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2011年8月8日月曜日

「バリアフリー音楽祭」、新しい「人と人のつながり」を求めて

@@@@やまねこ通信123@@@@

    パンフレットを読む。二つの団体からなる主催
さて、「蓼科みずなら音楽祭」の当日配布されたパンフレットは、2日前、ブ
ログを書く折に初めて隅々まで読んだ。こうした文書を精読するのが趣味で
あるやまねこ。そこから必ず、何か見えてくるものがある。会場にも展示さ
れた若い画家酒井慶二郎さんの鮮やかな花の絵の表紙。表紙には以下
の記載があった。

主催:「コバケンとその仲間たちオーケストラ」と「蓼科高原みず
なら音楽祭実行委員会」の両者。
後援:茅野市、茅野市教育委員会など。
協賛:ヤマハ音楽振興会など。
協力:茅野市、バリアフリー音楽祭支援隊、NPO法人サポートC
   など。

第2頁
ごあいさつ:みなさまに感謝をこめて 「蓼科高原みずなら音楽祭」
実行委員代表、コバケンとその仲間たちオーケストラ プロデュー
サー、小林桜子

エッセイ「ブタペストでの思いがやっと実現した冬」小林研一郎

第3頁~第4頁
指揮者紹介、オーケストラ紹介、独奏者:久元祐子、塩崎明日香

第5頁
出演者
「コバケンとその仲間たちオーケストラ」名簿
 ステージマネージャー2名、事務スタッフ2名、カメラ1名、プロデューサ
ー神林克樹、小林桜子、司会1名

吹奏楽(バンダ)・太鼓・合唱名簿:高校別、指導者、釜石高校顧問

第6~7頁
その他は2頁にわたる曲目の簡潔な紹介で終わり。プログラムはこのよ
うな全7頁の冊子である。

プログラムから読みとれたのは、「蓼科みずなら音楽祭」は二つの団
体の主催であるということだった。
「コバケンとその仲間たちオーケストラ」と「蓼科高原みずなら音
楽祭実行委員会」の両者である。

オーケストラ」がどんなに素晴らしい演奏をするとしても、切符
を売り、現地会場の観客集団構築、会場設置など、あらゆる仕事を
こなす人々がいないと音楽祭は実現しない。

「オーケストラ」と「現地実行委員会」は、丁度、指揮者とオーケ
ストラの両方があってはじめて音楽が奏でられると同様に、どちら
も必要不可欠だから、原理的にその比重は五分五分だろうと、やま
ねこは考えていた。

プログラムには、出演者はオーケストラメンバーのみならず、高校
の音楽部のメンバー、指導者の名前に至るまで網羅してある。素晴
らしいことだ。全員で音楽を作るのだから。これでこそ、プロと、
アマチュアの仕切の取り外し、「バリアフリー」といえるだろう。
素晴らしいことである。

次は実行委員会である。ここが全体としてどれほどの仕事を引き受
けたのか、やまねこにはその全体像はとても把握しきれない。けれ
ど3回の「実行委員会」にはそれぞれ約20人の現地スタッフ、す
なわち本ブログで二度にわたって報告したサポーター集団が参加し
ていた。それだけでなく、招待客の皆さんをつなぐ立場の方々が参
加していた。

この方々の力で、「障がいある方々とのバリアフリー」の演奏会が
実現するのだな、とやまねこは考えていた。一般客は全国各地から
参加されたと思うけれど、招待客は茅野富士見地域在住の方々だけ
であったのではないだろうか。
これらすべてを統括したのが、現地実行員会会長原房子さんである
とやまねこは考えている。

「バリアフリー音楽祭」はこの国ではまだきわめて新しいコンセプ
トである。だからこうした新機軸の「人と人のつながり」、組織や
ネットワークの構成が、誰にも理解できるように書かれているので
はないだろうか。プログラムを開けばきっと示されているに違いな
い。このことを楽しみにして、やまねこはプログラムを開いた。

   あれっ!現地の実行委員会は?
ところがである。実行委員代表挨拶は、小林研一郎夫人、小林桜子
さんが書いている。しかもその下に「コバケンとその仲間たちオー
ケストラ」プロデューサーとも書いてある。
だから2頁目には小林桜子さんと夫の研一郎氏の二人の文章だけが
載っている。まことにドメスティックな一頁であること!

そうか、そうか。なるほどね。少し旧い流儀みたい。それはいいと
しても、現地の実行委員会会長、この人がいなかったら、音楽祭は
成立しなかったと思われる原房子さんたちの名前はどこにあるのか
しら?やまねこは真剣に、何度も7頁の冊子をひっくり返してみた。

見当たらない。あれっ、見当たらないよ。
表紙の一番下に「協力」との項目があり、そこに茅野市、バリアフ
リー音楽祭支援隊、NPO法人サポートCとの小さな文字が見つか
る。

この小さな活字に、原さん始め、サポートCメンバーの夜も眠れぬ
責任感と当日までの緊張感、現場作業の無数のやり取りと汗が込め
られていたというわけなのか!

これには驚いた!彼女たちの業務がパンフレット上では蒸発してい
る。いったい音楽祭は誰がどうやって催行したの?
こういうのを、シャドーワークって言うんじゃない?「音楽祭」を
立ち上げるのに不可欠な職務の一方の代表の名前が書いてないなん
て。現地にいない人物の名でその業務を代理させるなんて。
いったい、どうなってるの?

やまねこは静かな怒りが込み上げてきた。

話は変わるが、「炎のコバケン」を取り上げたNHK『ディープピ
ープル』であれ、ドキュメンタリー番組に「終」の文字が映し出さ
れた後の、最後のキャプションを見ることを、やまねこは常々楽し
みとしている。そこには番組成立に協力した、あらゆる個人、企業、
団体、ロケ現場の建築などなどの名前が小さな字で無数に流されて
いる。

その中に階級や、序列を設けることなく、水平に羅列するのが今日
の様式であるように見える。番組終了後の最後のキャプションは、
番組を作成した舞台裏の「人と人のつながり」を示す重要なインデ
ックスなのである。

ドラマも同じであり、最近は出版物だってそうだ。以前は著者と出
版社の社長の名前と日付だけが奥付に記されていた。けれど、最近
では出版社ではなくプロダクションが編集実務を担当することが多
い。だから実働メンバーの名が何人も書かれていることが珍しくは
ない。

一つの番組や書物を仕上げるためには、多数の人々の協力を必要と
する。協力した人々の名をできるだけ掲載すること。そのことでど
んな意味があるだろう?

   新しい「倫理コード」
第一に作業の責任を明確にすることができる。第二に、作業した人
々をシャドーワークと化してしまうことで、他者の労働を搾取して
しまうことを防ぐ事ができる。広い意味での民主化の流れであり、
編集倫理、番組制作倫理の発達であろうとやまねこは受け止めてい
る。

遅れていることで悪名高かった大学ですら研究倫理が課されるよう
になっている。やまねこは文科系だからすべての文章は自分一人で
書いている。けれど集団でのチームワークが当たり前である理工系
では、研究論文を書くにあたってまず最初に研究倫理を学習するこ
とが義務付けられているらしい。

やまねこは数年前、そうした米国の書物の序文を読む機会があった。
研究論文を書く際には、研究に参加するメンバーの実働の作業分担
の割合を相互に了解したうえで明記し、分担の割合の大きさの順に
筆者の名前を並べることが研究倫理で規定されているのである。若
手の行った研究を教授が自分の名前で発表するという「パワハラ」
スキャンダルが以前は多かったことを聞いている。しかし今日では、
こうした他者の研究の搾取は、原理的に許されなくなっている。

「バリアフリー音楽祭」は、長野オリンピックの後のスペシャルオ
リンピックスに出発点があったことを聞いている。そこではこの国
における新しい「人と人のつながり」に対して、新しい倫理の創造
は顧慮されなかったのだろうか?

そのことに意識の働く人が、多数のメンバーの中にいなかったのだ
ろうか。旧い「人と人のつながり」に吸収されてしまったのだろう
か?もしもそうだったら、他の分野に鑑みて、新しいコード、興行
倫理、音楽会倫理を生み出す必要があるのではないだろうか?

人と人を拘束し分断する「バリア」。これは障がいをもつ人々と、
健常者の間に横たわるだけではない。

音楽会を開催するにあたっての、演奏家とプロデューサー。まぎれ
もなく「コバケンとその仲間のオーケストラ」には、演奏家以外に
ステージマネージャー2名、事務スタッフ2名、カメラ1名、プロデューサ
ー神林克樹、小林桜子、司会1名」の名が記されてあった。

その意味で演奏家とプロデューサーの間の「バリア」はすでに消失
していたのだ。

次は、ほんの小さな一歩を踏み出すだけでいいのではないか。音楽
を生みだす側と現地の観客や会場にまつわる作業担当者の間の「バ
リア」を解消することだ。

そのために、地元実行委員会とその責任者の名を1,2名書くだけ
でいいのである。

そのことで、第一回目は旧い「人と人のつながり」に沈んでいた
「蓼科みずなら音楽祭」。次回からは、新しい「音楽会倫理」を翼
にして高く飛び立つことができるだろう。
このことで「バリアフリー」「蓼科みずなら音楽祭」は、本当の新
しいモデルとして社会に向かって誇れるものになるのではないか?

別に難しいことではあるまい。もうすでに、「音楽会倫理」「興行
倫理」はおそらく「正義」を重視する今日の米国で普及しているに
違いない。それを数頁参照すればそれでいいのだ。やまねこでさえ、
このことに詳しそうな友人の顔が数人思い浮かぶくらいである。

   最後にもうひとつ気づいたこと。茅野市(長)改造計画
演奏会前の挨拶を、地元代表として市長が行った。茅野市が後援を
務めているから当然である。

けれど、この時、市長が齧ったばかりの「バリアフリー」「ノーマ
ライゼーション」を解説するよりも、地元実行委員会のメンバーが
手ごたえある語りをしたらもっと素敵だったのに。やまねこは何人
もの方々とこの考えを共有した。

市長が実働メンバーをステージに呼んで、マイクを手渡し、自分は
一歩退いて耳を傾ける。こうだったら、素敵なオープニングだった
だろうな!

前例がなかったらその時こそ、先駆者になるチャンスだ。
茅野市(長)改造計画の第一歩である。市長に呼び掛けてみよう。

実はコバケンのステージでの身振りは、徹底してこの原理を踏襲し
ていたとやまねこは感服している。コバケンさんが素敵に見えるの
は、内面のエートスが身振りに表れているところだとやまねこは考
えている。

これはなかなか、真似できることではない。けれど「かたち」から
「こころ」にはいるのでもいいじゃない!

やまねこが今気づいたような「バリア」の他にも、今後、幾つもの
「バリア」が見つかるであろう。毎回それを乗り越える態勢が築か
れたら、「蓼科みずなら音楽祭」はすべての参加者にとって、「何
か新しいもの」「新しいエートス」に触れられる掛け替えない
最先端の場になることだろう。
こう思うのははたしてやまねこだけであろうか?

うらおもて・やまねこでした。


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