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2012年1月7日土曜日

オリンパス、大王製紙、東電の共通点はな~んだ?



@@@@やまねこ通信174@@@@


正月休みの15日、毎日新聞コラム「経済観測」、「これ
からのガバナンス」という記事に目が止まった。

オリンパスの損失隠し、大王製紙の不正貸付、原発事故を
起こした東電、企業ガバナンス(統治)における不祥事が
明るみにでた3企業の共通点はいったい何だったのか?

答は、どの企業も、社内の役員に女性が一人もいなかった
ことであるという。

筆者は女性市長林文代氏の膝元、横浜市副市長山田正人氏
(前経産省)。氏のコラムの趣旨をやまねこが簡略化して
お伝えしよう。

職場では、意思決定の折に、少数意見を持つ人々に対し、
多数意見に合わせるような強制力が働く。これを「同調圧
力」という。「皆に合わせなさい」という圧力。消極的に
は「みんなで渡れば怖くない」という慣例が存在している。

ところが、女性役員は一般的に、男性役員に比べると「同
調圧力」が低いと言われる。皆と同じにという圧力を掛け
られる度合いが少ないということである。

男性役員は生活のすべてを会社に捧げている。けれど多く
の女性役員は家庭や地域での活動などの社会的役割を担う
場合が多いためであろうか、と筆者は推測。

少数意見は組織を活性化する。最近の英国の調査では、女
性役員のいる企業は、男性役員ばかりの企業より破たんリ
スクが20%低いとの結果があるという。

男性役員ばかりだと、社外の空気が読めず、過去からの経
緯や伝統を引きずって外部からの視点を軽視しがちになる。
社外取り締まりを入れても、「お客さん」的に扱われてし
まう。

地方自治体では、首長も議員も少しずつ女性が増えている。
企業も自治体も異なる意見を持つ自由を尊重し、それを経
営や運営に生かす仕組みを持つことが真のガバナンスだと
いう。(以上)

女性の役員を入れた企業は破綻リスクが少ないよ、との意
見。格別目新しい意見ではない。ダイバーシティの名でも
語られている発想である。けれど、こうした正論が、継続
的かつ頻繁に発信される必要が大いにあると、やまねこは
えている。

「男女共同参画は何の役に立つの?」という質問を受ける
ことが良くある。

ジェンダーについて語るとき、米国の黒人と白人の関係を
喩えに出すと分かりやすいことが多い。米国社会は差別さ
いた黒人がついに大統領になった社会である。

黒人が完全な市民権、すなわち公民権を得ていなかった時
代の米国での二人の会話を想像してみよう。

A「黒人は白人同様の公民権を得て、教育、就業が平等に
ならなくては。そうして社会参加できて当然じゃないの!」

B「へえ、黒人が白人と平等になったら、この社会にどん
な利益があるのかね」。

Bの発言は「社会」が自分たち白人だけのものであること
を自明の前提にしている。逆に言えば、黒人は白人より身
分が下にあるのが、当然と考えている。


だから自分たちの支配する社会に黒人を入れることで、ど
んな利益があるかを尋ねているのだ。


こうしてみると、「男女共同参画は社会にどんな意味があ
るの?」という質問は、「黒人が白人と平等になったら社
会にどんな利益があるのかね?」という質問と同列である
ことが分かるだろう。


どちらも、現在優位に立っている者たち(白人、男性)
社会を支配することの妥当性について、あらためて問うま
でもないとみなしており、社会への平等な参加を求める勢
力(黒人、女性)の存在を許すかどうかの権限が、自分た
ちにあるとみなしているのである。

社会はそこで生きるすべての人々のものであり、すべての
人々が同じ権利を持ち、政策決定に参加するのが当りまえ
である。


これが、近代社会の原則、民主主義の根幹をなす「権利」
を形作る前提条件である。

ところが、「権利」というのはあまりに当たり前すぎて、
「過去からの経緯や伝統を引きずった」企業社会のメンバ
ーの耳にはなかなか届かない。地域社会も同じだが。

一方で、この企業社会は利益には敏感な社会でもある。

だから時には利益に訴えることも必要になる。

「男女共同参画は社会にとって何の役に立つの?」との質
問に対する答えがここに示されている。

「女性が政策決定に参加すると、企業の破たんリスクが
20%も減少するとの調査がでたんだよ」。

こうした調査結果や理論を常日頃とりいれながら、今年も
飽きることなく男女平等、男女共同参画についてお伝えし
たいと思います。

地域の環境運動などさまざまな活動に熱心で、あらゆる動
植物、微生物、湖のプランクトンの生命にまで思いをは
る人々の中に、人間社会の男女不平等、ジェンダー差に気
くことのない人々があまりに多いことが、やまねこは心
不思議でたまりません。

こうした人々は過度に「近代的」なのでしょうか。近代社
の平等原則が男性だけのものであったことにまだ気づい
おられないか、頭では気づいていても、言論の実行が伴
わないのでしょうか。「人間中心主義」を相対化しても、
「男性中心主義」にはなかなか気づくことがなく、さらに
実行が難しいのでしょうか。

あるいは、社会的役割の男女差であるジェンダーの問題は、
あまりにも身近なため、見えないし、むしろ見たくないの
かもしれませんね。


こうしたみなさまには、早く「脱近代化」して頂きたいと
やまねこは切に願うものであります。


うらおもて・やまねこでした。


ところで、国立女性教育会館女性教育情報センターのHP
に次のリストがありました。なかなか面白そう。

テーマ展示リスト「男性にとっての男女共同参画」
(20121月~3)

http://www.nwec.jp/jp/data/page2012.1-3.pdf

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