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2012年3月12日月曜日

「国際女性デー」、3.11「あしたが消えたを見る会」(茅野)「今、女たちが原発を止める!」(岡谷)


@@@@やまねこ通信189@@@@
  
●3.11「今、女たちが原発を止める!」(岡谷)
前日のぼた雪はどこへやら、すっかり晴れ上がった温暖な
陽気でした。午後1時、岡谷ハイツ裏から湖畔の通りをア
ピールウオーク。約150人が参加。

2時より「女性たちの話を聞こう」とのイベント。シンガ
ーソングライター美咲さんのトークと歌唱。弁護士・蒲生
路子さん、茨城から避難された湯浅さん。

そしてメインイベント「ミツバチの羽音と地球の回転」の
映画監督・鎌仲ひとみさんの迫力ある講演があった。参加
者240人。


新しい友人との出会い、前からの友人との再会があって、
どきどきした一日。

行事終了後、鎌仲さんを囲んでの談話会を開く。そこに、
被災地から諏訪地域に転居した女性が参加してくださる。
政府・東電に対する批判が言えない被災地の現状。人と人
のつながりが分断されていることがいちばんつらいとのお
話に胸を打たれた。チェルノブイリと同じことが起こって
いるのだ。


310日「あしたが消えた」を見る会、茅野市家庭教育
センター。
昨晩から降り積もった重いぼた雪が20センチばかり。今冬
最高の大雪だった。車をそろりそろりころがして、家庭教
育センターへ。早朝から駐車場の雪かきをしてくださった、
館長・小池芳子さん、みなさまありがとうございました。



出足の鈍ることを懸念していたけれど、用意した折りたた
み椅子を追加することに。参加者の熱心なきもちが伝わっ
た。午前と午後の二回あわせて178人の参加。

茨城から避難して諏訪市にお住いの湯浅智美さんのトーク
がよかった。東電事故以後、子どもの健康が心配で、川崎
の親族のもとに。けれど多摩川の汚染が伝えられた。その
後諏訪の叔父上のお世話で今のアパートに。震災によって
これまでの暮らしが打ち切られてしまった。茨城の友人と
は連絡を交わしていない。今は、必要なものを知人から分
けてもらって暮らしている。お子さんは託児でお預りした。

やまねこの挨拶。
東電福島第一原発事故からはや一年がたとうとしています。
事故後、東京電力、原子力保安院、原子力安全委員会の顔
ぶれは、全部、男性一色でしたし、その後の大本営もどき
の情報隠しは、戦前戦中の光景ではないかと目を疑いまし
た。この国が、1945年の敗戦で少しも改まらなかったこと
が分かったのです。

このままでは済まされない。こう考える方々が実行委員会
を立ち上げました。共同代表のお一人上原佳月さんが「あ
したが消える」を紹介してくださいました。それを見て、
私も仲間に加えていただきました。

本日上映する「あしたが消える」は、23年前の1989年、バ
ブル経済崩壊の一年前に作られました。その3年前にチェル
ノブイリ原発事故が起こっています。

「あしたが消える」は、原発建設と維持管理に従事してい
たお父さんを、病気で亡くした娘の物語です。残された娘
は、父の死に疑問を抱いて、新聞に投稿しました。葛西真
紀子さん26歳二児の母でした。

映画には、原発に対する疑問が幾つも投げられています。
これらの疑問を、電力会社も国も、まともに相手にしませ
んでした。そうして予想された通りの事故が起こったので
す。23年前の予言が的中したのです。

現在、福島の子どもたちが、高濃度の放射能の中に暮らし
ています。

命を育てる女たちが、最も敏感です。58年前の1954年、第
五福竜丸事件を切っ掛けに、「原水爆反対」運動に杉並の
女たちが立ち上がり、3000万人を超える署名が集まり
ました。

福島後、ドイツは脱原発に舵を切りました。緑の党が大き
な役割を果たしています。そのスローガンは、「原発停止、
戦争反対、男女平等」というものです。

国の政策決定を男性だけでする社会は間違っています。脱
原発は社会のあらゆる場における男女平等社会を作ること
と同時進行でなくてはならない。「第二の敗戦」と言われ
る福島原発事故はこのことを知らせてくれました。

昨日の毎日新聞に作家の津島佑子が書いています。
「今も原発を動かしたい人は、巨大な古代神にいけにえを
捧げ続ける神官たちのように見える。そのいけにえは、子
どもたちの未来なのだ」。(以上)

  38日は、「国際女性デー」。
少し前まで国際婦人デーと呼ばれていた、そのものすごい
歴史を、Wikipedeaから掬い取りました。

190438日にアメリカ合衆国のニューヨークで、女性労
働者が婦人参政権を要求してデモを起こした。これを受け
ドイツの社会主義者・クララ・ツェトキンが、1910年にコ
ペンハーゲンで行なわれた国際社会主義者会議で「女性の
政治的自由と平等のためにたたかう」記念の日とするよう
提唱したことから始まった。

国際女性デーにちなむ最大の事件は、1917年にロシアで起
こった二月革命であろう。国際女性デー(当時ロシアで使
われていたユリウス暦では223日にあたる)に首都ペト
ログラードで行われた女性労働者を中心としたデモは、男
性労働者、更には兵士を巻き込んだ大規模な蜂起となり、
最終的には帝政を崩壊に追い込んだ。

日本では192338日、社会主義フェミニスト団体赤瀾会
が初の集会を開催。

国連は1975年(国際婦人年)の38日以来この日を「国際
婦人デー」と定め、現在は国連事務総長が女性の十全かつ
平等な社会参加の環境を整備するよう、加盟国に対し呼び
かける日となっている。

2000年には、国連人権高等弁務官のメアリ・ロビンソン
Mary Robinson、アイルランド初の女性大統領)が21世紀
に向けて「女性が権利の獲得に向けたこれまでの歩みを祝
うと同時に、女性被害者は、いまだに跡を絶たないことを
想起する日」であると言明する文書を発表した。

イタリアでは女性が互いにミモザの花を贈り合い(もとも
と男性が女性に贈る習慣がある)、この季節を迎えると街
中にミモザの花がみられる。

世界中の女たちの熱い思いを、この国にも伝えたいよね。




うらおもて・やまねこでした。


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