@@@@やまねこ通信194号@@@@
●「マルチな分野で本を書き、行動した丸岡秀子。女性と農村、
政治、経済、社会、教育、子育て、人権、反戦、親しい者との
別れのエッセー。シングルマザーの秀子は自立した女性のパイ
オニア。その活躍ぶりは今なら、勝間和代!けれど、弱い者た
ちへの共感に満ちているから、香山リカに相談しなくて済む、
丸岡秀子。
苦難が彼女をつよくした!ここに「あなたの物語」を発見しま
しょう」。
こんなチラシを配布しています。
信州佐久・臼田に生まれ、中込で育った丸岡秀子(1903-1990)
は、子連れで全国の農村をくまなく歩いて調査し、苦境におか
れた農村の中でも、女たちが最下層におかれ、死産、流産が多
く、堕胎、間引きの誘惑の中に生きている状況を『日本農村女
性問題』(1937年)で明らかにしました。
近代日本を底辺で支えたのが農村であったことは頻繁に語られ
ています。けれどその最底辺に女たちがいたことは、なかなか
語られません。都市女性だけに関心が集まっていた「女性問題」
の世界に、丸岡秀子は、農村女性の分野を開拓しました。都市
労働女性の多数が、実は農村の出身なのでした。
「農村女性」に対する秀子の生涯にわたる熱い思いの原点は、
秀子を生んで十ケ月後、24歳で死去した実母、その後、母代り
で育ててくれた母方の祖母、一緒に育った常、農業労働者であ
るその母ら、重労働の中で、命をつないだ信州・中込の女たち
でした。3部からなる自伝小説に基づいた、映画『ひとすじの
道』は、丸岡秀子の生涯を描いています。
会場:諏訪東京理科大学4号館432室
入場料:500円、無料託児所あります。ご連絡ください。
問い合わせ先:090-9664-1894(ふじせ)
主催:ちの男女共生ネット
後援:茅野市、茅野市教育委員会
ちの男女共生ネット主催のこの会は、これまで4年にわたって年
6回開催してきた、成瀬巳喜男映画を「女性学」「男性学」で分
析しながら、男性社会の仕組みをジェンダー批判する「講座」、
茅野市男女共同参画を進める会主催の「講座」の発展的形態です。
これまでご参加くださったみなさま、初めてのみなさまも、どう
かご参加くださいますようにお願いいたします。
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苦難が丸岡秀子をつよくしました。
フィリッピンで原発を廃止に持ちこみ、米軍を撤退させた非核連
合事務局長のコラソン・ファブロスさんは語りました。
「事態が厳しくなればなるほど、私たち、力が湧き出すんですよ
!」
丸岡秀子も、きっと同じ思いでいただろうとやまねこは考えてい
ます。
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丸岡秀子の足跡訪問記
ちの男女共生ネット、キックオフの会の2日後28日(土)、
新しく発足したネットのメンバーの間で、時間の都合の良かった、
さちほさん、せいたかさん、やまねこの3人は、旧中込学校、臼田
清集館の佐々木都さんを訪問しました。佐々木さんは丸岡秀子記
念碑の建設を発案し、建設委員長を務めた方です。信濃毎日への
投稿歴が長く、文筆活動も旺盛。信州の女性の間で知る人ぞ知る
方なのでした。
丸岡秀子のことに詳しい方が見当たらないか、知人友人に問い合
わせるうち、とんとん話が進み、佐々木都さんに紹介してくださ
る方があらわれ、お目にかかることになった。
●佐久地方は、やまねこたちの住む茅野から見れば、蓼科山の向
こう側。白樺湖を越えてドライブすれば1時間半ほどで到着する。
丸岡秀子の旧姓は井出ひでという。父の家は臼田の橘倉酒造。弟
である政治家の井出一太郎はじめ、有力な親族を何人も出してい
る名家である。
けれど、秀子は、裕福な名家で育ったのではない。両親の最初
の子供だった秀子は、母の産後の肥立ちが良くないため、母に伴
われ実家に暮らすうち、秀子10か月の折、母が死去した。その後、
父が迎えに来ることがなく、秀子はずっと祖父母のもとで暮らし
た。
母方の祖父の家はかつて庄屋の家柄だったが、土地を抵当に入れ
たことが元で、地主に土地を借りる立場に転じていた。1年の収
穫が土間に積み上げられたと思う間もなく、地主の荷車がやって
きては、俵をどんどん運びだし、最後には3俵しか残らなかった。
この3俵に麦を加えて、祖父母と秀子は1年を食いつないだ。
丸岡秀子は書いている。
「私の小学校時代は、三杯飯に味噌汁と野沢菜が、毎日の食事で
した」。
「没落庄屋のぼんぼん育ちの祖父が、五反百姓となり、肩を落と
した暮らしを祖母が必死で支えている中で、若くて死んだ娘の遺
児である孫のわたしを引き取って育てることは、容易なことでは
なかったと思う。
ことに、地主小作制度のきびしい時代で、ようやくコメを収穫し
て年貢を納め、さらにそれまでにたまった借金を返したあとの自
家用米は、何ほども残らなかった。翌年の2,3月になると、農
家でいながら、コメの一升買いが始まる。
だから毎日のごはんには、ほとんど、麦が入り、「おほうとう」
といったうどんで過ごす夜も何度かあった」。
(『十代に何を食べたか』平凡社+未来社編(平凡社ライブラリ
ー))
丸岡秀子が臼田の裕福な酒造家の長女として育ったかのように語
ることは、大きな間違いである。
秀子は貧しい祖父母の家と、共に育った常、その母たちなど、最
底辺で命をつなぐ女たちの生を自分のものとして選択したのであ
る。このことを、秀子は小説「ひとすじの道」に書いた。
中込の暮らしが自分をつよい人間に育てあげた原点であることを、
小説を書きながら著者秀子は噛みしめていた。
●
旧中込学校訪問
丸岡秀子が通った中込小学校は、明治6年(1873年)、成知学
校として創立し、8年に校舎が出来た。現在この旧校舎は、博物館
として、見学者を集めている木造の西洋建築。一階教室は、黒光
りした床の上に小さな机と椅子が並べられ、机には石板が置いて
ある。
二階は明治時代の教科書、算盤などの展示室。「井出ひで」の名
が最初に書かれた、生徒の出席簿、卒業写真も見られる。
二階の廊下に、太鼓楼入口の標識がある。薄暗い照明の中、木造
の急傾斜のらせん階段を昇ってゆく。頭をぶつけぬように気を配
りながら、手探りで登りつめたところが、太鼓楼だった。
なるほど天井を見るとその輪郭が八角形。中心から大きな太鼓が
吊り下がっている。白地の天井には、小さな文字で、地名が書か
れている。中心に中込、四方八方を囲む山の外側には信州の地名、
もっと外側には、横浜、札幌など日本の都市の地名、さらに外側
にサンフランシスコ、ワシントン、メルボルン、ケープタウン、
マドリード、ハンブルグなど、世界の都市の地名が書かれている。
八角形の天井に書かれたのは、信州中込を中心とした世界図なの
であった。
おそらく普段は、子どもたちが立ち入りを禁じられていたこの太鼓
楼。「ひとすじの道」には、卒業を控えた子供たちが、先生に連れ
られてここに昇り、中込の向こうには、広い世界が広がっているこ
とを、感動とともに知る場面が描かれていた。
●
清集館で鯉料理を食する。
佐々木都さんは、清集館の女将さん。鯉料理が名物と聞きつけ、
昼食をいただく。まずは鯉の甘露煮の大きさに驚嘆する。直径10セ
ンチを超えていただろうか。ウドの炒め物、緑の菜など野菜料理の
盛り合わせ、さらにみそ味の鯉こく。
独特の香りの鯉料理はやまねこの大好物である。
料理を堪能したころ、佐々木さんが、丸岡秀子の思い出話を語って
くださる。思い出の写真が拡大して展示用に保存してあるのを眺め
る。せいたかさんが、ビデオカメラに収めている。この映像を、
5月26日の勉強会で映写しようとの目論見である。
●やまねこ一行の慌ただしい日程にもかかわらず、泰然と構えて良
い話を語ってくださった佐々木都さん。旅館の経営に長年携わるこ
とで自身をきたえ、内面をつよくした女性。旅館経営も、教師の仕
事も、どちらもサービス業。どうやって、それぞれの場で、人に接
したらいいのか。こんな切り口の話が伺える新しいロールモデルと
して、これからも臼田通いをしなくては、とやまねこは思ったので
した。
●午後には、高速道路経由で、上田の別所温泉付近、前山寺と無言
館を訪問した。そこにはまったく別の時間が流れていた。
●5月26日(土)「丸岡秀子ひとすじの道」は500円の有料であ
る。前売り券には八角形のマークが描かれ、中に白抜きで「ちの男
女共生ネット」の文字が書かれている。
切符はせいたかさんのデザイン、印刷。八角形のマークは、丸岡秀
子の通った、中込小学校の太鼓楼から取ったシンボルマーク。この
切符は、丸岡秀子の著作をめぐっての今後のちの男女共生ネットの
活動を象徴しています。
どうか手に取って、眺めてくださいますように。
うらおもて・やまねこでした。