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2017年3月6日月曜日

やまねこ通信372号:読書会は楽しい、自己の「社会化」、読書会の隠れた目的とは・・・

@@@やまねこ通信372号@@@
読書会は楽しい、自己の「社会化」、読書会の隠れた目的とは・・・

毎日新聞家庭欄に、「シングル:読書会で仲間と出会う」との記事
が。(3月5日)
読んでみよう。
「読書会」が人気らしい。一人で本を読んで知識を得るのではなく、
本を介して人と語り合うことで、新たな気づきや価値観の近い仲間
との出会いがあるのが魅力のようだ。
考え方が広がる。
なるほど、なるほど・・・

やまねこの仲間、ちの男女共生ネットでも、久しぶりに読書会を
開いている。
憲法の報告をした仲間から、女たちの置かれた立場を掘り下げて
勉強したくなったとの希望が。

竹信三恵子『女性を活用する国、しない国』(岩波ブックレット、
2005年)をそこで読むことにした。

1980年代以後、男女雇用均等法、男女共同参画基本法制定など、
女性の社会進出を促す法整備が整えられてきた。
ところが、現実はほとんど変化していない。男女平等指数は世
界140ヵ国中、100位以下。
外国と比較してどれほど遅れているのか、政治分野では議員の
数、経済分野では女性取締の数で比べてみる。
この国が遅れている理由はいったい何か?
敗戦後、敗戦の悔しさをバネに、企業戦士たちは早朝から深夜
まで、銃後の妻の支援のもと無我夢中で働いて、戦勝国アメリ
カ相手に経済戦争で勝利をおさめ、結果、この国は貿易大国に
なった。日本企業はエライ!
これは男性中心の世界だった。(NHK『プロジェクトX』が繰り返
し取り上げたテーマである)。
ところが今では、この「成功物語」が裏目に。
少子化の中、女性を政治経済分野その他の政策決定担当者に取り
込まないことで、この国は社会全体が大きな損失を受けている。
ところが男性社会にその自覚がない。
海外から「日本は損してるよ。早く改めなよ!」と批判を受けて
いる。
以上の趣旨を、さまざまの実例を盛り込んで語った本です。
竹信三恵子は他に、『ピケティ入門』『家事労働ハラスメント』な
どの著書があります。

▲2年前にフランスの経済学者ピケティ『21世紀の資本論』が
世界中でベストセラーになったとき、『ピケティ入門』の読書会
を、やまねこの棲家で開いた。
4人の参加者は70代以上3人、みわさんひとりが若者だった。
最初は物静かで口数が少なかったみわさん、回を追うごとに鋭い
発言をするようになり、やがて他の参加者をリードするようにな
った。その場に居合わせたちづこさん、それにやまねこは、ひと
りの若者が成長する姿、そのBeforeAfterに立ち会ったのだ。
この時目撃した目覚しい成長ぶりは、今も語り草である。

一定の水準の語彙や概念が身につくと、途端にその増殖と構築が
始まり、語りが開始するのではないか。こんなことをやまねこは
推測した。

▲今回、竹信三恵子『女性を活用する国、しない国』の読書会に
も、みわさん、ちづこさんが参加している。読書会が好きなメン
バーが集まり、中途退出、中途参加を含め、なんと7人に。こ
の他にも希望者が・・・

最初に提案者の説明、次にパラグラフを幾つかずつ音読、切れ目
のいいところで、質問や補足説明の語りを入れる。
するうち、さまざまな記憶が喚起され思い出話が問わず語りに流
れ出す。
昼食をはさみ、午前10時半から3時頃まで続いた。

▲世間話、井戸端会議も、読書会のテーマにまつわって、賑や
かに盛り上がる。読書会の本編もさることながら、こうした語
りがいたく重要だとやまねこは考えている。

家族のプライバシーが語られる。プライバシーといっても、多
かれ少なかれ、どこの家にだって起こる話で、秘密にしても仕
方がないことなのだ。こんな雑談の中で、やまねこは自分の物
語を語ってきた。

小学校下級生の頃緘黙児童だった、戦争直後の貧しい暮らしの中、
姉のお下がりの洋服を着るのがイヤだった、家に祖母がいた、母
との折り合いが芳しくなかった、母は結婚以後祖母が90歳で死
去するまでの約45年間を、「無期懲役」に相当する苦しみの中に
生きたのではなかったか、と思っていた。こんな話を語ってきた。

▲高校のクラスメイトに名家の娘がいた。地元の銀行の創業者一
族。母上が晩年一人暮らしになったとき、大きな屋敷の管理が大
変だからと、介護を依頼しようと母に働きかけた。

「お母さん、ひとりで掃除するの大変だから、誰か手伝いの人には
いってもらお」
「うちみたいに汚い家、恥ずかしくて人に入ってもらえん。その
前に片付けんと・・・」
「お母さん、だから片付ける人に入ってもらうんだよ」
「だめだちゃ。とてもうちなんか人に見せられん・・・」。
今から20年前の話である。

この話を聞いたとき、この母上は、自身を「社会化」しておられ
なかったのだと、やまねこは思った。やまねこの同世代でも同じ
ように思う人々が少なくない。

人は誰でも、病気や高齢で自分の身の回りの世話ができなくなる。
こんな時どうしたらいいのか。

自分は何も特別の存在ではない。他の誰それと同じなのだ。多か
れ少なかれ人は誰しも似通った道をたどる。こうした自己意識に
至ることを、自己の「社会化」とやまねこは呼んでいる。

▲自分は世界の**億分の一であって、何も特別な存在ではない。
20代前半にこのことに気づいた瞬間、海の上でクラゲのように
漂う開放感、ひろびろした野原に横たわって青空を眺める開放感
に、やまねこは包まれた。

何も特別ではないけれど、「個人」として自分は他と取り替えで
きない存在なのだ。

さまざまな人々と語り合うこと。そこで自分の恐ろしい程の「不
幸」「欠点」「恥」が、他の人々の話をシャワーを浴びるように聞
いた後では、
「な~んだ。自分って、ごくごく平凡じゃん!並だよ・・・」
と思うようになる。

こうして自己の「特権性」が剥奪されてゆく。

こうして自己を他者と「相対化」し、結果的に自身を「社会化」
する過程が進む。

「社会化」することで、他者との距離が測れるようになり、誰と
でも対等になり、自分の意見を臆することなく相手に語ることが
できる。社会化することで、近代社会の発言する市民になってゆ
く。

こうした人が増えるといいなと思い、このことが、読書会の隠れ
た目的ではないかと、やまねこは考えているのです。


うらおもて・やまねこでした。
今回は、第二キャラのヤジが入りませんでした。

お退屈さま・・・

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