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2011年8月2日火曜日

「ひとつの生き方」、女たちが職業人として生きること

@@@@やまねこ通信118@@@@  

先程、11時58分、駿河湾を震源とするマグニチュード6.1の地震が起
こりました。やまねこの家では、下から突き上げる強い揺れを感じ
ました。揺れはそれほど長くは続きませんでした。すぐにテレビを
つけたところ、長野県では松本、諏訪、茅野が震度4でした。静岡市
の一部区域が震度5を記録しました。
皆様の地域ではいかがでしたか?

問題の原子力保安院の発表によれば、御前崎の浜岡原発では地震後
も変化が起こっていないとのこと。すべての原子炉が休止中で、本
当によかったと思います。

こうした地震が起こるたびに、経産省、電力会社が原子炉を再開す
るために国民に説明する理由が、どんどん失われてゆきます。
いったい何回、あなた方は、フクシマを招きたいのですか?

● Mかずこさんの「ひとつの生き方」 
なでしこジャパンが優勝した頃、やまねこブログの愛読者、Mかず
こさんからメールが届いた。かずこさんはやまねこと同じ富山市に
生まれ育った。東京の大学で学び、建築専門家の道を歩んだ。

2年前、友人の画家の主宰する絵画教室の展覧会が新宿駅南口のギ
ャラリーで開かれ、やまねこは初日のパーティに招かれた。会場
陳列された作品を眺めるうち、1枚の絵の作者の名前に眼が止まっ
た。

見覚えある名前だ。中学1年下の生徒の名前と同じではないか。友人
に確かめると、作者は目の前にいる女性だった。出身を尋ねたとこ
ろやまねこと同じ中学高校を出た同一人物であることが判明した。
それがMかずこさんであった。

東京都下のT市に住むかずこさんが小淵沢付近に山荘を所有してい
るところから、その後同じ学校を出た妹のたかこさんも共に交流が
始まった。かずこさんはシングルでご両親を富山から引き取った。
今は80代後半の母上の住まいを妹のたかこさんと手分けして週に幾
度か訪問している。

建築という力仕事を伴う男性中心の世界、やまねことは違った現実
の中に生きたかずこさんは、生涯にわたる職業人であるけれど、男
女平等ということに対して、やまねことは別の考えをもっている。
そのことをかずこさんは書き送ってくれた。

《 ひとつの生き方 》
私は現実問題として、男社会の中に身を置いて仕事をしているわけ
ですが、基本的に男女平等は絶対にあり得ません。
しかし、男では出来ないであろう部分を探りながら、生きてきまし
た。

私は、高校までは男女共学、その上は女子だけの世界の教育を受け
ましたが、女子大に行って何を最初に感じたかというと、学園内の
ありとあらゆることを、ここでは全て女子の手で行うのだという実
感でした。

それまでは、なんとなく男子に頼っていた(前身が旧制中学で、生
徒数の2/3は男子という高校)状況が一変したことが、ささやかな
驚きでした。上級生は、本当に頼もしかったです。

一方で、学外に出ると、そこは完璧な男社会、良くも悪くも男子に
頼らざるを得ないわけで、しかし、それはそれで、なんとなくその
世界に浮遊しながら、生き延びてきました。

私のように小さな体の女は、決してまともに体当たりすることはで
きません。でも、でも、男が出来なかった仕事をやりおおせるとい
うことの密やかな快感は、幾度も味わうことが出来ました。

がちがちの男が、刀折れ、矢尽き、ぼろぼろになって去っていった
後始末を、結局私がしたことがあります。男が力で押し切ろうとし
ても出来なかったことを(それは理屈や力ではなかったのです)、
相手をなだめすかし、「これはこうやらなくちゃうまくできないわ
よ」などといいつつ、何とか業務を終えさせたこともあります。

ただそれは女の勝利として認められるわけではなく、ただ私が生き
ていく道だったわけです。

今は男女一緒になってあるグループを作っています。男たちは、な
んだかんだえらそうなことを言っても、実際に動こうとしないずる
さがあります。そんな男たちをかわいいものと見て、おだてながら
私たち女が都合のいいようにやらせて行くのも悪くはありません。

ただここでいえることは、私の周りの男子が、社会一般の中では比
較的(かなり)リベラルだという幸運に恵まれたことでしょうか。

これは親に深く感謝しなければなりません。父は、戦後の社会で戦
争未亡人になって、色々苦労したり、苦海に身を沈めなければなら
なかった人たちを見て、これではいけない、女にも手に職を就けさ
せなければならないと、真剣に思ったそうです。そんな親を持った
ことも私の幸運かもしれませんが

これからも私は、ごまめの歯軋りをしながら、漂って生きていくこ
とでしょう。多分私の妹もそうです。そういう生き方もあるという
お話。 
ではまた。(以上)

やまねこは次の個所に心を打たれた。
「父は、戦後の社会で戦争未亡人になって、色々苦労したり、苦海
に身を沈めなければならなかった人たちを見て、これではいけない、
女にも手に職を就けさせなければならないと、真剣に思ったそうで
す」。

これを読んで先日講座で語り合ったばかりの『白い野獣』という成
瀬巳喜男演出の映画を思いだした。作品では職業訓練が売春経験を
経た女性たちの「更生」の柱だった。身を売る必要がないように職
業を身につけること。

● 女たちが職業人として生きること

やまねこも職業人として自立することが人生の目標だった。結婚し
なくてもいいように。それほどにも、やまねこにとって、結婚の道
はどうあっても避けたいものだった。母や親族、知人の家族を知れ
ば知るほど、結婚する女性たちの気が知れないと思うようになった。
その生き方や考えは、ずっと理解できないままだった。

かずこさんの書くような意味では、やまねこは職業において男の力
を必要としたことはない。けれど業務はさておき、求職する際には、
男性である恩師や知人との交流がすべてであった。女が女を紹介す
という関わりは、やまねこの業界では、30年前はほとんど皆無だ
た。

この10年ばかり、各地の女たちと交流し話を聞く機会が増えた。す
るうちに、様々な女たちの生き方が見えるようになり、その生き方
が大切なものと思われるようになった。それにつれてさまざまな女
ちと会話することに興味や関心が高まった。

今は、家族や結婚を描いた成瀬巳喜男の映画に最も関心がある。成
瀬巳喜男の映画を見ること、さらに原作の林芙美子、幸田文をはじ
めとした明治以後の女たちの文学作品を読むことは、女たちのなす
すべない生き「ごまめの歯ぎしり」の続く運命に対して、逃げ
ることなく向き合うことであり、祖母や母の世代の女たちと対話す
ることであり、その喜怒哀楽を追体験することにつながっている。

これがどんなものであったを書きとめる仕事は、すべて今後に掛か
っている。

うらおもて・やまねこでした。


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