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2012年3月22日木曜日

マニラの熱気、顕在する女たちのパワー、フィリッピン・バターン原発視察3泊4日の旅


@@@@やまねこ通信190@@@@

茅野出発時の冬の服装を、少しずつはぎ取りながらマニ
ラに到着。長野県AALA企画の交流と連帯の旅、民衆が止め
た「フィリッピン原発」視察ツアーへの参加である。

マニラは3月末の気温30℃。空港からホテルへのバスには
ガンガンの冷房が利いている。冷房が大の苦手のやまねこ
が冬の襟巻を首に巻くと丁度良いくらい。

出発時の成田空港滑走路の混雑のため1時間半遅れての離陸。
マニラ到着後、30分で到着の予定が1時間半かかった。普段
ではない大渋滞に巻き込まれ、深夜12時半に目的地マニラ
ホテルに到着。イタリア・フィリッピン共催の花火大会が終
わったばかりの時刻であった模様。

●ジープをド派手に改造したジプニーという相乗りタクシー、
オートバイの側面に座席を取り付けたサイドカー、かつて日
本でも使われやまねこも子ども時代何度も乗った自動三輪車
タクシー(通称バタバタ)に混ざり、トヨタ、ホンダ、日産、
ヒュンダイなどの「外車」が、果てしない割り込み運転をし
ながら、進むというより蛇行する大通りでは、車の間を人々
が歩き、車線の表示や交通信号がほとんど見当たらない。

もっとも、交通規則をしっかり順守する日本という国は、世
界の例外の不思議な国と思ったらいいのかもしれない。
この的確なコメントを語ったのは、ガイド役のひでこさん。
これから先三日に渡り、ひでこさんからは、フィリッピンに
ついての新書版3冊以上とも思われる、あらゆる知識を教わる
ことになる。

フィリッピン共和国、人口94,013,200人(世界第12)は10
00の島からなっている。やまねこたちのツアーは、ルソン島
の北部の首都マニラ、それに70キロ離れたバターン州のスー
ビック州を駆け足で回る旅だった。


フィリッピンの地名は太平洋戦争の戦史で語られる地名とし
て、幾つもの聞き覚えがある。
けれどそれが実際にどんな意味をもつ土地であったのかを知っ
たのは、今回の旅が初めてである。

●宿泊は伝説のマニラホテル。スペイン占領下の1912年創業、
1970年代に全面改築。

1935年のこと、1946年に予定されたフィリピンの米国植民地
からの独立準備のため、初代大統領のマヌエル・ケソンは、
マッカーサーに軍事顧問を依頼した。

この間、マッカーサーはマニラ・ホテルのスイート・ルーム
を住居として要求。ホテルを一家の専用に使った。高等弁務
官を兼任して高額の報酬を得ると共に、フィリピン財界の主
要メンバーとなり、また、アメリカ資本の在フィリピン企業
に投資を行い、多額の利益を得ていた。またマニラでアメリ
カ系フリーメイソンに加盟した。

ところが1941128日の真珠湾攻撃とほぼ同時に日本軍は
フィリッピンを怒濤の勢いで侵略。マッカーサーは、マニラ
を放棄してバターン半島とコレヒドール島で籠城。その後マ
ッカーサーとケソン大統領にオーストラリアへ脱出の命令が
米国から下る。

その際に、"I shall return" (必ずや私は戻って来るだろう
/ 私はここに戻って来る運命にある)と言い残し、家族や幕
僚達と共に魚雷艇でミンダナオ島を経由し、オーストラリア
に脱出という「敵前逃亡」を経験した。

日本がポツダム宣言を受諾し無条件降伏をしたので、連合軍
司令官として厚木空港に降り立った時のマッカーサーは、"I 
shall return"の決意を実現した瞬間だったのだ(Wikipedea
一部参照)。この有名なせりふの歴史的背景を、やまねこは
ようやく実感したのでした。

●旅程の二日目は、朝7時半出発、一路スービック州へ。途中、
マニラホテルからバスで1時間半のクラーク元米軍基地を通過
する。シンガポールの国土面積に匹敵するという広大な軍事基
地は、米軍撤退後の今は、広大な空き地。神風特攻隊の最初の
出撃地の痕跡が残っている。

弾薬庫跡が幾つも。核爆弾がまだ残されているとの説が根強い。
足元は灰色の細かい砂。ピナツボ山噴火の折の火山灰だった。
米軍撤退は、冷戦時代の終焉とピナツボ山噴火のため視界が悪
化したことにもよるという。

●この日の昼食は、「よくばりファウンデーション」の招待だ
った。「よくばり」は、国内のさまざまな困難を抱えた人々に
対する支援活動を束ねた組織。大阪に支所があるという。
リーダーはドリーさんという女性。
リーダーのドリーさん。

まずはアメラジアン、すなわち米軍兵士の残された子どもたち
の中で、父が養育しない、父の身元が不明の人々を指す言葉で
ある。グループは、この人々を法的経済的に支援している。

次にはスービックの最大の重工業、韓国系のハンジン造船所で
の勤務条件改善の労働組合を結成したところ、いやがらせに会
った労働者たちの仲間であった。

●最後に、米軍基地が退去後もなくならない売春を防止する団
体ブクロード(Buklod)の女性二人が活動を紹介するために立
ち上がった。フィリッピンでは売春禁止法が敷かれている。最
近の改定では、買春する男性も処罰の対象になった。当然の対
策である。

けれど、今なお夜になると、歓楽街のゴーゴーバーの奥の秘密
の部屋で、闇のビジネスが行われている。

ブクロードの活動家たちは、教育を受け、職業の訓練を受けて、
売春から足を洗うように、女たちに呼びかけている。ブクロー
ドは女たちを、経済的に支援し、売春から脱却することを可能
にするための団体である。

ブクロードに集まる女たち、それに支援者たちは、フルーツジ
ュースの空き箱を集め、洗って解体し、ミシンで縫い合わせて、
色鮮やかなバッグを製造販売している。縦40センチ、横30セン
チ、奥行き10センチのPCが持ち運べる手ごろなサイズである。

やまねこは、この鮮やかな色のバッグを、日本で広めることが
出来ないかと考え、ブクロードのメンバーとの交流を開始した。

10枚仕入れてきた。現地での販売価格は100ペソ、約200
円である。今後の仕入れの輸送費活動費を織り込んで、日本の
マーケットの同種の商品と比較検討したうえで、はたして幾ら
売ったらいいのか、目下、思案中である。

派手でおしゃれで軽くて防水が利いてるから便利。それに女た
ちの人権を守ることに役立つよ!
こう思って買ってもらえたらいいなあ!

最後に、子どもたちが多数参加して、賑やかに歌を歌った。そ
の晩は風光明媚な海岸沿いのビスタ・マリーナホテルで宿泊。
シーフード料理の夕食だったが、海沿いの庭に並べられたテー
ブルの照明が暗くて、いまいち盛り上がらない食事だった。

次回は、バターン原発訪問記、バターン死の行進の真相をお伝
えします。


うらおもて・やまねこでした。

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