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2012年6月21日木曜日

魚津の寿司屋さんから、物語は富山の魚屋さんへ


@@@@やまねこ通信203@@@@

魚津の寿司屋物語に寄せられる反響に、切れ目がない。
めにご返事しないと、角の尖ったきときとの刺身が干物に
なってしまうよ、との警告も!

茅野でお世話になる富士見町のよしこさん
「魚津のお寿司屋さんのお話し見ました。楽しかったです。
ところでどの位の費用で食べれるのでしょうか、お腹いっ
ぱい食べる私にとって金額が気になります」。

よしこさん、重要な話をよくぞ聞いてくださいました。
レシートが三枚残っています。

12日・1803皿、2205皿、3802皿、計2400
14日・1804皿、2205皿、3802皿、計2580
15日・1802皿、2203皿、(汁物付き)計1400

180円のネタ・いわし、しめさば、とびうお、ふくらぎ、
220円のネタ・あじ、ほうぼう、黒鯛、真鯛、めじな、かわ
はぎ、あおりいか、地えび、うに、赤貝、かに、
380円のネタ・しろえび、ばい貝、

これ以外にも多くの種類のネタがありますけれど、だいたい、
こんなんだったと思います。

諏訪地域で同じように注文したら、鮮度のまったく違うネタ
を乗せた寿司がこの2倍はするんではないかしら。あまり食
べたことはないけれど。東京でも同じようなものでしょう。

次の便りは富山育ち東京住まいのかずこさん。魚屋さんの
を伝えてくれました。やまねこ通信をきっかけに、かずこさ
んの幼い時代の思い出が繰り出されてくるようです。
かずこさん、どんどん読ませてくださいね。

「富山のお魚の話は尽きませんね。
こどものころ(昭和20年代)、今泉に住んでいました。隣に
魚屋があったのですが、時々小泉町の中村鮮魚店のおやじさ
んが、自転車の荷台に魚を積んで、売りに来ていました。母
は中村の魚が新しくて、おいしいので、いつも買っていまし
た。その時、おやじさんがその場でさばいてくれるのを母は
見ていてさばき方を教えてもらったのだそうです。

伯母も中村のファンで、私が大きくなってからも、「やっぱ
り中村の魚でないとねえ、あそこのを食べたら、ほかのは食
べられん」と言っていたのを良く思い出します」。

やまねこの育った家の近所でも、魚屋さんが毎日のように、
大型の自転車の荷台に、木製の魚箱を4段も5段も積みあげ、
魚を氷漬けにして春夏秋冬をとわず、売りに来たものである。

テレビで料理番組が開始され、一週間の「献立」を作ること
が生活改善策として、奨励された時代があった。

当時、やまねこの母はつぶやいていた。
「どうして一週間先の献立が作れるのか分からない。だって、
魚屋が何を持ってくるか、その日にならないと分からないん
だもの」。

その通り。やまねこの子ども時代の一家の食卓は、魚津、生
地、岩瀬(富山)、伏木、新湊、氷見、能登が、昨夜から早
朝にかけて、どんな天候で、どんな魚が浜に水揚げされるか
によって、決定されていたのだ。

「昨日は海が時化(しけ)て」。
品薄の魚箱を前にして、魚屋さんが嘆く。
このセリフが、今晩の食卓を並べる際の、母親のセリフにも
なるのだった。

かずこさんは語る。
「新湊の魚も新しく、おいしいです。かわぐちで食べた魚料
理も格別。一度一緒に食べに行きたいですねー。
「先日の立山氷河の話と埋没林の話、これも心躍りますね。
こどものころ、魚津の埋没林を見に行った記憶があります。
多分、中村は、今も営業しているはずです。ただ昔通りでは
ないでしょうね。また行ってみたいと思います」。

残念だけれど、中村は今は消えたのではないかしら。
80年代以後、富山の小売の魚屋は衰退と没落の歴史をたど
ったとやまねこは受け止めている。

魚専門の小売店で信頼置ける店は、ほとんど例外なく、午後
3時頃から客が訪れ、店主との間で雑談したりきつい冗談を
飛ばし合いながらの商売のピークは夕方の午後4時5時。

夕方5時半にもなると、毎日の大掛かりな店中の水洗いが始
まり、6時過ぎには店をしまいに入る。このように連日のよ
うに綿密な水洗いをする魚屋は、前を通りかかっても、店の
中に入っても、「魚臭さ」が少しもしない。

新鮮な魚は、ほとんどにおいはしないのである。

けれど、こうした店の欠点は、一日の仕事を終え、勤務先か
ら立ち寄ったお客にとって、その日の最上の商品が、すでに
売り切れ、店じまいの只中に飛び込むことになってしまうこ
とである。

やまねこの一家が馴染みにしていた、鮮魚店も店じまいをし
てしまった。90年代の中ごろだったと思う。後を継いだ倅
さんが、料理屋に務めるようになったという。

やまねこたちが十代のころから毎日のように買いもとめ、暮
れの荒巻を何本も買っていた魚屋さんが店じまいした時は、
ひどく寂しい思いがした。

やがて、スーパーの鮮魚売り場が充実するようになった。
やまねこの母も、魚屋の休日に、スーパーの鮮魚売り場で買
い物をすることを厭わぬようになり、「スーパーも魚屋も変
わらない」と言うようになった。

子ども時代から十代を通じてずっと、とにかく毎日のように
焼き魚、煮魚、てんぷらや唐揚を食べてやまねこは育ったの
です。


うらおもて・やまねこでした。


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