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2011年5月15日日曜日

コバケンの熱演と戦時下の娘たちの青春

@@@ やまねこ通信81号@@@


● 「炎のコバケン」の熱演


 いわき市の生まれ、「このたび、故郷を失った」と、「炎のコバケン」こと、
 指揮者小林研一郎は満場の観客の前で打ち明けた。
 アンコール演奏のブラームス、ハンガリー舞曲第5番はこうして始まった。


 時は諏訪交響楽団、150回定期演奏会、
 所は岡谷市のカノラホール。


 演目は、
 ラフマニノフ、ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調。ピアノ 久元祐子
 チャイコフスキー 交響曲第5番 ホ短調であった。


 どの演奏も、最後のタクトが振り下ろされるやいなや、拍手の嵐。
 どの演奏も、終わった途端、興奮の渦が舞台と観客席の包んでなかなか
 さめることがない。
 しかし、これで終わりではなかった。 


 指揮者コバケンは、ソリスト一人一人に、握手を求め、起立を求め、新たな
 拍手を誘っている。各パートごとに回っては手を差し出し、握手を求めている。
 オーケストラ全員に握手して感謝をささげる演奏後の指揮者。


 舞台の上でのこんな光景を見たのは、やまねこ初めてである。


 昨年より、チェコフィルとのベートーヴェン交響曲全曲録音が進行中と聞く。
 第1回ブタペスト国際指揮者第1位、ハンガリー国立響、チェコ・フィル
 常任指揮者。
 はなばなしい国際的活動歴。
 「炎のコバケン」http://www.it-japan.co.jp/kobaken/index2.htm
 
  この世界的指揮者小林研一郎は、高いところから見下ろすように、
 アマチュア楽団である諏訪響メンバーに対して接しただろうか。


 そうではなかった。
 
 昨日のリハーサル風景を、隣席のはらさんが語ってくれた。
 コバケンは、楽団員に、「皆さま」と呼び掛け、個々の演奏後、
 「ありがとう」の感謝のことばを忘れなかった。


 そうなのか、とやまねこ思った。
 コバケンは、世界の著名な交響楽団の人々に接すると同じように、
 諏訪響メンバーに対して接したのだ。


 諏訪だって、日本だって、世界の一部である。
 外国で演奏することだけが世界で活躍することではない。
 
 どんなに偉大な指揮者であっても、指揮者一人で交響曲を演奏はできない。
 音楽こそは、共同性が求められる最たるものであろう。
 指揮者と楽団メンバーの間に、意識のズレがあったら、
 ハーモニーは生まれない。
 
 楽団メンバーと心を共にすること。
 これが小林研一郎の演奏の出発点だった。
 心を共にしてくれた楽団メンバーに感謝の気持ちを伝えること。
 これが演奏の終わりなのだ。
 
 昨晩は、コバケンが率先して、「色彩豊かに奏でられた音楽によって、
 仲間たちと至福のひとときを共有した」のではなかったか。


 この十余年、オペラを追いかけていたやまねこ、舞台の上での声楽家、
 装置、照明に目を奪われ、オーケストラは舞台下でいいと思ったわけでも
 ないけれど、交響楽団の演奏からは遠ざかっていた。


 諏訪響のコンサートに足を運んだことも、今回が初めてである。
 指揮者によって、演奏家たちはこれほどにも力を引きだされるのだろうか。
 
 今回の諏訪響公演の迫力と、緊張感、核心に迫った演奏が聴けることを、
 やまねこ、果たして、予想していただろうか。


 はらさんの仕掛けで、またしても至福の週末が得られました。
 今度は、声楽の会を楽しみにしてるからね。




● 昭和ひとけた世代の娘時代


 はらさんから、突然のお誘いを受けたやまねこ、岡谷中心部にお住まいの
 Hしづえさんをお誘いした。


 演奏が終わり、感動の涙がとまらないしづえさんとやまねこ、そのまま
 別れるのは心残りだから、付近のファミリーレストランSレークへ。


 昭和ひとけた世代のしづえさんは、諏訪根自子のヴァイオリンに魅せられた。
 音楽の好きな叔父さんと共に、レコードをいくども聞いた。
 メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲、サラサーテのツイゴイネルワイゼン。

 諏訪高等女学校では、音楽の特別授業があり、そこに志願して、
 バイエルを一度だけ教わった。

 けれど、その翌週から、工場での勤労動員が始まり、それ以後、ピアノに
 触れたことはない。


 やまねこの母は大正8年(1919年)生まれである。
 母と自分の間に横たわる世代、昭和ひとけた生まれの女性たちと、
 やまねこは交流の機会が多い。
 思い出話を語っていただくのが好きだし、教わることが多い。


 向田邦子(1929年生れ)のドラマを見ると、戦時中に娘時代をすごした
 女たちの生き方を垣間見ることが出来る。
 
 この国の、いたるところで、国が戦争をしていた時代に娘時代を過ごした
 女たちがいたのだ。
 
 母を戦災で亡くしたため、きょうだいの母代りとして女学校を中途で辞めた
 あつこさん。


 原爆で身体に深く永続的な損傷を受けたきょうこさん。


 この女たちの共通点は、変わることない反戦への情熱である。
 
 じつは、しづえさんは、男女共同参画活動において、やまねこたちの
 仲間である。
 
 成瀬巳喜男映画をテキストにした勉強会に、岡谷からなんども参加して
 くださる。
 
 最初に彼女の存在に注目したのは、林芙美子の『稲妻』の回であっただろうか。
 主婦についての議論をやまねこが語った時だった。


 「それは、石垣綾子と坂西志保の論争で語られています。『婦人公論』に
 載っていました」


 40年~50年前の議論を、昨日のことのように、しっかりと記憶して発言
 されたのを聞いて、やまねこは目が覚める思いがしたことを忘れない。

 それ以来、しづえさんは、やまねこの尊敬する女性の一人である。

 しづえさんの発言にあった論争が、『主婦論争を読む』に掲載されている
 ことを、後日やまねこは確かめた。

 しづえさんは、国家公務員のキャリアについていたが、その間ずっと、
 『婦人公論』を休むことなく定期購読していた。
 現在の『婦人公論』は、女性週刊誌みたいな外観と中味である。
 けれど、それ以前は、『中央公論』に並ぶ、分厚い論壇誌であったことを
 覚えておいでの方もあるだろうか。


 
 小学校卒業の折、クラス担任がいったことをしづえさんはふと語ったことがある。
 「学業ではしづえが一番なのはまちがいないが、女を総代にするわけにゃ
 いかんからな」

 女たちの社会での伝統的ジェンダー役割。
 一人静かにそれに対抗することが、生きることだったしづえさんの人生。

 諏訪の地域でこうした意識の高い女性たちとの勉強会がもてることは、
 やまねこにとって、予想もしなかった人生の楽しみである。


 近いうち、岡谷での勉強会を開こうと考えている。


 カノラホールにほど近い、レストランSレークでは、やまねこたちと同じく、
 諏訪響の感動からさめたくない人々が、あちこちで語らう姿が見受けられ
 するうち、静かに夜が更けていったのでした。


 忘れぬうちに、お知らせします。
 茅野市男女共同参画講座
 次回は第17回、成瀬巳喜男監督『はたらく一家』がテキスト。
  5月28日(土)12時半~16時半。
  お問い合わせは、茅野市家庭教育センター 0266-73-0888


  うらおもて・やまねこでした。

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