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2012年1月8日日曜日

暖房は何を使ってる?


@@@@やまねこ通信175@@@@

やまねこは信州八ヶ岳の西麓、標高1050メートルの高
地にこの10年ばかり暮らしています。朝8時の現在、ベラ
ンダの温度計は零下9度でした。

ネット検索したところ、深夜3時から朝6時の茅野は零下
11度とのこと。

この場所に住み始めたころ、近隣の方々から必ず尋ねられ
る質問がありました。

「暖房は何を使ってる?」。

その通り、暖房がみなさんの最大の関心の的なのです。

1月から2月にかけ、最低気温は零下12度あたり。標
高1500メートルでは、零下18度とも聞いているか
ら半端ではありません。

北海道と同じ、帯広と同じ気温とも語られています。

だとしたら、家屋の断熱設備や暖房は、帯広と同じ仕様
でなくてはならないでしょう。

この土地の古家を購入する際、数キロ離れた昔からの集
落に本宅ある人が、都合で別荘地のセカンドハウスに住
んでいました。その人に尋ねました。

「この場所は、昔からの住宅地に比べて寒さが厳しいで
しょうか?」

「そんなことありません。なあ~にも、特別なことあり
ません。うちは石油ストーブだけですよ」

この言葉に安心して夏の避暑を目的に建てられた古家を
購入して冬仕様に改造しました。

設計を進める中で、床暖房が手ごろな価格で設置できる
ことが分かり、やまねこの棲家の暖房は、こんなわけで
床暖房です。

燃料は灯油です。

入居したての頃は、隣人を訪問したり道端で立ち話をす
ることが頻繁でした。増改築の棲家に居住した後に、暖
房の知識が豊富になりました。

暖炉、薪ストーブは、赤赤と燃え上がる炎が眺められて、
それは素敵です。暖炉などを取り付けている家もよく見
かけます。けれど基本的に薪だけで暖を取るという家は、
少数です。

この少数の方々は、冬季を除く季節を通じて、年中薪つ
くりに精を出しています。丸太が切り出されたとの知ら
せを頼りに軽トラックで運び込み、電動のこぎりで適宜
の長さに切り揃え、鉈で薪の太さに断ち割って、敷地の
片隅に積み上げ、冬を待つのです。

最も多いのは、温風灯油ストーブ。燃料が自動的に補給
できるものを利用する家です。暖炉があっても使用せず、
普段は温風灯油ストーブを利用する家が多いのです。

やまねこのように床暖房の家はまだ少数でした。床暖の
エネルギーは電力と灯油の2種類です。

このころ、冬季の燃料費は、灯油でも薪(購入)でも電
力でもほぼ同じと聞いていました。

こうして今の棲家に定住した最初の年の12月末の夕方、
気温がそれほど低くない時期に大雪が降りました。水を
多目に含んだ重い雪です。

やがて電線に降り積もった雪の重みが電柱を引っ張り、
道路上に斜めに倒してしまったのです。

地域は全面的な停電になりました。
この時、停電が何を意味するかをやまねこは初めて知っ
たのです。

暖房が消えました。灯油が燃料だから大丈夫。こう思っ
ていたところ、燃焼させるために電力が必要でした。家
がどんどん寒くなってゆきます。電話も電力がなくては
コトリとの音もしません。パソコン画面も真っ黒です。

当時携帯電話を持っていなかったので、陸の孤島にいる
思いになりました。

仕方なく、数キロ離れたアパートに当時住んでいた同僚
のせいたかさんに一晩の宿を求めました。
良きサマリア人であるせいたかさんのホスピタリティー
にあらためて感謝します。

一帯の停電は、最長23時間、翌日の午後4時ごろまで
続きました。やまねこは翌日午後3時頃自宅に戻って、
電力が回復していることを確かめました。

その後、停電中のさまざまなエピソードを聞きました。
家をオール電化に建てかえたばかりのお宅では、気温が
下がる中、車を出してアイドリングしたり時折運転して
何とか一夜の暖をつないだとの話。

薪ストーブを赤赤焚いている近所のSさんは、停電の真
っ暗闇の中、やまねこの家を車で訪問して、「家におい
でよ」と誘ってくださったのでした。やまねこはすでに
せいたかアパートに向けて出発した後でしたが、後でこ
のことを聞いて、それ以後、Sさんのお宅に足を向けて
寝ることはできなくなりました。

こうして、電力を使わない独立式の灯油ストーブが必要
であることが分かりました。それに蝋燭や大型の懐中電
灯も電池のスペアを揃えて。

けれどいつでも使えるように準備するまでにはいたって
ない。こうしてはいられないのに。

停電がなくても、厳寒の真っ最中に、暖房器具が故障し
てどんどん室温がさがる経験もしました。(幸いボイラ
ーのメーカー、ノーリツは24時間体制の緊急電話対応
をするようになりました)。

ぐらりと揺れたと思ったら、天井や壁が崩れ落ちて、停
電、ガス停止などが一瞬に起った。見渡す限り、家がつ
ぶれた。結果、破壊されて消滅した家を着の身着のまま
後にするしかな人々が大量に生み出された。これが、
昨年、3.11、東北を襲った大震災なのでした。

自分の経験した小さな不幸の針の穴から、ようやく他者
の身に降りかかった大きな不幸が、僅かばかり想像でき
るのかもしれません。


うらおもて・やまねこでした。



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