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2013年4月15日月曜日

どうして日本人は英語が話せないのか?今春から「英語の授業は英語で」!!



@@@やまねこ通信261号@@@

諏訪地域にも桜が開いた。諏訪湖周囲を散策すると、つ
ぼみに7分咲き満開などさまざまな開き方の桜の木が入り
混じっている。「山わらう」季節である。

新学期が始まった。やまねこは、今年の前期、半年ぶり
に英語を一コマ担当する。一年生の必修科目である。
授業は、基礎文法の整理と訳読をする予定である。

●文科省の発行する新学習指導要領に「英語の授業は英
語で行うことを基本とする」という新ルールが盛り込ま
れた。今春から完全実施される予定である。

(以下、毎日新聞ウェブ版)
その結果、3月26日、検定結果が発表された教科書を
見ると、多くがスピーチやディベートなど「コミュニケ
ーション重視」を前面に出し、日本語の記述を減らして
いる。

文中の文法事項は、それらの合間に挟み込む形で付随的
に学ばせるものが多い。

これに対して、ある東京都立高の50代の女性教諭は「
文法が体系的に学べない。これでは生徒の頭の中に英語
の形が整理されない」と危惧する。読む・聞く・話す・
書くの4技能を総合的に学べるのが「コミュニケーショ
ン英語」の売りだが「すべてがグチャグチャに混ざって
中途半端になる」と生徒の混乱を予想する。

指導上の不安、疑問の声が聞かれる中、採択されたのは、
まるで文法のワークブックみたいな「文法重視」の従来
型教科書だったという。全体のシェアの42%を占める
という皮肉な結果が生まれた。

これに対して文科省は、「各校が最も適切な教科書を選
んでいるのだろう」と静観する構えという。

毎日新聞の全文は次のURLをクリックしてください。

●実際に英語を使えるようにするためには、中学文法に
習熟すれば良いと、やまねこは考えている。これは英検
3級の水準である。

けれど、これが身につくためには、体系的学習が必要で
ある。文科省のいう「文法事項は、合間に挟み込む形で
付随的に学ばせる」ようでは、とても身につかないだろう。

高校で勉強する文法の中には、大学入試の難問対応のも
のがあり、実際にはあまり使われない表現が、試験対策
として登場している。

●新指導要領の「会話中心」の方針にもかかわらず、英
文法中心型の教科書を選んだ先生方の考えをやまねこは
当然だと受け止める。

けれど、それが大学受験に有利だからとの理由だったら、
「使える英語」の道とは違った道であろう。

英語が大学入試科目であって、文法が「難しいもの」で
ある限り、「コミュニケーション中心」の英語学習には
繋がらない

基礎文法に習熟すれば、「読む・聞く・話す・書くの4技能」の
どれにも役立つはずである。ここを解きほぐすことが重要である。

●外国語を学習する際に、文法学習は無駄であるばかり
か、有害であると語る人々が少なくない。

文法を軽視していい時はどんな時だろう?

その外国語が使われている国や地域で暮らす時である。
ネイティヴスピーカーである周囲の人々の話を聞くこと
で、耳が慣れ、語彙が増え、やりとりする時には、相手
の語る表現を再利用し使い回すだけで、どんどん話せる
ようになる。日常的には、辞書も文法書も要らない。

●ところが日本のように、日本語という母語があり、日
本語の新聞雑誌のみで何ら不自由することのない文化、
「文学全集が出版されている少数の言語文化」(水村美
苗『日本語が亡びるとき』)、日本語社会が確固として
存在している国では、こうはゆかない。

英語は一般の日本人にとり、第二言語である。生活環境
で、実際に使うことのない外国語を習得するには、文法
は必要不可欠な支えである。

基礎文法が身についていれば、外国に行ってからの会話
の習得が容易になる。言語構造が身についているから
ある。

第二言語であっても、インド、フィリッピンなどの旧植
民地の国々では、国内の公用語が英語で、小学校に上が
ると授業は全て英語で行われる。(インドの公用語は独
立後ヒンドウー語と定められたが、英語中心が改まらな
い。)

このような国々での英語学習と、日本での英語学習を同
列に論じるわけにはいかない。

「英語の授業は英語で」との方針を出し、文法の配分
を小さくした文科省は、このことをどのように考えてい
るのだろう。

ましてや、ディベート、スピーチ、プレゼンテーション
など、日本語で日常的に行うことがない表現手段を、英
語で指導するためには、教員たちが訓練を受けねばなら
ない。

一方で、小学校での英語学習が義務化している。そこで
教える教員は、英語教員の資格が必要ではない。全国の
小学校でで指導する英語教員を用意することができなか
ったためであろう。
多くの場合、担当者は、ネイティブスピカーであるALT
若者たちである。

英語学習の目的が時代によって変化してきた。今日では
グローバル世界で活動するコミュニケーション能力が英
語学習の目的である。

教員たちに課されているのは、ネイティブスピーカーと
同様の言語能力である。
やまねこの同業者である友人、知人の英語の教員は、絶
えず英語の音声に触れ、新聞雑誌を読んで地道な努力を
怠らない方々が多い。

英語の文学を研究し楽しむために書物を読むのとは全然違うこう
した習慣。
やまねこにとり、この習慣は過去のものである。


うらおもて・やまねこでした。


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