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2011年5月6日金曜日

住宅カウンセリング、茅野市民館の階級性

 @@@やまねこ通信75号@@@

●連休の谷間、52日月曜日、やまねこは授業があった。
 今年の前期は、月火の2日が授業である。
 
 授業の終わった3時ごろ、長坂に山荘のある建築家Mかず
 こさんが研究室に来訪。
 研究室といっても、やまねこは昨年3月に定年退職したの
  だから、同僚、せいたかさんの研究室。
 
 これまで小渕沢などで幾度か歓談したことがあり、やま
  ねこはMかずこさんに救援を求めることにしていた。

 家屋の収納と台所の使い勝手を改善し、書物の背表紙が
  見渡せるようにするため、設計の見直しを依頼したので
  ある。見直しといっても、予算が限られているので大し
  たことはできない。

 家屋の相談は、人生相談に似ている。
 家屋を見ることで、家族関係や暮らしの流儀が分り、
 カウンセリングに役立てることができるという話を以前
  に聞いたことがある。尤もだと思う。

 やまねこにおいても、根本的問題の解決に向きあって取
  り組むことが一日一日遅延されている。
 Mかずこさん、乱雑な室内の光景を眺めまわして、
 「時間がかかりそうですね」と穏やかに仰る。
 この瞬間、やまねこは、Mかずこさんを師匠と仰いだ。


 ●その後、茅野市民館を参観。
 モダニズムの極みといえるガラス壁面の市民館。
 入口がどこなのか分りにく設計。

 扉はどこかしらとうろうろするうち、自動扉が音もなく
  開く。
 エントランスは、ほぼ暗闇。床には細い電光掲示が埋め
  込まれ、行事を知らせる文字がするする横に流れている
  が、何度歩いても躓かぬように歩くだけで精一杯。

 中は、がらんとした大空間。大きなマルチホールと、
  二階の小ホール。
 一階のギャラリーと事務室など。
 大ガラスが互いに光を反映しあって、不安定な空間。

 大きなカプセルみたいなトイレが幾つか。
 茅野駅の駅舎に接続した廊下が伸び、駅からの扉が開く
  とそこは図書館である。
 列車を待ちながら図書館で本を読む。
 へえ~。随所に遊び心あり。
 設計者は、さぞかし楽しんだのだろうな。

 けれど、市民館の運営は基本的にサポーターの活動から
  なっており、サポーターの皆さんは、市民館の構想段階
  から参加していたと聞く。
 
サポーターの事務室は、どこにあるのだろう。
 巨大なカプセルトイレの裏側に、手書き看板が置いてあ
  ったので、ようやく判明。

 大きな空間の中の後で付け足した小屋みたいな場所で、
 あれだけの活動が、と驚嘆する一方で、茅野市委嘱の運
  営事務所との建築空間的差異が、権力差、階級差を表わ
  していることに気づく。
  
 モダニズム的な「自由」空間の中での階級性の露出。
 施主と設計者の意識は、やはり露出せずにはすまないだ
  ろう。

 駅舎の外に、古民家の古材を張り付けた様な柱が立って
  いる。
 全体のガラス張りモードとは程遠い、古民家風の柱。
 この部分だけ、茅野の農村共同体に対して気兼ねしたの
  かしら。
 
 けれど、古民家風の建物は、地域に昔から住む人々は関
  心を示さない。
 見慣れた古ぼけた材木なんて、薄汚いと思っておいでで
  ある。
 やまねこの住む地域で、古民家風のレストランが客を集
  めている。
 そうした建物を好むのは、基本的に都会から来た人々で
  ある。

 市民館の行事に幾度も足を運んでいるやまねこは、使い
  心地について幾つかの言い分がある。
 大ホールに導かれる正面扉の向うは、黒い床で、細い急
  階段を上らねば席にたどり着けない。
 平面の広々した座席の並ぶフロアに入るためには、踏み
  面の小さいその階段を昇ってまた降りる必要がある。

 客席に入りやすい入口もある。
 けれど、それはステージ脇の扉まで、奥の方へ数10メー
  トル歩かねばならない。
 
初めて来訪された観客の皆さんは、奥の扉まで歩く手間
を惜しみ、その結果、薄暗い細い急階段で踏み迷う仕儀
となるのである。

 改善はあるていど、可能だと思う。
 切符のモギリをする場所で、しっかり観客を誘導して、
  平面の観客席から入場していいただくことであろう。
 怪我をする人が出る前に。

 若者と子どもたちだったら、この薄暗くて行く先の不分
  明な空間を楽しむかもしれない。

 けれど、市民館の利用者は、圧倒的にワーキングリッチ、
  あるいはノンワーキングリッチの中高年者であるとやま
  ねこは見ている。

 冬季になると、外壁の大ガラスが何枚もバリバリと落ち
  て、その修理代数百万円が、ただでさえ厳しい茅野市の
  財政を圧迫していることを以前に聞いたことがある。

 けれど真偽のほどを確かめてはいないから、ここでは問
  わないことにしよう。

 こうしてみると、茅野市民館、誰に向けて作ったのか、
  誰が使うためのものか、基本コンセプトの見えにくい、
  まことに理解に苦しむ建物と見えてくる。
  
 地方の箱ものが、全国各地でこうだったことは、やまね
  こだって散々聞いている。
 建築家の楽しみのために、地方の財政が圧迫された歴史。
 どうしてその失敗、今頃、繰り返したのだろう?

 おまけに茅野の場合、「自由」と見える空間の中に階級
  性が見事に露出していることは、先に書いた通りである。

 これほどの問題山積の市民館。
 誰か市民館の、弁護する人の考えを聞いてみたいものだ。

 ところがどっこい、弁護どころか、この市民館、建築業
  界の受賞を幾つか受けている。そればかりか、設計した
  建築家は、たしか日本芸術院賞を受賞したのでなかった
  か。
  
 建築の賞を選ぶ人々は果たして、市民館を見たのだろう
  か。様々な立場で使う人々の話を聞いたのだろうか。

 それとも、建築は、箱もの、オブジェとしてのみ、受け
  止められているのだろうか。
 使い心地を踏まえた、きっちりした批評をする人々が不
  在の世界なのだろうか。
 
 大震災と福島第一原発事故以後、電子力工学をめぐる産
  官学癒着の構造については頻繁に耳にする昨今、類似し
  た構造が、日本の他の業界に存在しなかったわけはある
  まいとやまねこは考えるが、この業界はいったい、どう
  なんだろうね。

 うらおもて・やまねこでした。
  


 

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