ページビューの合計

2016年7月29日金曜日

やまねこ通信359号:滿蒙開拓平和記念館バスツアー、10代から80代の参加者はどう感じたか?

@@@やまねこ通信359号@@@
滿蒙開拓平和記念館バスツアー、10代から80代の参加者はどう感じたか?

ちの男女共生ネットは、7月24日(日)滿蒙開拓平和記
念館にバスツアーをした。茅野市のバスを使用。食事付き
で参加費2000円のツアーだった。

朝8時集合、茅野市運動公園第1駐車場を出発した。曇天
の暑すぎず雨の心配ないおだやかな一日。中央道を名古屋
に向かい、飯田山本インターで下に降りる。

15歳から86歳までの男女の参加者27人が、阿智村駒
場の滿蒙開拓平和記念館に入館。

▲どうして滿蒙開拓なの?
 女性に選挙権がなかった大日本帝国の時代、
   滿蒙開拓平和記念館で体験しよう!

大日本帝国の不都合な歴史「満洲国」。昭和のはじめ、世
界恐慌後一層貧困となった農村の小作対策、農林省「農村
更生政策」はやがて「農村更生協会」を設立し滿蒙開拓送
出し機関に。500万人の日本人を送り出す計画発動!国
の宣伝、新聞・雑誌広告、映画、ポスターに「王道楽土」
「五族協和」のコトバ。学校では滿蒙開拓少年義勇軍で「
お国の役に立つ!」教育が熱心な教師の背中を押した。

本当の悲劇は敗戦と共に始まる。老人、女たち、子どもた
ちばかりの開拓団。大日本帝国が送り出した人々も村も、
失敗作満洲国の現場から逃げる時は孤立した。妊娠中の女
たち、中途で生まれた赤子、泣く子どもを置いて去った母、
道端に倒れた人々、集団自決の村、死体が折り重なる曠野。
この歴史を掘り起こし後世の人々に伝える滿蒙開拓平和記
念館。戦後何もしない国と、ひとり闘い残留孤児捜索を開
始し「残留孤児の父」と呼ばれた山本慈照さんの終わらな
い痛みと悲しみ!
大日本帝国崩壊後、日本国憲法が発布された。ツアーの目
的。平和憲法、その基本的人権、民主主義、男女平等の精
神が、どんなに大切かを味わうこと。私たちにとり、「国」
がどんなものかを滿蒙開拓の歴史に学ぶこと。さらに戦争
の痕跡を隠している見慣れた風景を二重写しに見てゆくこ
と・・・
LCV『満洲富士見分村・戦後70年後の証言』201611
放映、再放送。ギャラクシー賞受賞。

以上が、勉強会資料に書いたツアーの目的である。

開館の9時半に到着。中では解説付きの滿蒙ワールド・タ
イムトンネルに。

▲参加者に訪問しての感想を書いてもらった。
非常に読み応えある文章が寄せられました。主催者一同は、
疲れが吹き飛ぶ思いがしましました。
ここに公開いたします。

60代女性
とっても良い勉強会でした。
教育とか政治とか人を導く立場の人たちがいつも正しいこ
とを言っているとは限らない。自分の目や耳を働かせて何
が真実で何が正しいか、見極める力をつけることの大切さ
を今日の滿蒙開拓記念館の見学を通じて思い知らされまし
た。
家に帰って家族で話し合いたいと思います。
資料館でのボランティアの方の説明がとても丁寧で分かり
やすかったです。本当にありがとうございました。

60代女性
前々から関心があり参加しました。戦争を経験された方も
参加者の中にいらしたり、又、午後に体験談をお聞きした
りする等、より身近な問題として、いろいろなことを考え
させられました。今度は家族を連れてきてみたいです。
度は家族を連れてきてみたいです。

70代女性
父の弟が15歳で少年義勇軍に行きました。現地で戦争が
始まる前に事故で亡くなりました。戦争を見なかったこと
がせめてもの救いだったとか。

無記名の方
来たいと思っていたところでした。ありがとうございまし
た。LCVで富士見の方の話しも聞きました。何とも言えない
ご苦労されたんですね。農場が訓練場だったとは知りませ
んでした。

40代女性
実際使用したカマや防寒具の厚さや重さを手にとってさわ
ることができて良かったです。

70代女性
戦前に生まれた私にとって、おぼろげに知っていました。
前に一歩深く知ることができ、今の平和が長く続くことを
願っています。

10代前半
滿蒙開拓について勉強できたので良かった。
体験談も聞けたので良かった。
中国残留孤児についても勉強できたので良かった。
学校では教えてくれない事ばかりで、滿蒙開拓について深
く知れて良かった。

70代女性
本では何冊か読んだことがありますが、語り部の方の話を
直接聞くことができて良かったです。館内の説明も微に入
り細にわたってよかったです。心にしみることも多かった
ですが、ずっと立ちっぱなしは疲れます。部屋にベンチが
あるといいですね。

20代男性
記念館には何度も伺っていますが知らなかった事実を知る
ことができました。信濃教育会の元会長の「国や県の政策
に応じただけ。反省する必要もないし、してはならない」
このコメントは今でも様々な場に共通している意識だと思
いました。
他人事:誰かの問題ではなく、自分事として、関心を向け
て行くことが戦争に向き合い平和を創造することなのでし
ょう。

70代女性
昨日は本当に有難うございました。
今まで耳にしたことはあった、満蒙開拓と云う言葉、詳し
い内容は知らずにいましたが、昨日館内案内の説明で知る
ことが出来ました。
国策として夢を持たせ多くの国民を満州へ送り込み最初は、
内地より豊かな暮らしが出来たでしょうが、ひとたび戦争
となった時、現地召集はないとの約束も消え男性は召集
れ残るは女性と子供、軍隊は去り中立だったはずのロシア
の侵攻であの広い土地をどう逃げ惑ったかその大変さを感
じました。
また少年義勇軍として、13~14歳の子供までが送り込
まれたとは親たちは心で涙して送り出したであろう。少年
たちが母当てに書いた「はがき」が数枚ありその内容は、
「自分は元気で頑張っている、母を案じる内容を見たとき
涙がでました。この歴史は伝えていくべきで学校の社会科
で(歴史)で学んで欲しいものです。

80代女性
・世界恐慌の波が押し寄せ「大学は出たけれど」というコ
トバが世間に広まった時代、満州移民を勧める国策に協力
し「王道楽土」を求めて渡満された人々が苦労したのみで、
敗戦で立場が一変し、棄民状態となり悲惨極まり無い状態
に改めて憤りを覚えた。政府の対応もおそすぎた。当時の
ことを書物等や、実際に「入植移民」として渡満された隣
家の主婦よりいたましい話を聞いていたが・・・
・「お上」の方策に逆らえない暗い時代が二度あってはな
らない。人権の尊重と事の本質を見抜く力を個々が養わな
ければならない。
・戦争を知らない世代の女性が良く勉強をされ、上手に解
説をして下さった。全国に一箇所のこの記念館で多くの人
が思いを致して欲しい。
戦争を知らない世代の女性が良く勉強をされ、上手に解説
をして下さった。全国に一箇所のこの記念館で多くの人が
思いを致して欲しい。

主催側・50代女性
バスツアーと言う初の試みであったが大成功だったと思い
ます。
現地に行って直接感じられるものは得難い経験でした。
阿智村は遠く、電車の便もないことから、ことに中高年の
方には喜ばれた企画だったと思いす。 
・以前に満蒙開拓について勉強して感じていたことに加え、
さらに国策に踊らされて命を落とした多くの方々の無念さ
を強く感じました。
ソ連国境の厳寒の地に、人の盾として多くの農民が入植さ
せられたこと。
厳しい自然との闘い、ソ連参戦によるソ連および中国人と
の闘い、関東軍に見捨てられた人々の逃避行と、たどり着
いた収容所での劣悪な暮らし
国策として渡った人々に戦後はなんの保障もなく、さらに
日本のあちこちの原野に土地を求めて移って行った人々。
帰郷できた人々もさらに苦難の日々があったことは知りま
せんでした。
 また、引き揚げを進めるようGHQのマッカーサーに命を賭
して嘆願に行った人々がいたことも初めて知りました。
 ・開拓に渡った人々は貧困だけが理由ではなく、国策に
動かされた誤った使命感もあったのでしょう。
志願して渡った人も、開拓や義勇軍への入隊を進めた側も、
それは異常な時勢ゆえだったのではないでしょうか。
何が正しいのか自分で見極めるちからというものが大切だ
と思いました。
以上。

小中学校で15年戦争の歴史を学ぶ機会がなくては。
「負の歴史」として隠蔽する時代は終わった。平和教育に
役立つ「正の歴史」を学ぶ機会が増えるといい。

▲お昼はごか食堂で弁当を食べた。地元の野菜中心の料理。
デザートに桃がついて、味噌汁がうまかった。女性たちが
立ち上げたNPO法人だった。

ちの男女共生ネットが外に出かけるのは初体験である。と
ころが、ツアコンのような有能さでてきぱき進めてくれる
さちほさん、やよいさんのお陰で、参加者は、じっくりと
参観し同行者との会話を楽しむことができて、大成功だっ
た。
皆さん、ありがとうございます。本当にお疲れ様でした。




うらおもて・やまねこでした。

2 件のコメント:

  1. やまねこさま 詳細にまとめて下さりありがとうございます。ご参加頂いた皆様、とても関心が高く、真剣に記念館のボランティアガイドの方の話を聞いていらっしゃいました。初めて知ることも多く、やはり足を運ぶことの意味を感じました。記念館の設立・運営にも相当なご苦労があったろうと思います。多くの方に訪れてほしいと思いました。

    返信削除
  2. 設立にこぎつけるまでに、女たちの根強い働きかけがあったとのこと。帰国の船を出すように、占領軍に働きかけた人々。山本慈昭さんの痛みと悲しみ。これらを忘れないようにしよう。無駄にしたくないですね。

    返信削除