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2017年4月17日月曜日

やまねこ通信377号:丸岡秀子が語る、憲法が「希望のバイブル」だった頃

@@@やまねこ通信377号@@@
丸岡秀子が語る、憲法が「希望のバイブル」だった頃

やまねこの仲間たち、ちの男女共生ネットは4月
22日(土)茅野市ひとまちプラザ1Fで勉強会を
開く。「私の好きな憲法」のテーマ。

目下、何人もの方々が、400字作文と5分トーク
の作成に努めておられる最中。今思うこと、短くて
もいいんです、寸鉄の言葉を繰り出してくださいね。

▲東アジア情勢不安定の中、ミサイルが隣国から発
せられる懸念を抱えて、この国の政府はそれを潮時
にするかのように、戦争を準備する法案、テロ等準
備罪など、審議は形式ばかり、国民への説明を軽視
してどしどし通そうとしている。

この中、子どもを育てているママたち、パパたちは、
いったい何を思うのだろう?
率直な気持ちを語ってくださいね!!

こり:お願いします。みなさん・・・

▲やまねこは丸岡秀子が憲法について幾度も語った
ことが気になっている。丸岡秀子は信州臼田の生ま
れ。農村女性の実態調査の研究、『日本農村婦人問
題』を1937年34歳で刊行。戦後は女性の問題、
民主教育、農村の民主化について多数の著作を発表
した。母親大会の主催者のひとりでもあった。

自伝小説『ひとすじの道』が広く読まれた。
ちの男女共生ネットの発会の折、その映画版『映画
・ひとすじの道』を上映し、討論した。これが第1
回の勉強会であった。丸岡秀子は、ちの男女共生ネ
ットの産みの母、ロールモデルである。

▲下諏訪図書館は丸岡秀子の本を多数所蔵している。
2階の閉架に丸岡秀子評論集があった。カウンター
で受け取って閲覧室に。

窓際の細長いテーブルに6冊積み上げ、次々流し読
み。広々して何もないテーブルだと仕事の捗りが早い。
2冊を借り出すことにした。

第1巻『いのちへの責任』第4巻『独りを怖れず』の
2冊。どちらも初出が60年70年代の文章を集めた
ものである。

こり:そろそろ本題に入って欲しいよ。

▲了解。
それでは、ちの男女共生ネットの産みの母丸岡秀子に、
戦後の憲法がどんなに素晴らしい「希望のバイブル」
だったかを、語ってもらうことにしよう。

「何を頼りに生きるか」
「原理や価値観の多様化が、よくいわれるようになっ
た。状況にからんで、とくに国際情勢の変転の激しさ
のためもあるのだろうが、もやや、これまでの単一の
原理や価値観では理解できないというものが、その根
底にあるように思われる。
(中略)

「だが、いくら多様化といっても、たとえば家制度の
もとでの価値観と、人権社会での価値観を等位におい
て肯定するわけにはゆかない。いわゆるタテ社会での
原理と、ヨコ社会の原理を、多様化肯定のもとで、一
緒に肯定するわけにはゆかないと思う。
(中略)

「いま、いろいろな会合に出て、若い主婦y母親たちと
話し合ってみるとき、わたしに、するどく迫る何もの
かがある。それは、人間としてどう生きるか、生きな
ければならないか、という問題である。

 するとわたしは昭和20年から、3、4年のあいだ
の状況を思い出す。ことに昭和23年11月は、米穀
類の配給が、全国平均で、28日間という最高遅配を
記録し、砂糖の配給が、なんと20日間分あった。そ
れを背負って、さつま芋との交換に出歩いたものだった。

 小学生の息子のおべんとう箱は、高粱のおだんごだ
ったことも忘れていない。どこの子も「母さん、おな
かがすいたよう」と、よく泣いたものだった。

「戦後といっても、生活はまだ戦時中との連続であっ
たが、しかし半面、精神の高揚があった。いうまでも
なく、新憲法、平和憲法があった。みんながこの旗を
高く掲げて生き生きとした表情を一つにした。

 それは、そのはずである。物的資源であったこれま
での人間の生命が、一人ひとりのかけがえのない生命
として回復し、また、その平等が保証されたからだった。

 これこそ、敗戦後の日本人が生きる上での、新しい
価値基準であり、希望のバイブルだったからである。
当時、現役の母親だったわたしたちは、この新憲法11
章、103条をむさぼるように読んだものだった。

家庭で、地域で、これらの条章を具体的に生活の中
に根付かせることこそ、“お腹がすいたよう”
と泣きながらこらえて育った子どもたちに対する大人
の責任と考えたからだった。(以上)
(初出:1978年8月8日「四国新聞」掲載)

▲以上、丸岡秀子の評論を引用しました。
戦争が終わっても人々の暮らしは厳しかった。けれど
人々には希望があった。それが憲法だった。

これほどにも輝かしい「希望のバイブル」だった憲法。
ところが、70年後の今日では、暮らしから遠いもの
と思われ、忘れられている。
この頃、「お腹がすいたよう」と泣きながら育った子
どもたちは豊かな社会の担い手となり今では80代を
迎えている。

この文章が書かれてから約40年後の今、格差社会が
進み、子どもの貧困が厳しさを増して、「お腹がすい
たよう」と訴えることもできない子どもたちが増えて
いることが語られる。

そこに生きる大人たちは、憲法に定められた基本的人
権で自分が守られていることに気づいているだろうか?
男女平等、議会民主主義は、戦後の日本国憲法がもた
らしたものであることに気づいているだろうか?

こり:「希望のバイブル」だったのか。憲法が!こん
なことを語りあう勉強会になるといいね!
みなさん、お疲れ様でした。


こりでした。

うらおもて・やまねこでした。

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