせてゆく。棚の上にのせる
前、体験は人に語ることのない、自分だけの体験だった。
けれど言葉になった「思い」を棚の上に載せると、言葉の
位置関係が明らかになり、人に伝えることが容易になる。
言い換えれば、体験からくる「思い」を言葉にのせ、人に
手渡すことが可能になる。これが自分の物語を人に語るこ
とである。

4 人に語るうち、自分の物語が立ち上がり歩き始める。
個々の体験が舞台の上での物語になる。
他者に語ることができる物語の単位、手渡すことのできる
一個の贈り物になった自分の物語。個々の贈り物である物
語は、いくつもいくつも合わさって、あなたのアイデンテ
ィティーを形作っている。あなたは贈り物を交換するよう
に、「私の物語」を、ひとに渡すことができる。

5 人に贈り物を贈与すると、人から贈り物が寄せられる
ようになる。あなたの物語は人の手に渡る。読書会の参加
者は、あなたから贈られた贈り物を容易に理解するだろう。
どんな表現のものであっても、糸をたどればテキストの重
石にたどりつくのだから。
 
おそらく誰の内面にも同じようなことが起こるだろうとや
まねこは考えている。
「自分は特別」「自分は例外」だから、と思うようなこと
があったら、その考えをいったん休んでみよう。

他の人に起こることはきっと自分にも起こると考えてみる。
こう思うと、誰かの物語る「体験」が、自分の内面に宿っ
ている、言葉以前の貯蔵庫から探り当てられ、見つけださ
れ、吊り上げられてくるかもしれない。

この作業を想像力と呼ぶことができるだろう。そうしてこ
の時、自分の記憶が更新され、取り出し可能な記憶の単位
となったのだ。この記憶の単位が、物語なのだ。誰かの語
る「体験」に似通った自分の「思い」を言語化をする時、
あなたの物語は増えてゆく。

▲ひとりひとりまったく違った人生なのにどうして人は語
り合えるのだろう?

この問いに対する答えがここにある。他者の物語によ
って、自分の物語を探り当てること。また自分の物語
を語ることで、他者に物語を手渡すこと。このことが
相互になされることで、「私の物語」と「あなたの物
語」の対話が始まる。

こうした「物語」がどれほど人の生にとって大切で切実で
あるかを、次に考えることにしたい。


うらおもて・やまねこでした。



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