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2011年8月14日日曜日

富山大空襲2737人の死者、夏の夜の朗読劇、下諏訪

@@@@やまねこ通信126@@@@

   富山大空襲2737人の死者
やまねこ通信125号に『ほむら色の空』について書いたところ、富山
生まれの友人Mかずこさんからメールが来た。やまねこより1学年下
級のかずこさんは、生後一カ月にもならぬうちに空襲に遭った。


母上はかずこさんを背中におぶって、燃え盛る市内とは反対方向の南
へ南へとにげたのだった。

5年前に亡くなった作家の久世光彦のエッセイ『時を呼ぶ声』
に当時の様子が描かれていると、かずこさんは伝えている。向
田邦子のドラマの演出で有名な久世光彦は東京で育ったが、富
山の母の実家に疎開して空襲に遭った。

言われてみると『時を呼ぶ声』を走り読みした覚えがある。市
内の「空が真っ赤に染まった様子が本当にきれいだった」こと
が確かに書かれていたと思う。やまねこは兼ねてから、久世光
彦演出の向田邦子のドラマは、西日の射す場面の多いことが気
になっていた。空襲の赤い空を富山で見たことはこの本で初め
て知った。

生後9カ月だったやまねこの一家は、富山市の南、高山方面に
向かう飛騨街道沿いの蜷川村、八日町という所に疎開していた。

祖父の出た本家の屋敷があったのだ。屋敷の土蔵の窓から、両
親、祖母、それに2歳だった姉は、富山市の空が真っ赤に染ま
っているのを眺めた。母の母方の伯父一家が2737人の死者にま
じり、に焼かれて家もろとも焼死したことを聞いたのは、
ずっと後のことである。

南へと逃げたかずこさん一家も、熊野川沿いの同じ方面に向か
った。戦後親族の寺に身を寄せたかずこさん一家の数軒先に、
久世光彦一家の住む家があったという。

やまねこの子ども時代、お盆になると八日町に墓参りに出かけ
るのが一家の欠かせぬ年中行事だった。富山地鉄に乗って誰も
降りない小さな駅に降りる。そこから4~5キロ、一面の田圃
の中の細い道を歩くのだった。母は弟を背負い、いつもずっと
遅れて歩いていた。往復10キロにおよぶ真夏の炎天下、不承
不承に足を運んでいたことは、子どもにも感じられた。蝉の鳴
く声を聞きながらの苦行のような墓参りだった。それを止める
ことのできない事情を、祖母と父が抱えていたことに気づいた
のは、かなり後になってのことである。

見渡す限りの水田だった熊野川沿いのその土地に、毎夏訪れた
墓が古びたまま今もある。蜷川村一帯は、工業団地になり飛騨
街道は国道になり、高速道路の富山インターと、富山空港のど
ちらからもい地域になっている。

蜷川、八日町、太郎丸、舘出、今泉、堀川小泉、南田町、富山
の地名が飛び交う。これは近いうちに、富山大空襲の視角から
富山市内を歩き直す必要があるだろう。このようなことをかず
こさんと語り合っている。



   『ほむら色の空』の朗読劇、富山で。
富山朗読劇の会は、『ほむら色の空』を8月13日に上演した。今年で
何度目なのだろう。絵本の原作者前野時子さんことときちゃんが、招
待されて出席したことが、ブログに書いてある。
他に、井上ひさし・永 六輔・高良留美子・谷川俊太郎・奥田史
郎(ときちゃんの兄上)・その他の作品が朗読された模様。
『ほむら色の空』は、富山市の小学生にできるだけ見てほしい。
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   夏の夜の朗読劇、下諏訪
810日(水)夜7:30下諏訪総合文化センターで、井上ひさし
原作、朗読劇サークル・あほうどり公演の朗読劇『少年口伝隊一九
四五』上演を見て来た。
何もない舞台の上に、メールを送ってくれた友人のSさちほさんが
立っているのでびっくり。さちほさんがあほうどりの一羽らしい。
5人、男1人の役者が台本を朗読する。

装置は椅子が3脚のみ。何もない空間。光と闇のコントラストの中
にセリフが飛び交う。緊張した舞台だった。
井上ひさしの遺作であるこの朗読劇は、新国立劇場などで繰り返し
上演されている。(以下、新国立劇場のHPより。)

「昭和2086日、一発の原子爆弾が広島の上空で炸裂した。一
瞬にして広島は壊滅、そして多くの孤児が生まれた。かろうじて
生き延びた英彦・正夫・勝利の三人の少年は、やはり運よく助か
った花江の口利きで中國新聞社に口伝隊として雇われる。新聞社
も原爆で何もかも失ったため、ニュースは口頭で伝える外なかっ
たからだ。三人の少年は、人々にニュースを伝えながら、大人た
ちの身勝手な論理とこの世界の矛盾に気がついていく。やがて敗
戦。しばらくすると正夫が原爆症を発症、ひょんなことから手榴
弾を手にした勝利はある決意をする。そこへ戦後最大級の台風が
広島を襲うことになる」。

広島、長崎に原爆が落とされて66年目、特に今年はフクシマ原発
事故の5ヶ月目である。現地の広島長崎や、人口集中した首都圏だ
けでなく、下諏訪のような地方の小都市の市民たちが、全部自分た
ちの手作りで上演し、地域の観客に訴えた意欲が素晴らしいと思っ
た。来年も続けて欲しいと思う。

最近、下諏訪を訪れるたび立ち寄る秋宮付近の山猫軒でせいたかさ
んと早めの夕食をした。そばと鶏の網焼きを注文。若い板前の工夫
を凝らした料理が楽しみな店である。店内のあちこちに、山猫の人
形が腰をおろして食事客を眺めている。同じ名前のよしみで親しみ
を感じるようになったやまねこである。

うらおもて・やまねこでした。


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