@@@やまねこ通信261号@@@
諏訪地域にも桜が開いた。諏訪湖周囲を散策すると、つ
ぼみに7分咲き満開などさまざまな開き方の桜の木が入り
混じっている。「山わらう」季節である。
新学期が始まった。やまねこは、今年の前期、半年ぶり
に英語を一コマ担当する。一年生の必修科目である。
授業は、基礎文法の整理と訳読をする予定である。
●文科省の発行する新学習指導要領に「英語の授業は英
語で行うことを基本とする」という新ルールが盛り込ま
れた。今春から完全実施される予定である。
(以下、毎日新聞ウェブ版)
その結果、3月26日、検定結果が発表された教科書を
見ると、多くがスピーチやディベートなど「コミュニケ
ーション重視」を前面に出し、日本語の記述を減らして
いる。
文中の文法事項は、それらの合間に挟み込む形で付随的
に学ばせるものが多い。
これに対して、ある東京都立高の50代の女性教諭は「
文法が体系的に学べない。これでは生徒の頭の中に英語
の形が整理されない」と危惧する。読む・聞く・話す・
書くの4技能を総合的に学べるのが「コミュニケーショ
ン英語」の売りだが「すべてがグチャグチャに混ざって
中途半端になる」と生徒の混乱を予想する。
指導上の不安、疑問の声が聞かれる中、採択されたのは、
まるで文法のワークブックみたいな「文法重視」の従来
型教科書だったという。全体のシェアの42%を占める
という皮肉な結果が生まれた。
これに対して文科省は、「各校が最も適切な教科書を選
んでいるのだろう」と静観する構えという。
毎日新聞の全文は次のURLをクリックしてください。
●実際に英語を使えるようにするためには、中学文法に
習熟すれば良いと、やまねこは考えている。これは英検
3級の水準である。
けれど、これが身につくためには、体系的学習が必要で
ある。文科省のいう「文法事項は、合間に挟み込む形で
付随的に学ばせる」ようでは、とても身につかないだろう。
高校で勉強する文法の中には、大学入試の難問対応のも
のがあり、実際にはあまり使われない表現が、試験対策
として登場している。
●新指導要領の「会話中心」の方針にもかかわらず、英
文法中心型の教科書を選んだ先生方の考えをやまねこは
当然だと受け止める。
けれど、それが大学受験に有利だからとの理由だったら、
「使える英語」の道とは違った道であろう。
英語が大学入試科目であって、文法が「難しいもの」で
ある限り、「コミュニケーション中心」の英語学習には
繋がらない。
基礎文法に習熟すれば、「読む・聞く・話す・書くの4技能」の
どれにも役立つはずである。ここを解きほぐすことが重要である。
どれにも役立つはずである。ここを解きほぐすことが重要である。
●外国語を学習する際に、文法学習は無駄であるばかり
か、有害であると語る人々が少なくない。
文法を軽視していい時はどんな時だろう?
文法を軽視していい時はどんな時だろう?
その外国語が使われている国や地域で暮らす時である。
ネイティヴスピーカーである周囲の人々の話を聞くこと
で、耳が慣れ、語彙が増え、やりとりする時には、相手
の語る表現を再利用し使い回すだけで、どんどん話せる
ようになる。日常的には、辞書も文法書も要らない。
●ところが日本のように、日本語という母語があり、日
本語の新聞雑誌のみで何ら不自由することのない文化、
「文学全集が出版されている少数の言語文化」(水村美
苗『日本語が亡びるとき』)、日本語社会が確固として
存在している国では、こうはゆかない。
英語は一般の日本人にとり、第二言語である。生活環境
で、実際に使うことのない外国語を習得するには、文法
は必要不可欠な支えである。
基礎文法が身についていれば、外国に行ってからの会話
の習得が容易になる。言語構造が身についているからで
ある。
ある。
第二言語であっても、インド、フィリッピンなどの旧植
民地の国々では、国内の公用語が英語で、小学校に上が
ると授業は全て英語で行われる。(インドの公用語は独
立後ヒンドウー語と定められたが、英語中心が改まらな
い。)
このような国々での英語学習と、日本での英語学習を同
列に論じるわけにはいかない。
●「英語の授業は英語で」との方針を出し、文法の配分
を小さくした文科省は、このことをどのように考えてい
るのだろう。
ましてや、ディベート、スピーチ、プレゼンテーション
など、日本語で日常的に行うことがない表現手段を、英
語で指導するためには、教員たちが訓練を受けねばなら
ない。
一方で、小学校での英語学習が義務化している。そこで
教える教員は、英語教員の資格が必要ではない。全国の
小学校でで指導する英語教員を用意することができなか
ったためであろう。
多くの場合、担当者は、ネイティブスピカーであるALTの
若者たちである。
ったためであろう。
多くの場合、担当者は、ネイティブスピカーであるALTの
若者たちである。
英語学習の目的が時代によって変化してきた。今日では
グローバル世界で活動するコミュニケーション能力が英
語学習の目的である。
教員たちに課されているのは、ネイティブスピーカーと
同様の言語能力である。
やまねこの同業者である友人、知人の英語の教員は、絶
えず英語の音声に触れ、新聞雑誌を読んで地道な努力を
怠らない方々が多い。
英語の文学を研究し楽しむために書物を読むのとは全然違うこう
した習慣。
やまねこにとり、この習慣は過去のものである。
した習慣。
やまねこにとり、この習慣は過去のものである。
うらおもて・やまねこでした。
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