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2013年4月21日日曜日

やまねこ通信266号 ボストンマラソン爆破事件の移民兄弟、英語教育「生活必需品」か「高級品」か?



@@@やまねこ通信266号@@@

ボストンマラソン爆破事件の移民兄弟、英語教育「生活
必需品」か「高級品」か?

●ボストンマラソンのゴール地点で起きた圧力鍋爆弾の
爆発テロ。命を失った方、負傷された方々は、本当にお
気の毒である。

(以下、朝日新聞ウェブからの抜粋)
ロシアからの移民兄弟が容疑者。ボストン・マラソンの
爆破テロ事件は、タメルラン・ツァルナエフ容疑者(2
6)が死亡、弟のジョハル・ツァルナエフ容疑者(19)
も警察に身柄を拘束され、捜査の区切りを迎えた。

兄弟はロシア南部チェチェン共和国周辺の出身とされる。
2002年に両親と渡米。米国に10年以上住むうちに、
次第にチェチェン人としての意識が強まった、との見方も。

ボクシング選手だった兄は「私は米国の友人が一人もい
ない。彼らを理解できない」と語ったと伝えている。同じ
記事で「米国の五輪代表に選ばれ、米国市民になりたい」
とも語っている。しかし、父親によると、兄は米国市民権
を得ることができなかった。

兄は昨年は半年にわたって米国を離れ、チェチェンも訪れ
ていた。帰国後の昨年8月に登録したとみられる「ユーチ
ューブ」のアカウントでは、ジハード(イスラム教の聖戦)
を呼びかけるビデオも紹介されている。

弟のジョハル容疑者は兄より米国になじんでいたとされ、
市民権も獲得していた。だが兄を慕い、影響も受けやすかっ
たという。

弟の高校の後輩アルブレクト・アモンさん(18)は朝日新
聞の取材に、3カ月ほど前、兄と会ったと明かした。
兄は米国のアフガニスタンやイラクへの軍事介入を批判し、
「米国は無実の人々を殺す植民地帝国だ」と怒りを見せたと
いう。
http://digital.asahi.com/articles/TKY201304200510.html?ref=comkiji_txt_end_s_kjid_TKY201304200510


●米国は、移民から成り立った社会である。移民した人々
は、現地の言葉である英語を一日も早く習得せねばならな
い。生計を立てるためには必須の道具であるから、米国に
おいて英語は「生活必需品」である。

サンフランシスコでタクシーに乗った。6年前だっただろ
うか。
ドライバーの男性はスペイン語アクセントの強い英語を話
した。
中米の出身だった。
米国に来て何年経つのかを聞いた。たしか3年前、一家で
米国に移民し、英語を身に付け、ドライバーの営業許可を
取得したとの話だった。

「英語学習は無料だったでしょう?」
「そうだよ」とドライバー氏。

そのとおり、米国では、移民の人々の「生活必需品」であ
る英語教育は、授業料がゼロである。英語を使うことは呼
吸をすると同様に、生活の中では当たり前のことである。

●一方、日本での英語教育は、明治期以来、旧制の中学高
校においては、教養の一つであり、少数のエリートのため
のものだった。

文法を学ぶことで思考力を身に付けることが期待された。
このような外国語学習の役割のモデルは、西欧社会におけ
るラテン語学習である。今日では、ラテン語は、実用性の
ない言語の典型となっている。

日本の英語学習は、ずっとラテン語の位置づけだった。
1945年の敗戦後、占領時代を経たあとも、もっぱら大
学入試用の科目として重要だった。

教員は、教育学部の英語教育科、あるいは文学部の英米文
学科出身者である。

ところが財界からの「実用英語」圧力が次第に強まった。
それを象徴するのが1975年の「平泉・渡部論争」であ
る。

企業の海外発展が進む中、英語が使える日本人の若者が必
要だ。ところが国内の英語教育は、「ラテン語教育」であ
る。

こんな批判を財界の代弁者、参議院議員平泉渉氏が主張。
早急の実用化を要請した。これに対抗して、上智大学教授
の渡部昇一氏は、「ラテン語教育」に意味があり、その教
育から得られる「教養」が重要だと反論した。

いまにして思えば、「教養教育」が大切だという主張を、
英語教育論争に乗せるところに無理があったとやまねこは
思う。
義務教育は、子どもたちが社会に出て必要とする教育を与
える場所でなければならず、高等、大学教育も、それを無
視するわけにいかないのは当然だ。

●結果、現在、文科省が、「英語教育は、英語で」と指導
要領を改めている。

「英語教育を、英語で」するためには、ネイティブスピー
カー同様の言語運用能力が必要である。

ところで、国内の大学を卒業した英語教員は、どこで、ネ
イティブスピーカー並の能力を身につけたらいいのだろう。
英語使用国での生活歴を得るための資金と年単位の時間が、
どこから与えられるのだろう。

文科省は平成14年、「『英語が使える日本人』の育成の
ための戦略構想の策定について」という指針を出した。そ
こには英語教員採用におけるTOEIC基準、語学研修者の数を
増大することなどが示されている。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/020/sesaku/020702.htm#plan

●「英語授業を英語で教える」ことが、教員たちの数ヶ月
の海外研修で実現したら、それは奇跡である。
外国語学習の実際をよほど知らない人々が文科省の指針を
定めているのだろう。

結果、今日、日本人が英語を話せないのは、公教育である
学校教育がわるいからであり、英語教員たちがわるいのだ、
とみなされている。

この公教育を痛烈に批判した「英会話上達」の教育産業の
宣伝が、街とメディアとインターネットに溢れている。
詐欺まがいの宣伝とともに、どれも、驚く程、高い授業料
を要求している。

「英語必需品」社会の無料教育とはコントラストの、高い
授業料。
そのとおり、この国で英語学習は「高級品」なのである。

誰もが英語を使える国にするには、授業料が無料か、そう
でなくても安くなくては。
公教育を管轄する文科省には、このような法外なビジネス
に対して責任はない
のだろうか?

いずれにしても詐欺まがいの高い授業料が放置され、次つ
ぎに湧き出してくる現実は、英語が「生活必需品」でなく
「高級品」であることを、何よりも雄弁に証明している、
とやまねこは考える


うらおもて・やまねこでした。

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